2017/10/15 - 2017/10/15
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Weiwojingさん
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遥か400年以上も前に日本からヨーロッパへ九州の諸大名から派遣された4人の少年使節団がいた。彼らはポルトガル、スペインそしてイタリアを訪問した。
今回、イタリアでのその足跡と同時代のイタリア美術を紹介する展覧会「遥かなるルネッサンス~天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展を見に東京富士美術館へ出かけた。
使節団は4人の少年たち(伊東マンショ、千々和ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン)と彼らを案内したイタリア人のイエズズ会巡察師アレッサンロ・ヴァリニャーノであった。
使節団は出発してから帰国するまで8年半もの長い年月を要した。出発した時は切支丹伝道盛況で、輝かしい凱旋帰国となるはずであったが、ところが帰国すると時代は正に禁制に入っていて、想像もつかない時代の変化を体験しなければならなかった。豊臣秀吉によって「バテレン追放令」が出されたのであった。
帰国してから彼らのたどった生涯はどんなものであっただろうか。4人はそれぞれ異なった人生を歩んだ。ある者は切支丹として使命を全うしたが、ある者は背教し、みじめな生涯を閉じたり、処刑されたものもいた。
- 旅行の満足度
- 4.5
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ここは「遥かなるルネッサンス~天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展の入口。正に400年前の時代へ戻るためのタイムカプセルのようなゲートである。
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4人の少年使節団の面々。右から伊東マンショ(主席正使)、千々和ミゲル(正使)、原マルチノ(副使)そして中浦ジュリアン(副使)である。みな13歳から14歳までの少年たちである。
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ドイツのアウグスブルグで印刷された天正少年使節の4人の少年たちとヴァリニャーノ(中央)が描かれた肖像画。タイトルには「日本島ニュース」と書かれている(京都大学図書館蔵)。
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彼らは1582年(天正10)長崎を出港し、ヨーロツパへ旅立ったが、帰国したのは1590年(天正17)で、何と8年間もの年月を要したのである。
使節団は長崎を出た後、マカオ、ゴア、南アフリカ希望岬、ポルトガル、スペインを経由して1858年イタリア・ローマに到着した。それから5カ月イタリア各地を訪問した。その後、再びスペインとポルトガルを訪ねて、帰国した。 -
使節団が日本を出てからイタリアに到着するまでとその帰路を辿った航路である。
日本からヨーロッパまでの遥かな旅路は今ならば数日で可能であるが、この時代にあっては数年を要し、想像することのできないほどのものであった。そうした困難さは彼らの一途な使命感に支えられたものであろう。 -
これは使節団が辿ったイタリアでの行程である。ポルトガルからスペインを経てイタリアへ入国した。およそイタリアの半分を横断したような行程である。
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今回の展覧会の目玉である「伊東マンショの肖像」である。この作品はヴェネツィアの画家ドメニコ・ティントレットが描き、長いこと行方知らずであったが、2014年に奇跡的に再発見された。
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「天正遣欧少年使節からヴェネチィア共和国政府への感謝状」(1585年)。左側にイタリア語でも書かれている。
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上記の感謝状の書き下し文。
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伊東マンショの肖像画と共に注目を集めたのは「ビア・デ・メディチの肖像」で、日本で初公開の作品である。
作者はブロンズィーノ(アーニョロ・ディ・コジモ・トーリ)(1503~1572) で、1542年の制作である。
フィレンチェ公の肖像画家として活躍したブロンズィーノの作品の中で、この作品は最も成功したものであるが、同時に最も悲痛な作品であった。と言うのは、このビアは5歳で亡くなってしまい、それ以後ウフィツィ美術館に収納されて一度も公開されたことがなかったのである。
使節団はフィレンチェを訪れた際、トスカーナ太公の宮殿に宿泊した。この宮殿に飾られていた本画を恐らく見ていたことであろう。 -
チュ―ザレ・ヴェチェッリオ(1521~1601)の「サン・マルコ広場での聖十字架の行列」(1586年ころの制作)
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シピオーネ・プルツォ―ネ(1540/42年~1598年)の「アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の肖像」(1578~79年制作)
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アレッサンドロ・アッローリ(1535~1607)の「ビアンカ・カぺッロの肖像」(1578年~87年頃制作)
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「フランチェスコ1世・デ・メディチの肖像」(フィレンチェの画家の制作、1570年頃)
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クリストーファノ・デッラルティッシモ(1525年頃~1605年)の「コジモ1世の肖像」(1562年以前の制作と考えられる)
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ポルトガル語で書かれた日本地図(1585年頃の制作)。よく見ると、北海道が描かれていない。
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パオロ・ヴェロネーゼ(1528~1588)の「息子アンテロスをユピテルに示すヴィーナスとメルクリウス」(1561年~65年頃の制作)
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ローマの画家(名前は不明)が描いた「ヨーロッパ内外にセミナリオを設立するグレゴリウス13世」(16世紀末~17世紀初頭に制作)。
画面をよく見ると、2人の日本人らしき姿が見える。正面右側と法王の左側でひざまずいている人物 (伊東マンショと思われる)である。 -
1時間半ほどの「遥かなるルネッサンス~天正遣欧少年使節団がたどったイタリア」展の見学を終えて、さらに平常展も見て回った。
こちらの展示は比較的な名前の知られた画家の作品も多くあり、見ていても理解しやすかった。 -
テオドール・ファン・テュルテン(1606~1669)の「ヘラクレスとオンファレ」(17世紀、オランダ)
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ぺーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)の「コンスタンティヌスの結婚」(1622年制作、フランドル)
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フランス・ウーテルス(1612/14~1659)の「アントニュスとクレオパトラ」(17世紀制作、フランドル)
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二コラ・ミニャール(1608~1668)の「リナルドとアルミーダ」(17世紀、フランス)
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アント二―・ヴァン・ダイク (1598~1641) の「べッドフォード伯爵夫人アン・カーの肖像」(1639年制作、フランドル)
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ロベール・ルフェ―グル(1755~1830)の「べシェール元帥夫人」(1814年)
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ナポレオン皇帝を描いた有名な作品がある。これはアンヌ=ルイ・ジロテントリオゾン(1767~1824) の「載冠衣装の皇帝ナポレオンの肖像(19世紀初頭)である。
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ロベール・ルフェ―ヴル (1775~1830)の「ジョゼフ・ボナパルトの肖像」(1811年制作、フランス)
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アントワーヌ=ジャン・グロ (1771~1835) の「騎兵隊将校ルイ=ウジェ―ヌ・デチェゴワヤン」(1810年制作、フランス)
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ジロン=オ―ギュスト=ドミニク・アングル(1780~1867)の「ユピテルとテティス」
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アールト・デ・ヘルダー (1645~1727 ) の「ダヴィデ王を諫めるナタン」(1683年、オランダ)
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フランソワ・ブーシェ (1703~1770 ) の「田園の奏楽」(1743年制作、フランス)
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フランソワ・ブーシェ の「田園の気晴らし」(1743年制作、フランス)
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フランソワ・プーシェの「ヴィーナスの勝利」(1745年頃制作、フランス)
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ヘラルド・デ・ライレット(1640 /41~1711)の「天使たちを迎えるアブラハム」(17世紀後半、オランダ)
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ジャン=オノレ・フラゴナール(1732 ~1806)の「豊穣な恵み」(1773~76 年頃制作、フランス)
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ヤン・ブリュ―ゲル(1568~1625)(父)の「市場に赴く農民のいる風景」(1598年制作、フランドル)
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ピーテル・ブリューゲル(1564~1638)(子)の「農民の結婚式」(1630年制作、フランドル)
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ピーテル・ブリューゲル(子)の「雪中の狩人」(17世紀)
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ノエル=二コラ・コワベル(1690~1734 )の「ヴィーナスの誕生」(1732年制作、フランス)
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ここから現代アートの部屋になる。ここまでの展示作品はすべて写真撮影は可能であったが、この部屋からは撮影できる作品はごく一部に制限された。
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現代アートの平常展でまず目にしたのは、オ―グスト・ロダン (1840~1917)の有名なブロンズ像「青銅時代」(1900~1901 製作)である。
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ピエール=オ―ギュスト・ルノーアール(1841~1919)作「浴後の女」(1896年制作)
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ジョン・シンガー・サージェント(1856~1925)作「ハロルド・ウイルソン夫人」(1897年制作)
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エドゥワール・マネ (1832~1883) 作「散歩」(1880年制作)
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ミケ―レ・ゴルティジャ―二(1830~1909)作「シルクのソファ」(1879年制作)
「遣欧少年使節団」のイタリアでの足跡をたどることは正に大いなる楽しみであった。彼らよりも300年後にヨーロッパを訪れた「文久遣欧使節団」の人々はヴェネチアで、日本人がこの地を訪れたのは我々が初めてだと誇らしげに語ったそうだが、ヴェネチアの人々にすでに遥か300年前にすでにこの地を訪れていた少年使節団の存在を知っていた。わが国ではそれほど少年使節団のことは知られていなかった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- まむーとさん 2017/10/23 15:29:57
- いつもとても楽しませて頂いています。
- tamegaiさん、こんにちは!
台風の被害はありませんでしたか?
tamegaiさんの旅行記で楽しまさせて頂いています。
外国をより楽しむ秘訣を感じています。
日常で楽しめる奥の深さがとても面白く、tamegaiさんのすごい経歴と人脈と縁が所々に出てくるので、またそれが面白いです。
今回のヨーロッパ使節団。
どこかで習って忘れていましたが、活版印刷機を持ち帰ったのが彼等だったのですね。
私の末息子と同じ年で出発していたのですね。
本を読んでみたいと思いました。
漫画もあるようで、薄っぺらい私は先ずはマンガからと思ってしまいました。
そして、「シルクのソファ」。
目の前で見て見たいです!
- Weiwojingさん からの返信 2017/10/24 10:53:52
- Re: いつもとても楽しませて頂いています。
- まむ―とさん、おはようございます。いつも私の旅行記を見ていただき、ありがとうございます。
今回の展覧会は大変興味があり、色々な資料を見ながら、旅行記を作成しました。遣欧使節団のことは以前から興味があり、彼らが辿ったコースを旅行してみたいと思っていますが、ポルトガルでほんの一部訪れたにすぎません。
400年も前にヨーロッパを訪ねた彼らの勇気と訪れた先々でのヨーロッパ人たちの驚きに興味を感じました。しかし、彼らが持ち帰った地史や技術があまり生かされなかったのはざん
- Weiwojingさん からの返信 2017/10/24 10:59:15
- Re: いつもとても楽しませて頂いています。
- (続)残念です。活版印刷機を持ち帰ったのも彼らですね。彼らの足跡を追ったマンガもあるようですね。まだ見ていませんが。
上記の文中の地史は「知識」の間違いです。
ありがとうございました。
Tamegai
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