2008/06/17 - 2008/06/18
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satoshi.s2さん
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梅雨の合間に関ヶ原、大垣を散策してきました。
一日目(激戦地を眺めながら自然を満喫)
⇒関ヶ原IC⇒歴史民俗資料館⇒陣場野公園(御霊神社、貴船神社、徳川家康最後陣跡)⇒北野神社⇒丸山、黒田・竹中陣跡⇒エコフィールド(東海自然歩道)⇒決戦地⇒笹尾山・石田三成陣跡⇒神明神社⇒小池・島津義弘陣跡⇒関ヶ原400年記念平和の社⇒開戦地・小西行長陣跡⇒関ヶ原ウォーランド⇒宝蔵寺⇒関ヶ原鍾乳洞⇒胡麻の郷⇒徳川家康最初陣跡⇒南宮大社⇒朝倉山真禅院⇒手力雄神社⇒水都神社⇒ホテル
バードグリーンホテル泊
二日目(歴史文学、中山道赤坂宿を散策)
⇒市営駐車場⇒常葉神社⇒大垣城⇒郷土館⇒円通寺⇒大垣八幡神社⇒大手いこ井の泉⇒住吉燈台と船町港跡⇒奥の細道むすびの地⇒水神神社・正覚寺・愛宕神社⇒輪中館⇒水屋(浅草・大橋邸)⇒曽根城公園(曽根城跡・華渓禅寺・花菖蒲)⇒加賀野八幡神社⇒大垣市情報工房⇒安楽寺⇒子安神社・秋葉神社⇒金生山化石館⇒金生山神社⇒明星輪寺赤坂宿跡⇒関ヶ原IC
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
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「矢橋式日時計」
日時計の見かた
この日時計は、上のひさしの形をした板の陰が、午前は左側、午後は右側のメモリにうつり、それで、その時の時刻が分かります。
この半円形のメモリ板は、その中心の周りに回転させて、時間の狂いを直せば、常に正しい時刻を示すことが出来ます。「赤坂宿」の「赤坂湊」同じものがあります。 -
梁川星巌と妻・紅蘭の像
華渓寺の裏の広場には、幕末の勤皇家梁川星巌の銅像が建っています。
星巌は大垣市の生まれで、維新の勤皇の士もあり詩人でもありました。 -
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曽根城址
曽根城は、揖斐川の支流「平野井川の湾曲部を利用して築かれた平城です。
創建は、室町時代末期に稲葉通富によってなされ、以後稲葉氏の勢力拡大の拠点でありました。
中でも稲葉良通(よしみち)(一鉄)は、西美濃三人衆にも数えられるほどの優れた武将で、織田信長、豊臣秀吉に仕えて数々の戦功をたてました。天正十六年(1588年)西尾光教(みつのり)が、稲葉氏に代わって曽根城主となるが関ヶ原合戦後、揖斐城に移り廃城となりました。 -
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「庚申像」(こうしんぞう)
中国の道教の教えでは、人の体内にいる三尺(さんし)の虫が庚申の夜、天帝にその人の罪を告げるので寿命が縮むと言います
そのため、庚申の夜には、言行を慎み、健康長寿を祈願しましたが、室町時代以降、仏教的要素が加わり、庚申持ちをする講が流行し、各地に庚申塔(像)が建立されるようになりました。
この庚申像は、寛政十二年(1800年)「梁川星巌」が両親を亡くした
十二歳のおり、曽根村の辻に祀った石像です。
台座の正面に見さる、聞かざる、言わざるの三猿が彫られ、背面には「寛政十二年五月如意日」、「祭主 稲津善之丞長澄」(星巌の幼名)の刻銘があります。 -
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梁川星厳記念館
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