上海 ― 旧フランス租界「陜西北路」を歩く:Tamegaiさんの旅行ブログ
福州から上海へやって来ました。一時帰国で日本に戻るのに、福州から東京までは直行便がないので、上海経由で帰ることにります。他には厦門経由で帰ることもできますが、今回は上海から戻ることを選びました。同日便はないので上海に1泊となりますが、それならばついでに何泊かしてから帰りたいと思い、3泊することにしました。
今回は錦江飯店に泊まりましたので、このホテルのある旧フランス租界を中心に少し歩いてみました。特に、昔の面影がかなり残っているところを歩いてみたいと考え、地図やガイドブックを参考にしながら、陜西北路をぶらぶら歩き、多くの古い建物やその雰囲気などを味うことができました。
地下鉄1号線陜西南路駅から陜西南路をまっすぐ北上して延安中路にぶつかると、陸橋を渡りそのまま北に向かいます。ここで今までの陜西南路という表示が陜西北路と変わります。陸橋を渡りきると、Starbucks Coffeeがあり、更に北へ向かいます。ここからスタートしました。
レンガ造りの古い家があり、家の前にこの建物に関する説明が表示されています。それによると、この家は1913年の建築で、かって富裕なユダヤ人が住んでいたと書かれています。(陜西北路430号)
陜西北路と北京西路の交差点角に、道路に沿ってこのような竹でできたフェンスで囲まれた屋敷があります。この屋敷は蒋介石と結婚した宋美齢の住まいだったところで、1927年12月1日2人は結婚し、蒋介石はこの屋敷に住むようになりました。(陜西北路369号)
中国では交差点で赤信号なのに歩いている人が多いです。信号がないところでも車が頻繁に走っているのに、そこを渡ろうとする人が多く、時にはヒヤッとさせられることもあります。車の方も赤信号にも構わずに走ってことが多いです。
このシナゴーグはSassonという名前のユダヤ人金持ちによつて1920年に建築されました。元々の名前はOhel Rachel Synagogueでしたが、Seymour Road(陜西北路のもとの名前)にあるためSeymour Synagogueとも言われていました。

Tamegaiさん、どうも。
ご無沙汰しています。
いやぁ、陝西北路、先を越されてしまいました。
実は、もう半年以上前から、
陝西北路を取り上げようと思っていた訳なんですが、
ずるずる引き延ばして来たのです。
いつでも簡単に行けるとなると、そうなってしまうのです。
いや、30年以上前に、その辺りに住んでいたという
元上海人(今は帰化して日本人)から、井上ちゃん、
はやく、陝西北路をやってよと、せかされていたんですけどもね。
彼の幼少の頃の記憶によると、陝西北路には、
昔から市場があって、それを当時は西摩路菜場と呼んでいたとか。
西摩路は陝西北路の昔の呼び名、租界当時の呼び方です。
解放後には陝西北路になったのに、付近の住民は、まだ
西摩路の呼び名を使っていたらしいですね。
文革前までは、もしかしたら昔の名で通っていたのかもしれません。
Tamegaiさんの「陝西北路」を拝見して、
いやぁ、なかなかいい素材があるなと再認識しました。
春になりましたら、私も散歩に行くつもりです。

井上さん、今晩は。
お久しぶりです。ご無沙汰しています。
久しぶりに上海を訪ねましたが、万博を前にあちこち
工事だらけですね。なるべくそのような工事だらけの
ところを避けたいと思い、旧フランス租界の方に泊まり
ました。こちらも大きなビルがどんどん建設中ですが、
陜西北路はそんなに変わらず、昔のままの雰囲気を有
していたので、興味を覚えた訳です。
確かに歩いてみると、あちこちの建物に歴史的建造物を
示すプレートが掲げられています。あまりにも多すぎて
半分くらいしか調べられませんでした。次回を期したい
と思っています。
ところで、お尋ねしたことがあります。前にどなたかが
かっての虹口日本人街に刑務所(監獄)の建物が残って
いるとレポートしているのを見た記憶がありますが、
どの辺にあるかご存知でしょうか。お分かりでしたら、
お教えいただけると助かります。
次回は8月にEXPOを見に上海に行きますが、またあちこち
歩き回って見たと思います。もっとお尋ねしたこともあります
が、別の機会と致します。ありがとうございました。
Tamegai

Tamegaiさん、どうも。
> かっての虹口日本人街に刑務所(監獄)の建物が残って
> いるとレポートしているのを見た記憶がありますが・・・
コレに関して、私が思い浮かべるのは、提籃橋監獄です。
もうご覧になってるかもしれませんが、下記をご覧ください。
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10047991/
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