北欧旅行(エストニア1):エリーザベトさんの旅行ブログ
デンマーク(コペンハーゲン)→フィンランド(ヘルシンキ)→エストニア(タリン)→スウェーデン(ストックホルム)→オランダ(アムステルダム、デン・ハーグ)→ベルギー(ブリュッセル、アントワープ、ブリュージュ)
現地で友人と合流して、一人旅から二人旅へ。
ヘルシンキのマカシーニ・ターミナルより、この赤いフェリーに乗りました。フェリーはそれ程大きくありませんが、ほぼ満席です。
客層も様々。ですが、東洋人は私達だけでした。
軽食販売もあったので、私達はそこでランチにしました。
1時間半でタリン到着!!
3カ国目のエストニアです。
本当に簡単にエストニアに来れちゃいました。
旧ソ連が解体前には全く考えられないことです
が、今では、こうして自由に観光にも来れるのです。嬉しい限りですね。
タリン港から、大勢の人が同じ方向に歩いていきます。私達もその流れに沿って歩きます。
入口には「ふとっちょマルガレータ」がありました。
名前の通り、本当にふとっちょです。
この建物は、町の最も重要な出入り口を守るために、1529年に建てられた砲塔です。
塔に穴が空いているのが見えます。
そこから、砲弾が発射されなくなってからは、倉庫や兵舎、監獄として使われていたそうです。
ここが、監獄として使われていた頃、囚人の食事を切り盛りする太ったおかみさんがいて、
彼女の名前がマルガレータといったそうです。塔の愛称も彼女に由来すると伝えられています。
現在は海洋博物館になっています。
私達は、ここから旧市街地に入りました。
タリン旧市街は、「トームペア(山の手)」と「下町」に分かれています。
その二つのエリアは「ピック・ヤルク(長い足)通り」と「リュヒケ・ヤルク(短い足)通り」の二つの通りでつながっています。
「長い足通り」の道のりは穏やかな長い道のりです。
「短い足通り」は短いけど急な坂道です。
これは、「キーク・イン・デ・キョク」。
低地ドイツ語で「台所をのぞけ」という意味です。
かつてはこの塔から、街の家々の台所を覗くことが出来たため、この名が付いたとの事です。
ピンクのこの建物は「トーム・ペア城」
9世紀に建てられた木造の要塞に始まり、13世紀に帯剣騎士団によって建てられた城です。
現在は、エストニア共和国の国会議事堂として使われています。
トーム・ペア城と向かいあうようにして建っているのが、「アレクサンドル・ネフスキー聖堂」です。
1901年ロシア帝国時代に建てられたロシア正教会。
エストニアではこの建物は異質なものですが、この教会は、残されたロシア人の心の拠り所となっているそうです。
また、常にロシアへの脅威を抱きながら生活しているこの国の人々の精神的象徴ともなっているようです。
城壁の外はこんな感じ。何もない・・・
こちらは、いかにも旧ソ連時代の雰囲気ですね。
タリンは城壁に囲まれた「旧市街歴史地区」は本当におとぎ話のような町ですが、一歩外に出ると、こんな感じです。
そういえば、チェコのプラハや、ハンガリーのブダペストもこんな感じだった。
やっぱり旧共産圏の国は、歴史を守ってきた地区と未開の地と、その差がとにかく大きいです。
もちろん、日本だって、京都や全国にある小京都のようなイメージの町は一部であって、そんな町でもちょっと外れたら、風情も何もないし、未開発であったり生活感漂っています。
けど、この極端な世界の違いには驚かされます
だからおもしろいのかな?
「下町」に戻ってきました。
下町といっても、イメージしている下町のような雰囲気はありません。
山の手は小高い丘に位置していますが、下町は土地の高さが低い。
昔はもっと格差があったのでしょうが、今はどちらもすごく上品な町に見せます
「スリーシスターズ」と呼ばれている建物でホテルになっています。女性的なつくりと、三つ並んでいることから「三人姉妹」と呼ばれているようです。
とてもドイツっぽい建物ですが、それもそのはず。
タリンがハンザ同盟に加盟したのが1285年。
以来ドイツ人の入植が進み、このような建物のスタイルになったようです。
タリンで一番の高級ホテルとのことです。
旧市街のゲートを出て5分で新市街のこの景色です。
本当に、城壁の中だけが、別世界なんですね。
タリンの現在の真の姿というか、活気を感じる場所はこちらでした。このターミナルビル周辺が新市街の中心のようです。
フィンランドのヘルシンキから、物価の安いタリンに買出しに来る人が多くいる、と聞きますが、
きっと買い出し先は、この辺りなのかな?
いずれにせよ、片道90分かけて、しかもフェリー代を支払ってまで来る価値があるということですよね。
そこまで安いかな?とも思ってしまいますが・・・。
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