2007春、トルコ旅行記1(3):3月31日:ドバイ・ドバイ空港でのトランジット、イスタンブールへ:旅人のくまさんさんの旅行ブログ
昨晩、セントレア空港を飛立ったのは、定刻である23時前でした。予想がつかない飛行経路でしたが、日本列島を南下したあと、中国本土の上空を通過しました。大陸上空に入ったのは、上海より南の香港辺りだったようです。
その後、中国からインドシナ半島を横切って、インド北部の上空に達しました。インド上空を過ぎてからはアラビア海に入ったようです。その前に、インドシナ半島上空を過ぎた後は、インドの東に位置するベンガル湾上空を飛んだようですが、夢の中でした。セントレアを飛立って、約11時間の夜間飛行でした。
ところで、最新の航空機の内部照明は、心理・生理面から時差対策がなされているようです。単に明るくしたり暗くしたりで、夜や明け方を演出するのではなく、通路の上部には星空を思わせる照明もありました。
<ドバイ到着、10時間のトランジット>
出発10日前ほどに旅行計画書を受取って。気掛かりだったのが、ドバイでのトランジットの際の、10時間待ちでした。旅行会社からは「ドバイ空港での出入国は事故防止のために控えてください」とお聞きしていたこともあったからです。
ドバイ空港は拡張工事の最中でした。エプロン工事がされていましたので、ほとんどの航空機が車載のタラップを横付けにして、バスでの移動のようでした。到着したのは、4時45分くらいの定刻でした。「最初の停留所では入国の皆さんが、二番目の停留所では、トランジットの皆さんが利用してください」との車内アナウンスがありました。
バスを降りて、出発ロビーに入る手前でセキュリティチェックがありました。歯磨きなどは、予め透明の別の袋に入れておきました。
<オーストラリアのニコラスさんと>
ドバイ空港での長いトランジットでしたが、レストランでオーストラリア人のニコラスさんと隣席になってからは、あっという間に時間が過ぎました。その話を紹介しておきます。たまたま、ニコラスさんの横の席が空いたのがきっかけでした。
私が日本人と分かると、すぐに日本語の単語を交えて話しかけてきました。かつて、お母さんの仕事の関係で、東京と札幌などを12日間旅行されたことが、日本人を見て話しかけたくなった理由のようでした。私も、かつてシドニーからメルボルンを旅行した事がありましたから、そのことだけでも話が弾みました。
水泳のイアンソープ選手が引退した裏話、この後の首相選挙、食べ物や飲み物の話など、色々と話が飛びました。イアンソープ選手のことは、日本のマスコミにも載っていないようでしたが、微妙な話ですから、この小冊子に収録するのは控えておきます。この話になったのは、メルボルンで世界水泳大会が開かれていたことがきっかけでした。
12年間続いたハワードヒューズ政権には、「国民が飽き飽きして、フレッシュな首相を望んでいる」と、自分の意見を交えて説明してくれました。「オーストラリアにとって一番気掛かりなことが、アメリカのブッシュ大統領の言いなりになって、イラン・イラク問題など、中東問題にのめり込み過ぎ」といった意見も披露してくれました。
現在、メルボルン近郊の小さな町に住んでいて、今回の旅行は、シンガポール経由でアフリカ旅行と教えてくれました。アフリカはケニアを始めとする4カ国を回りたいとも話されました。シンガポールからドバイまでは7時間かかったそうですが、私が名古屋のセントレア空港から11時間かかったと説明しましたら、何度か聞き直しては、「そんなにかかったのか?」と、同情してもらいました。
旅行情報の中では、「エアーズロックはアボリジニの聖地ですが、日本からの旅行者には、時間がかかる割には感激が薄く、お勧めできません。それよりは、ケアンズの近くのグレートバリアリーフが一番!」と力を籠めて勧めてくれました。
「シンガポールは大都会で、私は好きではありません。それよりはマレーシアの方が、自然が残っていて好きです」と、インドシナ半島の国の話もしてくれました。話が弾んで、お互いに3杯目のお代りとなりました。私は生ビール2杯と、後は缶ビールになりました。生ビールが売切れてしまったためです。彼は、2杯目からはオーストラリア産の発泡ワインのような飲み物でした。サイダーに似た泡と色合いでした。
私のフライトは午後でしたが、ニコラスさんは、彼の出発ギリギリの時間まで付き合ってくれました。インターネットを扱っているということで、彼のEメールアドレスをメモして頂き、私のホームページの名刺をお渡しして、お互いの旅の安全とエンジョイを祈って、お別れしました。
<ドバイ出発、イスタンブールへ>
ドバイ空港での昼食の話です。出発前にインターネットで調べておいたことですが、長時間のトランジットの場合には、エミレーツ航空系列店のラウンジが使用できるという内容でした。その情報を紹介します。
「マルハバ・ラウンジは伝統的なアラビアン・スタイル。トランジットおよびご出発のお客様のために用意しています。ご出発までのひとときを快適にお過ごしください。マルハバ・ラウンジはターミナルのブルー(東)セクションの突き当たり、25番ゲートの近くにあり、クラスに関係なくすべてのお客様にご利用いただけます」
朝早い時間にマルハバ・ラウンジに立ち寄りましたが、「ブッキングしていないから、ラウンジの使用は駄目」と言う回答でした。それで、別のレストランに入り、ニコラスさんと盛り上がる結果となりました。
今度は昼食のレストラン探しの時に、あるお店の前に「エミレーツ航空を利用の方で、4時間以上の滞在をされる方は、無料で食事サービスをします」との英文看板を見つけました。それで、搭乗券を見せましたら、その案内看板の通り、無料でのバイキング方式のランチサービスがありました。ランチの利用時間帯は、12時から15時と記されていました。
そのお店で昼食を摂った後も、少し時間が余りましたので、免税店で飲み物を探しました。セントレア空港でオールドパーを買い求める時に、ドバイ乗継の状況を店員さんにお聞きしたら、「没収される可能性がありますから、ここで買うより、ドバイ空港の方が確実です」と親切にアドバイスしてくれていました。オールドパーはありませんでしたから、ジョニ黒にしました。随分長く待ちましたが、定刻でのドバイ出発となりました。
<イスタンブールへの航路>
セントレア空港のエミレーツ航空カウンタでのチェックインの時、ドバイ空港までは通路側の席が注文できました。しかし、ドバイからは窓側の席か取れませんでした。しかし、3席続きの2席も空席でしたから、結果としては、自由に3席を使用することができました。
明るい時間帯での飛行でしたから、窓際からの景色も楽しむことができました。座席の前のフライトサービスの画面と合わせ、ドバイからイスタンブールまでの航路を確認しながらの搭乗でした。
その飛行経路を簡単に紹介しておきます。ドバイを飛立った後は、ペルシャ湾を北西に向かって飛び、カタール国とバーレーン国の沖合を過ぎました。陸上に入ったのは、ペルシャ湾が尽きる手前、サウジアラビアです。ここからは暫くイラクとの国境近く、緩衝地帯を飛行しました。サウジアラビアを過ぎると、ヨルダンからシリアの上空を経て地中海上空に達しました。細かく進路を変えて、イラクと、レバノン上空は通過しなかったようです。
地中海に入った後は、キプロスの東の端を掠めてからトルコの上空に入りました。そのトルコを西方面へ斜めに飛んで、イスタンブールのアタチュルク国際空港へ降り立ちました。
写真編には、上空から見たその一部を収録しておきましたが、面白い光景にも出会いました。その一つが、ドバイ沖です。大掛かりな人口の島でも作っているような不思議な幾何学模様でした。また、サウジアラビアの内陸部では円形の貯水池のような施設が無数に見えました。淡水化事業関連施設なのかどうか、詳しくは分かりませんでした。
<イスタンブールへ到着、全員集合>
旅行計画書に記載された時刻から逆算したフライト時間です。ドバイからイスタンブールまでが3時間15分、その戻りが5時間15分でした。いずれも現地時間で記載してあるはずですから、時差が1時間と仮定しますと、往復とも4時間15分のフライトとなります。
ほぼ定刻に出発し、イスタンブールに到着しました。空港で出迎えてくれたのは、トルコ人の現地ガイド兼添乗員のスワウィさんでした。ここで、はじめて16名全員が勢揃いしました。
<ホテルへ、早速外出>
旅行計画書には、この日の夕食は記載されていませんでしたから、予めその準備をしていました。ドバイ空港のエミレーツのレストランで昼食を済ませていましたから、機内食が余分だったためです。機内では飲み物だけにして、持ち帰りが出来るものをリュックに入れて置きました。パンとバター、それにクッキーです。
後でお聞きしたお話では、食事をせずにそのまま就寝された方がほとんどだったようです。私は機内から持ち帰った食べ物と、ドバイ空港で買ってきたジョニ黒で、無事の到着を祝って一人で乾杯をした後、外出することにしました。
外出と言っても、ホテルの近くだけの散策です。人通りはほとんどありませんでしたが、治安が悪そうな雰囲気ではありませんでした。開いているお店は、小さなコンビに等でした。路面電車が走っている表通りと、坂を下ってロータリーがある広い交差点付近までを散策しました。
ドバイ空港で
旅人に国境は無したまさかに出逢いし人と語らう酒場
機内で
戦乱の未だ収まらぬ中東に砂漠見下ろす空の碧濃し
イスタンブールに着いて
欧州は東に果てて小アジア海峡抱く街に今立つ
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