2008ダラムサラ紀行(2):tabioyaji2さんの旅行ブログ
いよいよニューデリの駅から列車に乗り込みました。こと今年も2時間送れて出発です。今回改めてわかったのは、社内でチャイやコーヒーを売りにくるのは食堂車の売り子たちで、この他にベッドメーキングする係りがいて、そうの上に車掌がいる。車掌は偉い。その他に銃を背負った警官がいる。
寝台車は2段と3段とに別れさらにエアコン付(2A,3A)扇風機の車両と分かれている。座席車は2Aの10分の1の料金だ。食堂車というのはクッキングカーでそこで調理をしたものを売り子が客室に運ぶ。
イギリスが支配していて、どうしてこういう仕組みになったのか。ダイニングカーがインドでは発達していない。料理もインド料理しかない。イギリス人が特権階級として振舞ったせいかも知れない。彼らはコンパートメントに料理を運ばせたのだろう。
いずれにせよ、インドの汽車旅は食い物についてはカレーしかないようなものだ。日本人にはつらいかもしれない。朝食はサンドイッチにゆで卵などである。
インド人は写真に取られるのが大好きだ。はじめての人はとまどうかも知れないが、いかつい顔をしているけれど写真を撮らせてくれる。真顔でとると目力が強いので怖い顔になるので、必ず「スマイル」と言って撮る。いい笑顔が現れる。
私の席の相方にいた青年。インド陸軍大尉。カシミール州の中国国境の警備が任務。28歳。好青年です。中国とインドと今から30年前に戦争をした。そのときにカシミールとアッサムの一部を占領されたままだという。知らなかった。彼は中国軍が強いからと笑っていた。今でも緊張状態にあるようだ。今回は休暇でデリーに帰ってきていたようだ。彼とはインドの将来について、インチキ英語で話しをした。彼からメールで国境付近の殺伐とした風景が送られてきた。
車両係りのインド人。ベッドメーキングの敷布や毛布を運んでくる。寝台車はコンパートメント式に向かい合いで序下2段、通路側に縦に上下2段になって通路が真ん中。カーテーンは通路側はそれぞれだけど、コンパートメントの方は、通路に面してカーテンがあるだけ。中ではお互いの寝姿が見られてしまう。こういうところがインド人の大まかなところだ。ベッドの幅は通路側の縦の列のベッドが10センチ狭い。70センチくらいかな。
二人ともマジな顔で写っている。
一眼レフのカメラを見て、彼らは写真を撮れといいます。笑った顔を撮り、モニターで見せると喜びます。彼らの住所を聞いて写真を送って上げることにしています。最近はインターネットがあるので、写真を遅れますが、まだインドではPCを持っている人は少ないのです。
チャイ売りのおじさん。ひげがいいね。英語はしゃべれません。下層のクラスの人です。英語をしゃべれるインド人は中流クラスと学校に行っている学生です。
多くは貧しいです。
インドでは、履物を見れば、その人のクラスがわかります。革靴は上、上質のサンダルやスニカーなどは中、安いサンダルは下です。
クッキングカーで働く人たち。白のワイシャツの人がマネージャーのようです。インドもイギリスに仕込まれた階級社会ですからね。マネージャーはえばってますよ。車掌はさらに偉い。
列車はチャンキバンクまで12時間ほど走る。その間こうやって写真を撮ったり寝たりして時間をすごすのだが、今回は美人は少なかったけれど、写真のテーマは家族かな。おじいちゃんと孫の写真。
あの男の子のファミリーだ。ともかくインドは今も大家族主義。にぎやかに大勢で暮らしている。家族の下の形がインドにはある。近代化という、モーダニゼーションの名の下に失うもののなんと貴重なことであるのか。インドにはその轍を踏んでほしくないと願う。
この夫婦の和やかな雰囲気こそ、今の日本の家族に再びよみがえってほしいものではないのかな。インド人のお母さんは、子供のことを中心に考えている。母親らしい姿を見る。日本の若い母親は子供中心であるより自己中のように見えてならない。子供を犠牲にする母親にはこういう笑顔を見られないような気がする。
親が自分の自由を求めて子供の生活を、親にあわさせようとするなんてトンでもないことだ。わがままな親が情緒不安定でとんでもない子供を作り出すのでしょうね。子供を育てるのが苦痛に感じているようなことは、どこか間違えているんだと思いますね。そんな日本に誰がしたのかねぇ・・・。人のことは言えないかな・・・反省!
インドは広いから、デリーとこの路線の人だけでは判断できないけれど、コルカタやベンガル州で出会った人たちからも、違った文化が混在しているのだろうけれど、生活がおおらかであること。貧しくても苦しんでいないこと、あるがままを受け入れていることは、どこか共通して、インドを形成しているソースのように思える。ヒンズー教はこのインド人の人たちだから担えるというか、ヒンズー教徒だからこうなったといえるのか、その両方なんでしょうね。
列車を見つめてるホームの人たち。手を振れば必ず答える。絵画をを見せれば微笑が返ってくる。私はこの国の人たち、悪い人も当然いるだろうけれど、この人たちが好きだ。暮らせるかどうかは別問題。疑いなくこの人たちのストレートな生き方がうらやましい。
どうやって暮らしているのかって、疑問に思いますよね。インドでは年間12万ルピー以下の人は税金がない。消費税だけです。食品は無税。12ルピーというのは1ヶ月1万ルピーでしょ。3万円ですよね。おそらくインド人の3分の2は所得税を払っていないのではないかと思う。それはまた後で説明するけれど、若い運転手の給料が3000ルピーなのだ。
お父さんとお母さんと。インド人の夫婦は外では亭主ですが、家では奥さんの力は絶対です。浮気をしたら大変なことになります。でも嫁いびりが原因で自殺する女性が多い。インドの農村では古いしきたりが強くて、女性が孤立することが多い。女性の地位はまだ封建的だといえるでしょう。結婚の結納金は女性が用意するのかな。たしか。妻と夫の勘定は別々というのはイスラム式かな。対外夫と妻の年齢は10歳くらいは離れていて、妻が若い。うらやましいかぎりだが、総じて早婚の傾向にあるようだ。都会では遅くなっているけれど。
このお母さんはサリーではなくてパンジャブスーツだったと思う。北方のインド人の女性のスタイルだ。洋服はあまり見ない。でもかわいいよね。チャンキバンク駅で一緒に降りました。
チャンキバンク駅です。ダライラマがインドに亡命して、ダラムサラに移ったとき、この先のパタンコートという大都市(100万人)の駅から車でダラムサラへ行きました。距離はこのチャンキバンクから行った方が近いのと、乗った列車がパタンコートに行かないという理由もあってここで降ります。パタンコートからシムラーという、ヒマーチャルブランデーシュ州の州都まで狭軌の山岳鉄道が走っています。次回はこれに乗りたい。うちのメンバーは旅に関してはあまり関心がなくて、チベタンサポートオンリーの様子が強い。インドの文化にも敬意を払うべきだと思うのですが。本来ならチベット本土に行きたいのでしょうが、まるっきり様子は異なるでしょうね。
それはさておいて、駅前からトヨタのヴァンに乗ってダラムサラに向かいます。インドはコクサンのTATAという車か、スズキです。トヨタは高級車です。チャンキバンクの町はハリヤット州にあります。ここから国道を走り、ヒマーチャルブランデーシュ州のダラムサラまで走るのです。チャンキバンクの町の中を抜けて踏み切りを超えて国道に出ます。
ここは州の境にある検問所というか入国料を取るところ。関所見たいですね。車一台につき30ルピーほど撮られるんでしょうか。この掘っ立て小屋がその事務所のような、かといって領収書のようなものが手渡されたかどうか定かではないのだけれど。
ともかくインド人は見栄を張るという意識が、欠如しているに等しい。きわめて現実主義者であ利ながら、役に立てばいい言う意味での合理主義者です。どこかの大国意識丸出しの見栄を張る国と大違いなんですね。
北東に向かって進みます。山が見えてきました。ヒマーチャルブランデーシュ州は山が3分の2を閉めるでしょう。このパンジャブ州とハリヤーナ州はインドの北部の穀倉地帯なんですね。ダラムサラはあの山の中腹にあります。
国道の両脇に大きな木が並んでいて、その幹が白くペンキで塗られている。虫除けかしらと思って、ガイドさんに聞いたら、夜の道路の位置を示すために塗られているという。夜はこの道は真っ暗です。ライトが反射して道路の位置を知らせるのだそうです。
ちょうど中間地点で暗闇になりました。午後6時です。ここで休。明かりは向かいのヒンズー寺院です。ここから1時間半、午後8時前にダラムサラのマッロードガンジー村のホテルに到着しました。長い一日が終わりました。
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