函館開港150周年記念・函館再発見の旅 【2】:旅猫さんの旅行ブログ
駅前から歩いて棒二森屋前バス停へ。
途中、道の向こう側に斜めに立つ柳の樹が見えた。
奥に続く道は、その名も柳小路。
5年前、あの柳の下に、おばあさんがやっていたおでんの屋台が出ていたんだ。
ふらりと立ち寄って、熱々を食べたっけ。
この小路には、初めての函館の時に寄ったラーメン屋「王さん」もある。
高龍寺の煉瓦塀沿いに歩き始める。
5分ほど行くと、ピンク色の建物が見えてきた。
明治18年(1885)に建てられた旧函館検疫所の台町措置場だ。函館に残る木造洋風建築物の中では最も古い部類に入る貴重なもの。
現在は、リニューアルされて「夕日」という名のティールームになっているらしい。西向きに建っているので、海に沈む夕日が見られるのだろう。
さらに歩いていくと、真っ赤なお墓が見えてきた。
初上陸以来、二度目のご対面。
「天下の号外屋翁之墓」。
この墓の主は、信濃助治という人物で、明治27年6月、赤ずくめの出で立ちで函館を訪れ、北海道新聞の号外を売りさばき、「赤服」と呼ばれていたそうだ。
坂道。
函館山周辺には坂道が多い。
元町周辺の名のある坂と違い、落ち着いた感じがする。
名前が付いているのだろうか。
道端にひっそりと建ってた南部藩士の墓。
江戸時代、蝦夷地警備と開拓のために赴いた南部藩士のうち、この地で亡くなった者の墓を、昭和12年に集めて祀ったものとのこと。
埋もれ行く函館の歴史がここにある。
近くにあった地蔵寺の境内に建っていた「万平塚」。
明治から大正にかけての函館にいた名物男の供養塔だそうだ。
乞食なのだが、人に恵んでもらおうとはせず、毎朝ゴミ箱を探って、その家の人物評を日記風に書いて残したという不思議な人だったらしい。
案内板に書かれていた一例を読むと、とてもユーモアのある魅力的な文章を書いていたことが分かる。
地蔵時の境内には、他にも、近くにあった山ノ上遊郭の遊女たちの供養塔も建っていた。
外国人墓地。
函館の地で亡くなった外国人の墓地が並んでいる。
写真は、函館湾を望むプロテスタント墓地。
古いものでは、安政元年(1854)4月のペリー来航時に亡くなった水兵の墓などもある。
近くには、ロシア人墓地や中国人墓地も。
異国の地で眠る人たちは、どんな気持ちなのだろう。
19年前の旅行記を見たら、なんと、ほぼ同じ場所で写真を撮っていた。
http://4travel.jp/traveler/tabineko_j/album/10101473/
バス停へと戻り、目の前にある高龍寺へ。
寛永10年(1633)創建の曹洞宗の寺院。
写真の山門は、明治43年(1910)に建てられたもので、東北以北では最大の門とのこと。
彫刻も見事で、一見の価値がある。
明治33年築の本堂など見応えがあるが、この寺の魅力は、境内を守るように築かれた煉瓦塀。
イギリス式で積まれたこの塀は素晴らしいの一言。
じっくり見ていたら、写真を撮るのを忘れてしまった。
訪れるのは3回目なので良いのだが。
この日は、ちょうど例大祭で賑わっていた。
高龍寺の斜向かいに建つ真言寺。
古い旅館のような佇まいで、どう見てもお寺に見えない。
この寺には、制作年代も作者も不明という不動明王像が安置されているそうだ。
かなり古くて立派なものらしいが公開されていない。
ちなみに、函館市指定有形文化財だ。
魚見坂
函館坂巡りの最初は『魚見坂』。
船見町から入舟町、弁天町へと下る坂で、坂下には函館ドックがある。
浜に押し寄せてくる魚群を見ることが出来たから名付けられたそうだが、今でも海を見ることが出来る。
土方歳三と新選組隊士の供養碑
魚見坂近くに建つ称名寺に建っている、箱館で戦死した新撰組副長土方歳三と4名の隊士を供養する石碑。
昭和48年に建てられた新しいものだ。
元々、土方歳三の供養碑は称名寺にあったのだが、明治期の函館大火で失われてしまっていたのだ。
称名寺には、函館発展に尽力した高田屋嘉兵衛とその一族も眠っている。
また、伊予の河野氏の流れとも云われる河野加賀守政通の供養塔も建っているが、彼が館を構えていたのが、アイヌ語でウスケシ(港の端の意味)と呼ばれていた現在の基坂上の旧市民病院のあたり。
その館の形が箱型だったため、「箱館」と呼ばれるようになり、現在の地名にもなったのだ。
弁天岬台場跡
魚見坂を下ると公園があった。
ここは、元治元年(1864)に完成した弁天岬台場があった場所らしい。
箱館戦争の時、箱館奉行永井尚志が立て篭もり、新政府軍に抵抗した場所だが、海に面していた台場も、今は取り壊されて埋め立てられてしまったそうだ。
台場跡近くの函館市電の函館どつく前電停。
「どつく」とは変な名前だが、読み方は「どっく」である。
近くにある『函館どつく』に因んで付けられている。
もちろん、船等を修理する「ドック」のことだが、会社名が1984年に『函館どつく』となったので、電停名もそれに倣って変更したとのこと。
函館どつく前電停は、本線(5系統)の終点。
この辺りには、観光地函館の喧騒はまったく無い。
古き良き函館の佇まいを残している場所だ。
ただ、函館のシンボルの一つだった函館ドックの白と赤に塗り分けられたクレーンは解体されてしまっていた。
港から再び坂巡りへ。
船見坂から千歳坂へとジグザグに歩いていくと、赤い屋根の建物が見えてきた。
初めて北海道へ来た時は、こんな感じの煙突を載せた家がたくさんあり、これを見ると、北海道へ来たんだなぁと思っていたのだ。
船見坂
港に出入りする船が見えることから、坂上の町を『船見町』と名付けたので、坂の名も『船見坂』となった。
現在は、弥生小学校で遮られているが、昔は称名寺まで続いていたので『称名寺坂』とも呼ばれていたそうだ。
坂上からは、今でも港が見える。
坂の両側に赤い実を付けた樹が並んでいるが、これはナナカマドだ。
函館の街路樹は、このナナカマドが多い。
千歳坂の途中にあった鯨族供養塔。
函館は、幕末から捕鯨との縁が深かったそうだ。
かのジョン万次郎は、幕命により、函館で捕鯨の指導を行ったそうだ。
この碑は、捕鯨船の船長兼砲手だった天野太輔という人が、それまでに捕獲した鯨たちを供養するために昭和32年に建てたもの。
載っている鯨の像は、背美鯨だそうだ。
幸坂
昔は『神明坂』と呼ばれていたそうだが、明治8年に、埋立地の町名が幸町(現在の弁天町)となったことから『幸坂』に改められたとのこと。
坂の上にある山上大神宮が、昔の坂名の由来となった神明社である。
明治7年までは坂の途中にあったそうだ。
写真左の塀は、東本願寺函館別院船見支所。
五稜郭を設計した武田斐三郎の妻美那子が眠っている。
ここからの函館湾の眺めはなかなかだ。
船見支所の塀沿いの坂を登ると、旧ロシア領事館の勝者な建物が見えてくる。
明治41年の暮れに完成したもので、設計者はドイツ人建築家だが、施工したのは日本人棟梁。
玄関上の庇が破風にも見えるのはそのせいか。
ロシアの領事館なのに。
見応えのある建物なのだが、今は閉鎖されていて外からしか見ることが出来なかった。
常盤坂
江戸時代後期、坂の上にあった屋敷に、奥州の「義経腰掛の松」の種から育った松があったことから、それに因んで付けられたそうだ。
源義経の母、常盤御前に因んだということだろうな。
函館名物黄色の消火栓。
歩いていると結構出会うこの消火栓。
実は、函館独特のもので、その名も『函館型三方式地上式消火栓』。
昭和12年から整備され、現在でも現役。
放水口が三つあるのが函館型の特徴だ。
大火前までは地下式だったそうだが、雪で埋もれてしまうなどの欠点があったので、今はずっとこのタイプ。
創業101年という市内の鉄工所が今でも作っていて、すべて鋳鉄製、組み立ても手作業というもの。
ちなみに、田中麗奈さんサイン入りもあるらしいので探してみては。
常盤坂を下った先にある太刀川家住宅。
右の建物が店舗で、明治34年(1901)に建てられたもので、国の重要文化財に登録されている。
左の緑色の洋館は、現在の住居で大正4年(1915)に増築されたもの。
店舗だった重要文化財の建物は、2009年9月から、カフェとして一般公開されている。
入れるのは、1階の店舗部分のみだが、紅茶やケーキなどを食べながら寛ぐことが出来るので、函館散策の途中に立ち寄るのにはちょうど良かった。
しばらく、ここで紅茶などをいただきながら休憩し、地図を広げてこれからの道順を確認。
まだまだ先は長い。
19ある坂のうち、まだ6つしか歩いていないのだから。
【3】へ続く

旅猫さん、こんにちは〜♪
だいぶご無沙汰していますが、忘れたわけではありません!
(どうして忘れましょうか、いや、忘れられはしない!)
コメントしようと思いながら、時間だけがやけに早く過ぎ去るのです。
しかも体力は富に衰え。。。
今に毎日が日曜日になったら、毎日ご訪問いたしますよ。
ところで函館です。
やっぱり旅猫さんが捉える町並みは独特の陰翳があって、それがまたモノクロームの画像に、しっとりとなじんでいますね。
外国人墓地からの眺めは、郷愁をそそります。
異国の地で亡くなった人や、開拓のためここに来て、この地で亡くなった人等々、望郷の思いに駆られることはなかったのだろうか?などと、いろいろ考えてしまいますね。
私の地元足尾の寺で、福井県人の墓を発見したときには、同じような思いがしました。
19ある坂道の6つを制覇した由。
また少しずつ拝見させていただきたいと思います。
前日光

前日光さん、こんばんは!
こちらこそ、ご無沙汰しています。
私も忘れたわけではありませんので(笑)
しばらく、充電期間をいただいております。
> 今に毎日が日曜日になったら、毎日ご訪問いたしますよ。
ありがとうございます!
今から、楽しみにお待ちしていますね。
> やっぱり旅猫さんが捉える町並みは独特の陰翳があって、それがまたモノクロームの画像に、しっとりとなじんでいますね。
こんなコメントをいただくと、旅行記を書く力が甦ってきます!
嬉しいです。
異国の地で倒れた人たちの魂って、どうなってしまうのでしょうね。
故郷へ帰るのか、それとも異国の地に留まるのか。
私も、旅先で逝ったら分かるのかな(笑)
メッセージ、ありがとうございました!
旅猫

旅猫さん こんばんは
函館の旅、楽しまれてますね~~
郷愁を誘うモノクロ画像、ひき寄せられる感じです。
秋色小景
水彩画のようで、素敵です。
心から旅を楽しまれておられる様子がひしひし伝わってきました。
roko

rokoさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
函館ばかりで4編にもなってしまいました。
でも、函館は昔から好きな街なのです。
もう何度も訪れているのに、いつ行っても新鮮な感じがして。
> 秋色小景
> 水彩画のようで、素敵です。
ありがとうございます。
こんな感じの小さな景色も素敵ですよね。
モノクロが似合う街も好きです。
旅猫

こんにちわ〜〜
随所に散りばめられたモノクロ写真。
少し物悲しい雰囲気をかもし出す町並みにピッタリの表現ですね。
函館は坂道が多いんですか。
坂道の上から海を見下ろす空間が素敵ですね〜〜
チャリンコに乗って下までピュ〜〜って駆け下りたい気分になりました♪
海を眺める場所に立つ外国人墓地も。。。
やはり海がある場所に人は惹かれますね。
真っ赤な墓石が衝撃でした。
続きもまたお邪魔しますね♪
たらよろ

たらよろさん、こんばんは〜
いつもありがとうございます。
モノクロ写真、好きなんですよ!
デジカメのおかげで、カラーとモノクロが、一つのカメラで写せるのでつい撮ってしまいます。
モノクロで撮ると印象がよく伝わる風景ってありますよね。
歴史のある街には、そんな場所が多くあります。
函館は、函館山山麓に旧市街地が広がっているので、坂がたくさんあります。
和洋折衷の建物が多く見られるのもこのあたり。
坂道の先には、函館港があるので、港町の風情がとてもあります。
ただ、歩くのは結構大変ですが(笑)
外国人墓地は、函館の街外れにあるので静かな場所です。
函館港を眺めるのにもよい所。
反対側にある立待岬とは、また違った魅力がありますよ。
旅猫

旅猫さん こんにちは〜
函館って駅周辺しかウロウロした事が無いのですが
こうしてゆっくり滞在してみると楽しそうですね。
建物を見ながら色々な歴史を学ぶのもオツだし♪
太刀川家住宅のようなシャレた建物大好きです。
大正湯は私も利用してみたいなと思いました。
Noririn

Noririnさん、こんばんは〜
いつもありがとうございます!
函館駅周辺も結構みどころはありますが、
やはり、函館山周辺が一番でしょうね。
西波止場から元町へかけてが有名ですが、
その周辺なども、なかなか面白い場所がありますよ。
今回、五稜郭近くで餃子の専門店を見つけたので、
次回はそこに行こうと思っています(笑)
太刀川家住宅のようなシャレた建物大好きです。
ここは元町やベイエリアからはかなり離れていますが、
かえってのんびり寛げて良かったですよ。
オープンしたばかりなので、まだ知られていませんし。
> 大正湯は私も利用してみたいなと思いました。
大正湯、いいでしょ。
ここも、次回の宿題です(笑)
旅猫

港町は大体、坂道が多いですよねぇ。
なんでだろう。
函館でも坂道めぐり。
いいなぁ。
それにしても、バスと徒歩でがんばってますねぇ。
私なんて。
あんなに便利な東京の坂道めぐりですら
バイクだもん・・・
旅猫さん。根性あるなぁ。
けーしちょー拝

けーしちょーさん、こんばんは!
ご無沙汰しています。
港町=坂と言うのが私の中にあります。
坂の無い港町も好きですが(笑)
日本って山がそのまま海に落ちるんで、
港以外はすぐ高台って感じの集落が多いんじゃないですかね。
> それにしても、バスと徒歩でがんばってますねぇ。
往復鉄道、あとはバス&徒歩が基本なのですよ。
ひたすら歩く(笑)
この時の函館は、1日10時間歩いてました。
旅猫

旅猫さん こんにちは
これは、とても読み応えのある旅行記ですね。
それぞれの坂に歴史があり、そして物語がある。
高龍寺、天下の号外屋翁之墓、地蔵寺、真言寺
お寺やお墓をめぐることも考えてみれば函館の歴史を
振り返ることになるわけですね。
名物男の万平さんや、遊女の供養等、真言寺の不動明王像など
函館には、まだまだ気になるものが存在していたようです。
1票といわず10票入れられればいいんですけど、残念。
ところで、函館再発見の旅【1】のほうに、
>上野から乗った夜行の急行「八甲田」が、水害による遅れの影響で、
完成したばかりの青函トンネルを走って函館まで直通した時だ。
と、ありますが、急行「八甲田」が函館まで!
こんなレアな体験ってあるんですね。
連絡船には間に合わないので函館まで直通したということですよね。
あの頃の夜行急行は、硬い直角に近い固定式の座席だったような。
一度だけですが、急行「津軽」に乗ったことがあります。
しんどそうだけど、旅猫さんのこのレアな体験はうらやましいです。
ではでは☆彡

kodeyanさん、こんばんは〜
書き込み&投票をありがとうございます。
長々と書いてしまいました(笑)
このままだと、函館だけで【4】まで行きそうです。
> お寺やお墓をめぐることも考えてみれば函館の歴史を
> 振り返ることになるわけですね。
そうですよね。
なので、お寺とか神社は旅先で必ず立ち寄ります。
結構発見がありますからね。
函館には、まだまだ隠れた歴史の痕跡があるようなので、
これからも探していくつもりです。
> 連絡船には間に合わないので函館まで直通したということですよね。
そうなんです。
大幅に遅れて、接続するはずの連絡線に間に合わなかったのですが、
青森へ着く直前に、車内放送で「このまま青函トンネル経由で函館へ向かいます。」って。
驚きましたよ。
当時の『八甲田』は簡易リクライニングでした。
今の『はまなす』と同じ感じです。
旅猫

こんばんは!
旅猫さんの函館への思い入れが伝わってくるような旅行記ですね。
私は函館は一度しか行ったことがなくて、表面的に駆け足で有名どころを回ったにすぎませんが、この旅行記を拝見して、この町を駆け抜けて行った歴史の重みがズシンと心に響きました。
函館は辻仁成の小説「海峡の光」のような、暗いドロドロした怨念が渦巻く所でもありましたよね。
あの海峡に引きずり込まれるような救いようのない暗さ。
世間の流れから放り出された男、主人公にとっての因縁の人物花井修。
たった一度だけ、それも3月下旬の函館の風(それでも私には充分に寒かった!)に吹かれただけなので、詳しいことは知らないのですが、この後の旅猫さんの函館旅行記を拝見して、函館の歴史を学びたいと思います。
楽しみにしていますので、よろしくねぇ〜(^-^)
前日光

前日光さん、こんばんは〜
いつもありがとうございます。
函館は、大好きな街ですからね。
もう、のべ20日以上訪れていると思います。
擬洋態の街並み、坂道、港、夜景、岬や海岸、そして温泉。
魅力溢れる街です。
> 函館は辻仁成の小説「海峡の光」のような、暗いドロドロした怨念が渦巻く所でもありましたよね。
読んだこと無いのでわかりませんが、何だか暗そうな感じですね。
辻さん、今ネットで話題になってますが(笑)
今回の函館の旅は、ちょっと長いので、気長に読んでくださいね。
旅猫

函館らしさをアップして下さってありがとうございます。
函館も小樽も(特に小樽は)北海道では歴史の古い街の1つ。
今の観光地としての函館や小樽はその辺りを認識していない感じが
するのは残念ですね。
旅猫さんの古への思いがこめられた旅行記に一票!
それにしても私のパソコンが悪いのか4トラが悪いのか
最近、非常に画面が見辛くって、、、、。
一票投じて失礼します。
三寒四温でしょうか、、、、
今日明日は釧路は真冬日です。

ツーリスト今中さん、こんばんは!
いつもありがとうございます。
函館は、思い出のたくさんある街なので、
函館らしい旅行記を書いてみたかったのです。
最近の函館ではなくて、和人が入植してから青函連絡船が廃止された頃までの函館。
歴史を積み重ねてきた港町函館の記憶が甦るような。
小樽もそうですよね。
らしさが残っている場所もあるのですが、観光客は行かない。
住んでいる人も、訪れる人も、本当の魅力に感づいていないような気がして。
> 最近、非常に画面が見辛くって、、、、。
画像の表示が遅くて、スクロールがまどろっこしいのでは?
それは、こちらも同じですよ。
動きが悪くていらいらします。
旅猫
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