2012年1月 浅草から吉原へ江戸散歩
天気の悪い週末、ようやく雨が上がったので、江戸の面影を探して浅草から吉原まで散歩してみました。
| 交通手段 |
JRローカル / 私鉄 / 徒歩 |
| 一人あたりの費用 |
[ 旅行費総額 >
1万円未満
] |
| 旅行形態 |
--- |
| 手配内容 |
--- |
-
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
浅草寺
雷門から浅草寺まで続く仲見世を歩きます。
ものすごい賑わいです。
-
-
-
-
東にはスカイツリー。
文明の進歩を実感します。
ここから東へ隅田川まで出てみます。
先日、NHKのブラタモリという番組で、江戸時代のルートで吉原まで行くということをやっていて、江戸時代大好きの私も、同じルートを歩いてみたくなったのです。
-
-
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
隅田
隅田川沿いに北に向かいます。
江戸時代の男どもは、柳橋あたりの船宿から、この大川(隅田川)を船で上って吉原に向かったそうです。
-
-
今は欄干に名前だけを残す今戸橋まで来ました。
江戸時代には、ここで大川から山谷掘という水路に入り、吉原に向かったそうです。
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
待乳山聖天
今戸橋の近くの待乳山聖天に寄ってみます。
-
-
ここにも大根。
お土産・・・ではなく、聖天さまに大根を供えるそうです。
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
待乳山聖天
これが待乳山聖天です。
小高い丘の上にあり、大川から山谷掘に入る目印になったそうです。
-
山谷堀の跡(暗渠になっているそうです)は、こんな細長い公園になっています。
歩いて行ってみましょう。
-
江戸時代の男どもは、はやる気持ちを抑えながら、ここを船で上っていったのですね。
-
-
-
-
紙洗橋を通過。
風流な名前の橋ですが、江戸時代の男どもは、このあたりでもう心臓バクバクだったでしょうね。
-
地方橋を通過。
公園はこのあたりで終点です。
ブラタモリを見た人たちでしょうか、私以外にもカメラを持った散策者がけっこういました。
-
日本堤公園に到着。
日本堤とは、吉原の入口あたりの土手の名前だそうです。
江戸時代の男どもも、このあたりで船から降りたのですかね。
-
-
この柳が、見返り柳です。
吉原から帰る男どもが、「後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、「見返り柳」の名があり、」とのことです。
-
このS字カーブが、日本堤から吉原大門へと続く衣紋坂と五十間道。
江戸古地図のとおりなので、驚きです。
この道を始め、吉原の街割りは、昔のまま変わらないそうです。
-
吉原大門の跡です。
道の両脇に記念(?)の柱が立っています。
-
これです。
ここから先は、真面目な私には非常に入りにくい所ですが、勇気を出して通り抜けてみましょう。
-
この交差点が、昔の吉原の中心でしょう。
古地図には、「待合辻」と書いてあります。
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
どが
早足で通り抜け、ホッとして、吉原大門の方向を振り返ってみます。
この真っすぐな通りが、吉原のメインストリートである中ノ丁(仲之町)だったそうです。
この通りで、華やかな花魁道中などがあったのでしょうね。
遠い江戸時代に思いを馳せます。
-
鷲(おおとり)神社に着きました。
毎年11月の酉の市が有名です。
私も熊手を買いに来たことがあります。
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
浅草寺
浅草寺に続いて、ここでも初詣です。
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
浄閑寺
最後に浄閑寺に来ました。
吉原の遊女たちが、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれるようになったそうです。
-
-
旅タグ(β) 〜関連のあるスポット・キーワード〜
浄閑寺
「生まれては苦界 死しては浄閑寺」
花又花酔
隣りに永井荷風の長い詩碑もあります。
永井荷風は、「遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、・・・しばしば当寺を訪れている」そうです。
-
ちょっとした散歩でしたが、浅草から江戸文化の一つの象徴とも言える吉原の地まで、江戸時代と同じルートで訪ねるという、なかなか面白い経験でした。
三ノ輪から都電荒川線で帰ります。
浅草 旅行記ランキング参加中!!
この旅行記は現在 -位(-票)です。
投票するには、
ログインしてください
掲示板
トラックバック
この旅行記のへのトラックバックURL
http://4travel.jp/tcs/t/tb/album/10639563/efd18736769516e2cf08eb97881a5e3e
この旅行記へのトラックバック記事
現在、トラックバックはありません。