2007/06/07 - 2007/08/07
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Riflettoreさん
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2007年夏、かねてから計画していた、ユーラシア大陸横断「 車で行っちゃおう!ヨーロッパ! 」に、友人一人を引き込み敢行。
富山から出るフェリーで極東ロシアのウラジオストックに渡り、広大なシベリアをハバロフスクまで北上、その後はひたすら西進、一旦どうしても行きたかったモンゴルに立ち寄った後、ロシアへ再入国。バイカル湖で遊んだり、エカテリンブルクで釣りをしたりしながら、大都市のモスクワやサンクトペテルブルクもついでに観光。
EU圏にはバルト三国の一番北にあるエストニアから入り、ラトビア、リトアニア、ポーランド、チェコを経てドイツへ。
今回の旅行は、日本からドイツ北部の友人宅まで約20,000kmに及ぶ道のりをひたすらドライブした記録。
車は知人から無償で譲り受けた1996年型三菱パジェロ2800ccディーゼルターボ。
この旅に持参した『 ニコンD40 』がウラジオストック到着早々に故障、旅の記録のほとんどを友人の 『 LUMIX DMC-FX01 』と携帯電話のカメラで撮影。
旅行記: ブログ http://silkvalley.blogspot.com/2007/06/voyage.html 〜
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
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車の通関手続きを済ませ、夕方6時出港のロシアのフェリー『 ルーシー号 』に乗船する。人の通関は船内で行うが、手続き後は外出可能との事で、見送りに来てくれた友達と港に面した喫茶店で時間をつぶす。
出港前、警備員から「生きて帰って来いよー!」と言われちょっと不安になる。
ロシアへのビザは、モンゴルに立ち寄る為、3ヶ月のダブルエントリー業務ビザ。モンゴルは3ヶ月観光ビザ。 -
実質『 ルーシー号 』は中古車運搬船、船倉、デッキ、プールの中まで車車・・・・
我がパジェロは一番最後に運び込まれた。
乗員を含めロシア人以外の外国人は、シベリア鉄道で帰ると言うスイス人旅行者 Kasper と我々の3人だけ。
1日半の船旅は、退屈だったものの、レストランでの食事が一番の楽しみで、出された料理も美味かった。 -
翌々日の朝、早めに目を覚ましデッキまで出てみると、船はすでに大きな入江内を航行している。貨物船も行き交い始め、しだいにウラジオストックらしき町が迫ってくる。
到着が早かった為、無いかなと思っていた船内の朝食にまでありつけ大満足。
いよいよ下船、巨大なユーラシア大陸、ロシア極東に上陸だ。 -
週末とロシアの建国記念日が重なり、役所が休みで通関が出来ない為、ウラジオストックには4泊する。
この間、市内を見物したり、簡単な食料や道路地図などの買い物をしたりして、活気溢れるロシアの町を満喫した。
ソビエト連邦時代の面影がいたるところに残るも、町の雰囲気や人々のファッションは自由圏そのもの。 -
6月14日(上陸5日目の朝)、準備完了! 最後に車関係の書類をチェックして、エンジンスタート。
ユーラシア大陸を駆け抜けるドライブが始まる。
ウラジオストック出発早々、郊外のポリスコントロールでチェックを受けるが無事通過。しばらく走ると、言葉に表現するのが難しいほど広大なシベリアの原野が出現する。
快適な国道60号線を順調に北上し、なかなか陽の沈まない750km先のイルクーツクには、その日のうちに着いてしまった。 -
大都市ハバロフスクはアップダウンが続く緑の多い町で、ウラジオストックに比べ、とてもきれいな町だった。
市内の交通量は結構多いが、ここも日本車がほとんどを占めるので、違和感はあまりない。マナーもすごく良い。
抱いていた予想に反して、気温は30℃以上、アムール川に出れば、河岸で日光浴をする人々がたむろしている。 -
アムール川を渡る橋はどこなんだろう?
道路地図はシベリア方面に関し、広域表示でハバロフスクの詳細図も無い。ローカルな標識の地名が理解できずに、行き先を訪ねながら市内を1時間近く右往左往した挙句、やっとの事で発見、ホッとする。(下調べが足りなかった事を反省)
大きなアムール川を渡る橋は市内の北にあって、視界が大きく開け、旅の期待を抱かせるてくれる。 -
チタへ向かうシベリア横断道路はアムール川を渡ると(大陸感覚の距離感で)しばらくは舗装が続く。時折、町が出現するものの景色は大平原とゆるい丘陵で、高層湿原を延々と走るような感覚だ。
シベリア鉄道もほぼ平行しているので、時々交差する。 -
ハバロフスク、チタ間の道路は工事中を含め1500kmがダート。
ここを通って日本から輸入された中古車がモスクワ方面へと絶え間なく運ばれている。しかも、できる限りのハイスピードで。 -
標識はチタまで1815kmとあるが、乾燥したダートはほこりがひどい。
道路の拡張化と舗装化は急ピッチで進んでいるが、なんと言っても広いロシア、当分この状態が続くだろう。 -
給油に関して気を揉む必要は全く無い。驚く事にこのシベリアでさえ、ガソリンスタンドは100kmに一軒は必ずと言っていいほどある。さすが世界一の産油国。
ロシアのガソリンスタンドは、あらかじめ給油量を伝え、料金を支払ったうえで給油するセルフサービスのシステム。親切に手伝ってくれる所もある。
たいていが飲み物などを販売しており、カフェやコンビニまで付設している所もあったりして便利。しかし、車を洗ったりする水道がほとんど見当たらなかった。 -
夕暮れ(とは言っても夜の9時頃)のカフェで居合わせ、食事の注文を手伝ってくれたイワン。今回はクラスノヤルスクまで荷物を運んで行くと言う。
とてもひょうきんなおじさんだが、あのヤクーツクとマラダンを結ぶとてつもない道路『 骨の道 』をもトラックで走るそうだ。
次の朝偶然再会したカフェでは、我々に朝食をご馳走してくれた。 -
ハバロフスクを出てチタまでの間は中古車を陸送する、いわゆる陸送軍団と抜きつ抜かれつの攻防。
彼らは路面の良いところでは早いが、そうでないところではクロカン四駆のパジェロに軍配があがるから、ほぼ同時進行。
顔見知りとなった彼らはとても人懐こい。 -
山間部になると、標高は800mぐらいになるが、日本の山と違って見通しの良い丘陵地。
ダートは無限に続く。 -
舗装をすれば片側3車線は裕に取れるくらい工事が進行している場所も多い。
シベリア鉄道が見えそうな場所を選んで休憩し、ドラバーの交代。 -
陸送軍団が仮眠している場所は安心できるので、我々も同じ場所で車中泊。
パジェロを車内で2名が楽に寝る事が出来るよう改造してあるから、結構安眠できた。もちろん食事はキャンプ道具を使って自炊。
陽が昇ると、だれが声をかけるともなく出発。じわじわと次の目的地チタに近づきつつある。 -
チタに近づくにつれ道路が俄然良くなり、安堵する。
コルホーズかソホーズの名残をとどめたような巨大農場や牧場なども目に入ってくる。
丘陵地の長い坂道を下るとチタの町が広がる。
チタではホテルをとって一泊し、たっぷりとシャワーを浴びた。
チタを過ぎると次の目的地はモンゴルへの玄関口ウランウデ。 -
ウランウデに一泊。ここからモンゴル国境まで約300km。この辺りにはアジア系の住人がとても多い。
ウランウデで給油した後、朝食をとる為に寄ったカフェのご主人も日本人と同じ顔をしていた。このカフェは、大きく青々とした美しい湖に面したグシノオゼルスクという町にあった。
ガソリンスタンドの側にあるポリスコントロールの警官までもアジア系で、停止を命ぜられるも笑顔で通してくれ、なぜか親しみが湧く。 -
カフェのご主人が、湖が一望できる高台で年に一度のお祭りがあるから、是非参加しろと勧められ、同行した。
そこはラマ教の神を祭る場所で、宗教儀式もあり、参加した人達は皆、心の幸せを願っていた。その後、皆で持ち寄った食べ物をご馳走になったうえ、お小遣いまで頂いてしまった。
モンゴルはもうすぐ!
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