首都ベルリンを歩く 〜2006年5月 ドイツ旅行記 その2〜:spacecowboyさんの旅行ブログ
ゴールデンウイークにドイツへ行ってきました!
4/27 大阪→フランクフルト→ベルリン
◎ 4/28 ベルリン
4/29 ベルリン→ポツダム→ベルリン
4/30 ベルリン→ゴスラー→ハーネンクレー→ゴスラー
5/1 ゴスラー→ヴェルニゲローテ→ドレスデン
5/2 ドレスデン
5/3 ドレスデン→ライプチヒ→バンベルク
5/4 バンベルク→ニュルンベルク→ミュンヘン
5/5 ミュンヘン→フランクフルト→
5/6 大阪
途中のインビス(ファーストフードスタンド)で腹ごしらえ。カレーソーセージを食べます。ケチャップをたっぷりとかけたソーセージの上に、カレーパウダーをかける。味は、正直、微妙。。カレーがスパイシーすぎるのと、ケチャップとうまくなじまない感じ。
国立歌劇場の前にある、ドイツの偉人たちの名前を記した記念碑。普通は立てようと思ってもなかなか立てれるもんじゃないと思います。
名前の大きさが偉大さをあらわしてるわけではないでしょうが、ルターとゲーテが目立ちますね。
この後、国立歌劇場から1本裏へ入り、ベルリンでもっとも美しいとされる広場、ジャンダルメンマルクトへ向かいましたが、工事中だったこともあり、正直、あまりきれいとはおもいませんでした。ってことで写真もありません。
そして、ウンター・デン・リンデンへ戻り、ベルリンというよりも統一ドイツの象徴、ブランデンブルク門へ。ここまでで博物館の島から歩くこと約1km。
行ってみて思ったのが、やはり中々風格のある門なんだけども、思ったより小さいこと。結果的にパリの凱旋門なんかに比べると迫力負けしてるところもあるかも。
でも、一昔前はこの門をくぐることができなかったのかと思うと、いろいろなことを考えさせられます。今回の旅でも、旧東ベルリンと旧西ベルリンを、当たり前のようにSバーンやUバーン、バスで何度も行き来していますが、その当たり前のことがつい最近まで当たり前でなかった。すぐそこにあるところに行けなかった。
なぜそんなことになってしまったのか、もう一度しっかり勉強してみたいと思いました。
ブランデンブルク門を堪能した時点で午後1時。郊外のシャルロッテンブルク宮殿にも行ける!ということで地下鉄の駅に向かいます。で、写真は地下鉄の駅にある分別のごみ箱。ホテルや列車内のごみ箱も全て「紙」「容器包装」「びん」「その他」に分別指定されています。全国統一というのがわかりやすいですね。
で、ここからの移動が思ってた以上に大変でした・・。
まず、S1でフリードリヒシュトラーセ駅へ。そこで環状線に乗り換え、中央駅、ツォ-駅を通りすぎて(この区間はティーアガルテンの真横を通るのでとてもきれい!)、シャルロッテンブルク駅へ。で、ここで降りたはいいものの、
ここからがどうやっていったらいいのか、さっぱりわからない・・・。
地図を見る限りでは、Uバーン7号線でリヒャルトワーグナー広場へ行くべき、ということと、このシャルロッテンブルク駅でSバーンと接続しているように見えるのだが・・・。
よくよく見るとSバーンのシャルロッテンブルク駅とUバーンのWeimersdorterstrase駅、乗り換えが可能、というような書き方(大阪でいえば四ツ橋と心斎橋、東京でいえば東京と大手町)であって、ちょっと離れてたんです。ってことで、5分ほど歩いてUバーンの駅へ向かいます。この辺は地下鉄の上が歩行者天国のショッピングストリートになっていて、時間があればじっくり歩いてみたい感じでした!
そしてリヒャルトワーグナー広場からさらに歩くこと15分(暑い!)ようやく目指すシャルロッテンブルク宮殿に到着〜。ここはガイドツアーでの見学です。
ガイドはドイツ語のみですが、日本語の解説カードを渡してくれるので、かなりありがたいです。今回まわった城館はこのシステムのところが多かったですね。
ただ、残念なことに、ここについては宮殿そのものが少々期待はずれなところがあります。
オリジナルの宮殿にしても、施工主のフリードリヒ大王が完成を前にしてなくなっているので中途半端。その宮殿も第二次大戦時に破壊され、再度建造されたものということで仕方ないかとも思うのですが、オリジナルの時点でも天井画がある部屋はほとんどなかったということなのでヨーロッパのこの種の宮殿にしては悲しい限りですね。
ただ、ツアーの最後にある、写真の「陶磁器の間」、この部屋は見応えがありました。地震がないからこそできる夢の空間って感じですね。
シャルロッテンブルク宮殿の庭園です。
ここは2階に別棟があったり、庭もかなり広かったり、いくつか離宮もありますが、時間がなかったのと、本館でも満足度が低かったので、中心部へ戻ります。
帰りは宮殿の前からツォ−駅行きのバスが出ていたので、それに乗りました。
ツォ−駅前のカイザー・ウィルヘルム記念教会。戦争で破壊された塔のみが残っているので、外から見てなんぼの建物です。
手前に出ている広告(見づらいですが)は、携帯電話会社がワールドカップのサポーター向けに打っていたものですが、日本語が一番目立つところにあったのが印象的でした。結局ベルリンに日本人サポーターが大挙することはなかったわけですが・・・。
そしてカイザー・ウィルヘルム記念教会の横から100番のバスに乗り、連邦議会議事堂へ向かいます。
が、途中で戦勝記念塔ジーゲスゾイレの写真を撮るか、と思いつき、バスを降りたのが結構手前で、1kmくらい歩く羽目に・・・。
ただ、ティーアガルテンの新緑がすごくきれいで、歩いていてとても気持ちよかったので、結果オーライでした!
そしてたどりついた戦勝記念塔ジ-ゲスゾイレ。上にあがることもできますが、今回はかなりバテバテだったこともあり、上りませんでした。下から見上げた限りではかなり狭そうでしたが。
そして再びティーアガルテンの横を歩き、最寄のバス停に向かいます。ブランデンブルク門からわずか数百メートル。大都会のど真ん中のオアシス空間ですね。
このあたりにはオランダと同じような自転車専用道が歩道の一角を占めています。ただ、オランダのように明確な区分(色分けとか段差とか)がなく、ただ白線で区切ってあるだけ。そんなところを自転車が猛スピードで走ってくるわけだから、知らないと結構危ないです。実際ちょっとヒヤッとしたし。。
で、また100番のバスを待つわけですが、10分くらい待たされました。恐らくかなり運が悪いケースかと。。
再び100番のバスに乗り、今度は連邦議会議事堂へ向かいます。
風にはためく巨大なドイツ国旗。そしてちょっと写真ではわかりにくいんですが、階段にたくさんの人が並んでいるのがわかりますでしょうか?ここ連邦議会の展望台は、ベルリンでも有数の観光スポット。並ぶこともあるとは聞いていましたが、夕方の6時前でもかなりの行列!
入り口横の、堂々とした彫刻。
荷物検査の都合か、入場者の数をコントロールしたいのかわかりませんが、いずれにせよセキュリティ上の理由という感じで、50人ずつ位入れては10分程度待たされる、という感じ。
前に並んでたドイツ人の20代になるかならんかくらいのグループの姉ちゃんが異常なハイテンションでちょっとうっとおしかったです。ウオークマン聞きながら、踊ることはあっても、突然ケラケラと笑い出すのは何が楽しいのか、理解に苦しむ。。
結局30分程度待った後、セキュリティチェック。ベルトや腕時計までうるさく言われなかったあたり、空港のほうが厳しかったですね。フランクフルト空港ではベルトまで外さされたからなあ。。
入ってしまえば、後は速いです。エレベーターで屋上に上ると、建物の中央にはガラスのドームがあります。外周部がらせん状の通路になっていて、中心には写真の様なガラスの塔があります。
連邦議会からの眺め2 南西側
ポツダム広場方面。ドーム型の屋根(愛知万博の「夢見る山」に似てますね。)がソニーセンター。中央のドイツ鉄道本社ビルが凄く目立ちます。そして周囲には緑が多いのが印象的。
連邦議会からの眺め3 北側
この時点では工事中(2006年5月29日開業)だったベルリン中央駅。連邦議会のちょうど北側。最初にバスの車窓から見えた時は度肝を抜かれました。ドイツ鉄道、恐るべしです。
連邦議会からの眺め5 西側
広大なティーアガルテンが広がっています。人口350万人の大ベルリン。緑も広大です!
屋上にはレストランもあり、24:00まで営業しています。こういった工夫が政治を身近に感じさせてくれるのかも知れませんね。
出る時も1階で一度、ひとつの部屋に閉じ込められます。恐らく入場者数と退場者数を一致させているのでしょうが、実際にはなんなのか、気になるところです。
で、議会を出たのが7時半でした。
既に相当歩いていますが、見れるものは見ておこうと、22:00まで営業している、チェックポイント・チャ−リーへ向かいます。
ここはベルリンの壁があった時代,国境を越えれた検問所のうちのひとつ。
地下鉄の駅を出ると、道路の真ん中に写真の検問所が建っています。壁があったときにはもう少し北側にあったらしいですが。今や旅行者が道路の真ん中を頻繁に行き来するので別の意味で危ないです。。
「あなたはアメリカの支配地域を出ようとしています。」
ベルリンはあくまでもドイツ領ではなかったので、ドイツ語が一番下になってしまうんですね・・・。
ここにも博物館があり、壁越えを図った人たちの歴史が綴られています。自動車のトランクやエンジンルーム、運転席の下、トンネル、熱気球とありとあらゆる手段が使われていました。東側の人にとっては、まさに命がけの国境越え。越えてしまえば西側ではお咎めなし、という状態だったわけです。検問もそれに負けじと段々とボンネットの中なども丹念に調べるようになったとか。
西側から東側へ、西のパスポートを持つ人が移動する場合はゆるかったようですが。
英語メニューの中からミートボールを選び、注文しましたが、出てきたのはハンバーグでした。確かにミートボールではあるが。。
食後、アレキサンダー広場まで歩き、地下鉄に乗って、宿に帰り着いたのが22:15分でした。朝宿を出てから14時間以上、その間座ってじっとしてたのは移動時間含めて1〜2時間あるかないかでしょうか。本当によく歩きました。

spacecowboyさん、はじめまして。
ベルリンの旅行記を拝見しました。
いやぁ、びっくり! これ、全部1日でまわられたのですか!
すごいよく歩かれたのですね!
でもお天気がいいですね。
ティアーガルテンの新緑もきれいですね。
たしかに、ほんの少し前まではこの町を壁が分断していたのですよね。1つの町の中で線が引かれてしまって、引き裂かれてしまった家族がたくさんいたでしょうね。
在日ドイツ人から分断時代のつらさを聞いたことがあります。他の国にはいくらでも行くことができるのに、親戚がいる東ドイツにはいけない、唯一70歳以上の人だけが親戚に会いに東に行くことができたそうです。日本人には国家分断のつらさはわからない・・と言われました。
でも、日本も北海道で分断されそうだったのですよね。ほんと、分断されなくてよかった・・・と思いました。
ドイツのStammtischコミュニティーでも、どうぞよろしくお願いします。

ご訪問&書き込みありがとうございます。
ベルリンもそうですが、最近の私の旅行スタイルは、「とにかく歩く」って感じに
なってますね〜。プラハの旅行記はまだ作成途中ですが、ベルリンよりももっと歩いてます(笑)。せっかく行ったからには限られた日程でも見るものは全部見たいですし、色んなものを目に焼き付けるには歩くのが一番!って感じですね。おかげで旅行中は毎日ホテルに帰ってからは爆睡です(苦笑)。
東西分断時代のベルリンについては、帰国後、いくつかの本を読みました。壁を隔てただけで全く異なる世界が広がっている東西ベルリン。その矛盾の中で生きてきた人たちの思いは計り知れないものがあると思います。今、自由に旅行できる自分は恵まれているなあ、としみじみ思いました。
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