第2部 森と湖の巻(Wald und See):砂布巾さんの旅行ブログ
〜ソ連の旅を終えて入った‘森と湖の国’フィンランドには居心地の良さで2週間滞在 湖上のオペラには感激、様々な人との出会いもあった
7月1日 拍子抜けした国境越え Finnland?!
只今フィンランド入りして最初の停車駅 Vainikkalaに停車中。軽く昼食を済ませたところ。\10,000が245.2マルカ(以下M)だから、1Mは約 \40。ヨーグルトとパン2枚に1Lのジュース1本で47M、約\1,900は高い! 早速北欧の物価高に遭遇してしまった感じ。
最初はフィンランドに入国したのが信じられなかった。というのも、国境越えが余りにあっさりしたものだったからだ。ルーブルから外貨への再両替をしたのがソ連最後の停車駅(銃を持った国境警備隊が厳重に列車を警備していた)の筈だから、国境が近いとは思っていたが…。パスポートチェックはあったけど、荷物検査がなかったので、恐らくは国境であったろう有刺鉄線を越えた時にも、民間人の統制線位にしか思わなかった。しかしそれもここ最近のことだろう。同じコンパートメントのカナダ人のおじさんによると、2年前に彼の妻が同じルートを通った際には荷物の全てを調べられたそうだ。ヤミ両替を追及されたらどうしよう、と言い訳を考えたり、プリバルティスカヤで賄賂用にマールボロを購入(釣銭のフィンランドマルカはホテルからフィンランド駅まで再び乗った白タクで使った)していたのも全くの徒労に終わった。
ヘルシンキには1時間遅れで到着。カナダ人のおじさんはシリアラインでストックホルムに向かうと言っていたが、間に合っただろうか。駅から直接ユースホステル(以下YH)に行ってみる。少し探したけど中央駅から歩いて10分の距離。目が飛び出さんばかりに驚いたのがここの値段。 160Mは\6,400!首都の一等地の2人部屋(結局は1人で使用)とはいえ予想を大幅に上回る。夕食は駅の地下にあるカフェテリアで軽く食べて33Mは\1,300。昼食のフルコースが5$で食べられたレニングラードが懐かしい。
今日はドイツ通貨統合の日。先程TVニュースでやっていた。イランで地震があったらしいのは、モスクワで\400で買ったニューズウィークを見て知った。
7月2日 俺は雨男? Bin ich ‘Rain Man?’
朝食を済ませ9時前には出発。港や朝市、ドームのある市の南東部に向かう。途中から大雨になった上、自慢の傘を忘れてビショビショ。今回の旅は広島出発の日が大雨、ハバロフスクの実質第1日目が風を伴なう雨と、節目は必ず雨模様の天気。余程行ないが悪いのか?
前夜のビールが効いたか下痢気味の上、風邪気味だったので、午後はシベリウス公園や国立博物館に行って早目に帰る。お墓にも行ってみたいと尋ねてみたが、残念ながら分からなかった。でも公園にあったレプリカはデスマスクだそうだ。シベリウスの音楽は北欧独特の息の長い旋律で、交響詩「フィンランディア」や交響曲第2番など、当時帝政ロシアの支配を受けていたフィンランド人の民族意識を鼓舞したことでも有名だ。
両替は午前中 \20,000分と夕方20$分行なった。夕方の‘Postbanken’ではピエロのパンツのような派手なズボンを履いた窓口のお兄さんが‘多めに両替しなさい’と言った。伝票を見たら手数料が金額の大小にかかわらず1回当たり20M取られることが分かった。2回目は77.6Mの内の20Mだから、25%以上の手数料を払ったことになる。
面白かったのが街角にあった銀色の公衆トイレ。1M入れると自動でドアが開き、用が済むと自動的に閉まって水が流れる。バスにでも乗ったような気分だ。便座の恰好は滑稽なので、座り心地はあまり良くないだろうと想像する。 とにかくフィンランドの人は人なつっこい。銀行でもインフォーメーション(以下Inf.)でもソ連であまり見られなかった笑顔で接してくれるのが嬉しい。 そのInf.でも銀行でも、客は機械から番号札を受け取り、順番が来れば指定された窓口に出向く。これなら立ったまま待つ必要もないし、自分より後から来た人が並んだ窓口によって先に順番が来る不合理も起こらない。
7月3日 ポーランドビザ取得 habe polnisches Visum genommen.
午前中はポーランド大使館へビザの取得に出向く。今月24日以後はパスポートの有効残存期間が6ケ月を切り、以後ビザの取得資格を欠くことになってしまうからだ。駅から地下鉄で2駅とバスでしばらく走った高級住宅地の中。市
電の運転手さんに尋ねたら、電車を止めて無線で聞いて教えてくれた。観光客に対する配慮も十分だ。停留所を下りてからも少し探したけど、何とか見付けることが出来た。値段は 100Mだから東京で取得するのと金額的には変わらないが、20分の即日交付で発給してくれるのでとても助かる。
YHへ急いで引き返しチェックアウトタイムの12時に出発。昨日は雨に加えて大風で市場のテントが吹き飛ばされるアクシデントもあったが、今日は好天、人出も多い。港でボーッと日本のことを考えていたら、ポーランド大使館で一緒だった日本人とバッタリ。フィンランドが好きで何回も来ているという彼は、来週フェリーでヘルシンキからポーランドのグダニスクへ行くのだそうです。
(確かタンペレ駅前)
今日から有効期間2カ月でハンガリーを含む西側各国(イギリスは除く これも島国根性?)の鉄道が乗り放題のユーレイル・パス使用開始だ。‘北欧では列車に乗る時には必ず予約しなければならない’と友人の武者氏に聞いていたのでInf.で確認してみたが、必要は無いようだった。Inf.で30分以上待たされて 17:04発のカレリア号でラッペンランタへ行けなかったので、18時発の列車でタンペレに来る。駅近くにはビザンチン様式の寺院はあるし、レーニン博物館なんてのもあるらしく、まるでソ連に帰って来たかのようだ。
YHのNNKYは駅の近くの Tuomiokirkon-katuにある。値段は宿泊30と朝食22Mの合計52Mと嬉しい値段だ。宿泊と朝食が余り変わらないのが面白い。昨日のヘルシンキのYHは Hietaniemen-katu(冷えた煮え麺カツ?)にあった。カツとはどうやら通りのことらしい。これだけカツが氾濫しているから、カツ丼が恋しくなる。
7月4日 中華料理を堪能 Chinesisch Restaurant
昨夜は考え事をしていたら寝られなくなり、起きたのは9時過ぎ。素敵な町みたいだし、重い荷物を持って歩き回るのも疲れるので、もう1泊することにする。朝食は9時までだったけど受付のお姉さんに言ったら食べさせてくれた。 タンペレは2つの湖に囲まれた湖畔の町。遊園地の展望台の上から見た景色が本当に綺麗だった。ネヴァ川のレニングラードといい、水のある景色は実に美しい。ローゼンダールという巨大なリゾート・ホテルの近くの岩場で横になっていたら寝てしてしまったけど、足が波で濡れて正気に返った。
夕食はNNKYの近くに中華料理店があったので行ってみる。ビールと春巻、チャーハンで88.5Mと予想通りの値段。北欧の物価高に馴れてくる自分が怖い。これまでシベリア鉄道の車中で2回とプリバルティスカヤのバイキング(有難いことにルーブル払可だった)で‘おかゆ’は食べたけど、本格的な米飯は出国以来初めて。薄味だったけどオツな味だった。
7月5日 北極圏、ロヴァニエミ Rovaniemi
朝はYHの食堂で日本人の女の子を見掛けた。今月末まで滞在するそうだ。 昨日のチャーハンが辛かったのか、朝から牛乳や水をガブ飲み。駅で便意を催しトイレ駆け込もうとしたら、戸が開かずに焦った。1M硬貨を取っ手のところに入れなければ開かなかったのだ。
夕方には北極圏のロヴァニエミにやって来る。直行すると8時間も掛かるので、途中セイネヨキという町に2時間ばかり立ち寄ってみた。そこからは6時間の道程。自然条件が厳しくなってくるためか景色が心なしか雑然としてくる。YHは朝食込みの60M。台湾人2人と、フィンランド中をサイクリングしているという黒人のお兄さんの4人部屋だ。
7月6日 Santa−Clause Village
朝YHのペアレントに唯一話せるフィンランド語で‘Kiitos’と言ったら、‘Arigatou’と言われた。やられた。
レンタサイクルを35Mで借りて、市内から6km離れたサンタクロース村ヘ行く。土産物やレストランがあるだけのところだけど、サンタさんの恰好をした人達が世界中の子供達に一生懸命手紙を書いている姿が愛くるしい。
(世界中のサンタファンに手紙を書いているトントゥ)
午後は市内を走る。教会ではちょうどオルガンの演奏の最中だった。バッハの「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番 エア)を演奏してくれた時には本当に嬉しかった。やっぱりバッハは天の声、神の声だ。
今日の宿泊は夜行列車。経費対策の一貫でもある。寝台を使おうかとも思ったが、追加料金が90Mも必要だそうでパス。夕食はスーパーで買ったミンチカツ、チーズ、果物、パンを車内で食べる。物価が高いフィンランドでは食費を節約するにはこれが一番。
7月7日 ペテリィ,キルシィは何処へ? Peteri,Kirsi wohin?
リーヒメキで乗り換えて、10時には先日来れなかったラッペンランタにやって来る。‘町中は何処ですか’と駅で夫と一緒の若い女性に尋ねたら、車で連れて行ってくれた。
でもそんな親切は序の口。湖の遊覧船乗り場でボッーとしていたら、ペテリィとキルシィの2人組が声を掛けてきた。‘My friends’と‘No problem’が口癖でややアル中気味のペテリィはちょっと疑わしいが自称軍人でキルシィはその恋人。カフェーではビールをご馳走してくれ、挙句には55Mもする湖を一周する遊覧船に乗せてくれ、酒もご馳走してくれて、困ったことに‘家に泊りに来い’みたいなことまで言う。船から降りると2人は喧嘩を始めたので、少し離れていた間に居なくなってしまった。船を降りる直前に船員とも言い合いをしていたので、決して小生が原因ではないとは思うのだが……。
YHにはバスで来る。危うく逆方向のバスに乗りそうになったが、親切な人が教えてくれた。値段は62M。廊下の電気が消してあり、部屋を探すのに苦労した。なぜか持って来たライターが役に立った。無口なフィンランドのおじさんと一緒だ。
7月8日 お城の町、サヴォンリンナ Savonlinna
朝はおじさんの起きもしない目覚ましで6時に目が覚める。昨日の夜行でも十分寝られなかったし寝不足だ。
列車で2時間掛けてサヴォンリンナに来る。フィンランドの内陸部では町は必ず湖のそばにあるといった趣だが、ここは違う。町自体が湖の中にあるのだ。そして町の入口の湖中にはオラヴィンリンナというお城が浮かんでいる。卒業旅行で訪れたスイス、モントルーのシオン城も素敵だったが、ここも仲々素敵。ちょうど6月から7月に掛けてオペラフェスティヴァルが開催中だとか。明日の「アイーダ」に行ければ最高だ。
HospitsというYHは町中からすぐ。値段は60M。
7月9日 ‘AIDA’ in Olavinlinna
朝チケットオフィスへ行ってみたら、幸いにも今日の歌劇「アイーダ」(ヴェルディ作曲)のチケットを買うことが出来た。値段は 290Mと少し高かったのでクレジットカードを利用する。
午前中は船で湖を遊覧。2人組のお姉さんがアコーディオンを弾いてくれたけど、後でちゃんとチップを請求された。
午後からはサウナに行ってみる。さすが本場フィンランド、小学生くらいの子供も入っている。バケツに水を入れて持ち込み、葉っぱで熱の発生源に向かって掛けるのが流儀らしい。水蒸気でムッとするのがたまらない。ロッカールームにいた時には、BGMで何と坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」が流れていた。
オペラは20時半からお城で始まる。でもコンディションは最悪。強風が吹きすさび、雨避けのテントがかすれる音が大きく響き渡る。途中からは小雨まで降り出す始末。雨男の本領発揮か?
舞台は勿論素晴らしいものだった。お城と古代エジプトの雰囲気が実に良くマッチし、狭い舞台一杯に繰り広げられる大スペクタクルは圧巻だ。すぐ近くでトランペットの吹奏があったオペラ最大の山場である第2幕の凱旋の場面は最高。感動ものだ。
6月18日に新潟を出発して3週間少々。(この時点での)全行程 101日の5分の1を消化したにすぎないが、最高の思い出の1つとなるに違いない。
7月10日 設備最高のYH、パリッカラ Parikkala
朝7:50発の列車に乗り遅れたので、次の 13:40発の列車で出発。鉄道の分岐点のパリッカラで下車してみる。ここはソ連との国境のすぐそばだ。
YHはホテルに隣接しており、テニスコートやプライベートビーチからプールにサウナに至るまである。料金を払えばビーチ・サウナを利用するのも可能だ。自転車を借りて国境方面を見に行った時も別に料金は請求されなかったので恐らくタダ。有難いことだ。宿泊の30Mも朝食も含めた44.5Mもこれまでで一番安い。ただ1つ大きな難点は、駅から非常に遠いこと。ガイドブックによると4km。しかもバスの便が無い。これには参った。
7月11日 フィン・ソ国境を行く Grenzegebiet
昨日は自転車で、そして今日は船でソ連との国境地帯に迫ってみた。 自転車に乗ったらブレーキが無い! ペダルを逆方向に戻したら効くらしい事は分かったけど、効き目が十分ではなく特に下り坂が怖かった。小さな村を走っていた時には、寛いでいた牛と目が合ってしまい、自転車が赤かったこともあって突進して来るのではと肝を冷やしたが、やる気のない牛だったので助かった。フィンランド側、ソ連側双方に監視塔が見えた。
4つの運河(サイマー運河)を通過した所にある小さな湖の中央にある黄色い目印(*分かりますか?)が国境だそうだ。運河はソ連側に更に4カ所有り、合計8カ所。水位差は76mあるのだそうです。国境を行くのだからソ連の警備艇や監視塔が見えるか、と思ったけど見える範囲には何もない。写真を撮るのも全く自由で、少々期待外れ。フィンランドが親ソの中立国(中曽根元首相が以前その中立政策を‘ソ連の情けを請う’と発言して物議をかもした)からか?船は国境手前をUターンして16時には帰った。週に3回くらいは国境を越えて、ソ連のVyborgという町に行くノービザのツアーもあるそうだ。
その後市場へ行ってみたら、一昨日YHで一緒だった日本人とバッタリ。彼は現在休職中で、アジア、アフリカ、ヨーロッパを巡り歩き、金が無くなるであろう10月頃帰国、と語っていたがそんなに長く休職できる仕事って有るの?
7月12日 Kiitos! Mrs.Laaksonen〜Turk
クルーズ終了後ヨーエンスーで夜行に乗り換え、港町トゥルクにやって来る。ヨーエンスーからは西ドイツのフロートから来たというラース・シュルツ Lars Schulz という青年と一緒になった。嬉しくなってドイツ語で話し掛けたら、早口で喋り出す(彼は普通だろうが)から理解が追い付かない。惨めなパターンだ。彼の英語も分かりにくい。パスポートを見せてもらったけど‘ Colorof eyes’の項目があったのが面白かった。彼は先週寄ったタンペレで下車。そのタンペレからは喧しいガキが乗ってきた。
トゥルクに着いてからはYHを探すのに方向音痴の本領を発揮。駅の地図で確認していたのに全く逆方向に歩いていた。幸いその方向にもYHが有ったので助かったが…。カレンYH(宿泊のみで40M)で少し休憩して出発。
市場からレア・ラクソネンさんに電話してみる。彼女は先日のオペラで隣席だった人で‘トゥルクに来るのなら連絡して下さい’と電話番号を教えて下さっていた。だからしない訳にはいかなかった。
彼女には本当にお世話になった。シベリウス博物館や大寺院、韓国水原の民俗村を思わせる手工芸野外博物館、夏の大統領の別荘でリゾート地のナーンタリでは食事をご馳走になって、帰りには彼女の家にも寄らせてもらった。
一生懸命皇室の話をしていたのは、どうやら天皇家次男の結婚の話だったらしい。隣にはオペラを一緒に観に来ていたおばさんが住んでいて、ケーキをご馳走になった。そこの夫婦は10年位前に日本に来たこともあるそうだが、ご主人には穏やかな口調ながら‘お前達はもっともっと日本製品を持ってくるのか’と言われた。日本人に対する不信を感じない訳には行かなかった。ラクソネンさんには、予備の土産をあまり持ってなかったのでブラウンシュヴァイクのブルガーマイスターさん用に買っていた‘招き猫’を差し上げた。
*対岸に見える塔に旗が掲げられていたら大統領が滞在中 近くにはムーミン村もつくられた
トゥルクの町の印象はもう1つ。小生の好きな港町である釜山や尾道とオーバーラップして期待が大きすぎたためだろうか? どことなく洗練され過ぎている感じだ。
7月13日 NAKAMIIN SUOMI
只今シリアラインのターミナル。あと3時間弱で出発だ。寝不足だったのでチェックアウトタイムの昼に出発。歩いて10分の青空市場に向かう。ここトゥルクの市場は広大。ヘルシンキの倍はある。いちごの計り売りが多いのは他と一緒だが、花を売っている所が意外に多く、土産物の店は少なく、大道芸人らしき人はいない。実用的な土地柄なのだろう。それにしても市場って心が和み何時間居ても飽きることがない。
スオミ(フィンランド人は自分の国をこう呼ぶ)は派手さは全く無いけれど、自然は美しく、人は親切。どこか安心感を与えてくれる国でした。
フィンランドはヨーロッパではハンガリーと同じくアジア系民族。言葉も子供が喋っているのを何気なく聞くと、気のせいか日本語のように錯覚することがある。でも町中で見掛けた看板や工場を見ると、やっぱりどこか似ている!
TAKO タンペレにあった工場
Bar‘KIPPARI’ラッペンランタで発見
SAMPO 保険会社、ラクソネン夫人の勤務先 OTTO MATTI 現金自動支払機
Ukko Pekka スーパーの名前
Katu 本文でも触れたように‘通り’
(ヘルシンキ港に係留されていたシリア・ライン)
トゥルクの博物館で買った大作曲家シベリウスゆかりの絵はがき。カリスマ性がある。彼の音楽はフィンランドの自然そのもので最近大ブーム。賛美歌にもなっている「フィンランディア」や交響曲第2番、第3番、カレリア組曲などどれも素晴らしい。
最近のお気に入り。もっとも有名な「フィンランディア」、「交響曲第2番」を収録。あまり有名ではないけど、シンプルで森と湖の光景が目に浮かぶような「交響曲第3番」やシベリウスの田園交響曲とも言われる「交響曲第5番」も素敵。
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