2011/03/12 - 2011/03/12
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世界攻略者さん
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瑞麗から東に40キロほど行った先に畹町橋という橋があります。第二次大戦中に使用された中緬を結ぶ橋で、今でもその場所が国境ゲートとして使用されています。興味を持った私は畹町に向かうことにしました。もちろん過去の歴史を学ぶためではありません。「それ以外」の橋を見つけて対岸に渡り、今のミャンマーを知るためです。
**情報は2011年3月のもの。1人民元=12.3円で計算。
== 瑞麗の向こう側 シリーズ一覧 ==
① 瑞麗 - 中国の中のミャンマー
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10537955/
② 姐告 - スルッとミャンマー裏カジノ
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10537957/
③ 畹町 - ミャンマー気ままにフリープラン <==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10538910/
④ 一寨両国 - ミャンマー人大量輸送ルートをゆく
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10538955/
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[目次]
畹町橋
九谷への道
市場
お寺めぐり
対岸のビューポイント
廃墟カジノ
街歩き1
結婚披露宴
街歩き2
地図
まとめ -
[畹町橋]
瑞麗市には姐告以外にも、いくつか大小の国境ゲートがあります。その中で比較的有名なのが、瑞麗市の北東の端、畹町鎮にある畹町橋。瑞麗市街地からは、街を流している乗り合いワゴン(10元=120円)に乗って行けます。
途中、川を渡る手前で身分証チェックがあるので、パスポートは必要です。これは、おそらく国道320号を通って瑞麗から出る不法入国者を取り締まるためでしょう。川の後、小さな村をいくつか通過して畹町鎮に到着します。約40分。
畹町の口岸は、瑞麗江を渡る小さな橋。普通の道路の橋(写真)と、その右隣に鉄のフレームに木板を並べた古い橋があります。ここを渡った先が、ミャンマーの九谷(現地名、パンサイ)です。 -
この古い方の橋(写真)は、かつて昆明とビルマを結んだ道の入国ポイント。戦時中は中国への支援物資の輸送に使われました。観光スポットになっていて、その脇には免税店と橋の歴史をまとめた展示があります。旅行者は、橋の真ん中まで行くことができ、ここで記念写真を撮るのが定番です。
この国境、現地人がたまに通過するだけで実に静か。川は浅く幅も狭いので、わざわざ橋を渡る必要がないのかもしれません。 -
[九谷への道]
地図を見ると、1キロほど瑞麗方面に戻った先にも小さな橋があります。三輪タクシー(3元=37円)でそこに行ってみることにします。この場所は、現地で「一公里(1キロ)」と呼ばれる場所で、川沿いに小さな公園と国境90号地点の石碑(写真右)があります。以前あった橋は、今はないようです。
「ここから越境するな」の警告看板(写真左)もありますが、公安や国境警察らしき人は見当たりません。状況から察するに、ここがミャンマー人ご用達の越境ルート(矢印)のようです。 -
川幅は15メートルほど、一番深い所で膝下10センチくらい。みんな手前で靴を脱ぎ、ズボンを巻くりあげてから、ズカズカ歩いて川を越えていきます。公園からその様子を見ていると、一人の男性が声をかけてきました。「どうだ、行かないか?」。
彼はここで働く運び屋のひとり。小額のお金で荷物や人を対岸まで運んでくれます。「向こうに警察はいないのか。問題ないのか」念のため聞いてみます。彼の答えは「大丈夫だ」。運び屋に背中を押され、私も向こう岸に渡ることにします。おんぶ代3元(37円)。 -
対岸に到着後、畑の間の道を2,3分歩くと、検問所のような小屋が見えてきます。前を歩く現地人は、チビッコ兵士のような若い男性にお金を渡しています。私も言われたとおり、1元渡して先に進みます。これはどう理解すればいいのか..。「当局のお墨付きを受けた」とポジティブに考えることにしておきます。
その小屋の先が小さな広場になっていて、売店と客待ちする三輪タクシーがいます。
写真: 左:売店・食堂、中央: 検問所、右:黄色い三輪タクシー、奥: 越境ポイント。 -
広場から街の中心に向かう道が伸びているので、そこを歩きます。ここはミャンマー。家の表札(住所?)も看板もビルマ語が中心です。2,3分歩いて、両側に商店が並ぶ賑やかな場所に到着しました。
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[市場]
十字路の右側にあるのが、この町のマーケット。いかにもミャンマーらしい2階建市場ビルがあります。 -
ビルの中は薄暗い商店街。店の人はマージャンやトランプに興じており、あまりやる気が感じられません。売られている品のほとんどは中国製。売店でいえば、ミャンマー製はインスタントコーヒーとタバコくらい。中国語は通じるし、人民元も使えます。ミャンマーだからといって、何の用意も要りません。
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市場の横には、食堂街があります。ここで遅い昼飯を食べます。
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看板に書かれている肉団子スープ(5元=62円)を注文。物価は対岸と同じか、ほんの少しだけ高いくらい。 しばらく前から、どこかのスピーカーから何か説法のようなものが流れています。モスクじゃあるまいし..、どこかのお寺でしょう。食事を終え音の聞こえる方向に行ってみることにします。
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[お寺めぐり]
市場の角を右に曲がり、まっすぐ行くと、奘房とその奥に金のパゴダ(写真)が見えてきました。 -
この日は何か特別な日なのか、若い僧侶が仏像のあるホールで、来客待ちしています。
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ここまで、瑞麗周辺で寺院をいくつか回りましたが、院内にたくさんの僧侶がいるのはここが初めて。やはり、ミャンマーのほうが、まだまだ仏教が盛んなのでしょう。
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お堂のある奘房の二階から畹町方面を見てみます。向こう側は豊かな中国。川のこちら側に住むのはどういう感覚でしょうか。運命として割り切るか、ミャンマーのいい点を強調して納得するか。日々の生活に精一杯で、そんなこと考える余裕もないかもしれません。
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市場に戻り、もうひとつ寺を発見。十字路をまっすぐ上に進むと、左側に寺の建物が見えてきます。この寺の名前は慈雲寺。門構え、寺の外観、どれをとっても寺らしいお寺です。これまで見てきたタイ族風の奘房とはちょっと毛色が違います。
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やはり今日は特別な日なのか、お堂の中で、法事のようなものが行われていました。戸棚に並ぶお経の巻物も、どうも中国語で書かれているようです。とっても中国らしいお寺です。
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今日は時間も遅いので、この辺で撤退します。検問所は、行きで1元払っているため「顔バス」。最後、自分で川を渡って対岸に戻りました。公園の先には、越境してきた人目当ての三輪タクシーや瑞麗行きのワゴンが並んでいます。ここは、畹町橋やバスターミナルと並んで、集客の期待できるスポットのようです。瑞麗行きのワゴンに乗り込み、ホテルに戻りました。
1時間ほど歩きまわった感じでは、九谷への越境は実に気軽なもの。これだけ距離が近く交流が盛んだと、細かいルールに気を使う必要はないのかもしれません。 -
[対岸のビューポイント]
翌日、再度畹町へ行き対岸の街歩きを再開します。その前に、畹町側にある丘に登り、九谷の街のレイアウトを確認しておきます。バスターミナル手前の坂道を少し登ると、左側に丘の上に行く道が出てきます。15分ほど歩いて、丘の中腹にある南洋機工記念碑(写真)に到着です。 -
ここから対岸の九谷の様子を見てみます。街の規模は畹町と同じくらい。川を挟んだ兄弟のような町です。畹町のビル群のすぐ先には、カジノ関係と思われるホテルや建物(左下)があります。昨日歩いたエリアは、その右側の集落(右上)です。金色のパゴダも確認できます。
写真: 青い線が国境の川。 -
左下に見える土の道路が畹町橋の国境から九谷市内に伸びる道。この奥の集落と昨日の集落(右側)は、どこかで繋がっているはずです。
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[廃墟カジノ]
とりあえず、カジノのある建物を対岸から見てみることにします。バスターミナルの右側の道を川まで進むと、目の前に対岸のホテルが現れます。施設が営業している様子は全くなし。カジノの摘発を受けて閉鎖されているようです。
ここにも、川を渡る道があり、現地人が靴を脱いで越境して行きます。畹町橋はここから50メートルも離れていませんが、誰かが見張っている訳ではありません。勇気を出してサクッと渡ります。 -
九谷側にあるのは、カジノの一大コンプレックス。カジノ施設、付属ホテル、敷地内の商店街、従業員宿舎などが集まっています。閉鎖から時間が経っているようで、どの建物も中は空っぽ、窓は割られ廃墟と化しています。手元の地図では、このカジノのある敷地は、なぜか中国の領地になっています。Google Mapではミャンマー領なので謎です。
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放置されたゲーム台の山。おそらくバカラ。
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ホテル前には、荒れ果てた商店街(写真)が。なぜかここに住んでいる家族がいるので、近くに行ってみることにします。決してホームレスではありません。 飼い犬の威嚇を受けながら、手前を通り過ぎようとすると...見事に後ろから噛まれてしまいました。犬に威嚇されることは日常茶飯事ですが、実際に咬まれるのは久しぶりです。何か殺伐とした空気を感じたので先を急ぎます。
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奥(畹町橋と反対方向)に歩いていくと、ひとつ小さな発見がありました。川沿いに大きな看板がある場所があるのですが、そこと対岸の畹町農貿市場が梯子で結ばれています(写真)。つまり、靴を脱がなくても渡れる場所があったのです。九谷の村の人が、中国側で買い物するのに便利そうです。中国まで来ないと手に入らない商品もたくさんあることでしょう。
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少し歩くと、すぐにカジノの敷地の端に到着します。ここには鉄柵とゲートがあり、そこを抜けると川沿いの道があります。その後、左上に登る道が見えてくるので、そこを進み九谷の集落の中に入っていきます。この道をまっすぐ行けば、検問小屋そばの広場に到着します。
移動中、九谷側から畹町の街を見てみると、やはり中国側の発展具合が目につきます(写真)。ミャンマー側で高い建物といえば、さっきの廃墟ホテルくらい。でも北朝鮮などど違い、ここには、いつでも国境を行き来する自由があります。 -
[街歩き1]
市場まで行き、今日の街歩きスタートです。市場の南側の道が九谷を貫く大通り。ここを中心に探索してみます。坂の上の方から子供の声が聞こえるので行ってみます。前回気づきませんでしたが、慈雲寺のすぐ隣が小学校になっていました。 -
校舎は、上半分が竹でできた面白い建物(写真)。外では、行進の練習のようなものが行われていました。男子は私服ですが、女生徒は緑のロンジーを穿いています。体育の時間は何を着るのでしょう。
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学校を南門から抜け、坂を下るほうに歩くと、市場南の大通りに合流します。そのまま歩き続けると、左側に別の小学校(中学校?)と、その反対側に警察署が見えてきます。警察前を慌てずそのまま素通りし、さらに歩くと、右側に教会が見えてきました。
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この協会の名は、カチン・バプティスト教会。ドアには礼拝のスケジュールが張ってあり、ちゃんと活動しているようです。この辺りは、畹町橋から奥に進んだ辺り。国境ゲートで「あの先に行ってみたい!」と感じた好奇心は、すでに達成されたことになります。来て見れば、特に変わったところのない、普通のミャンマーの村でした。この教会の裏の山にも家がたくさんありますが、無理をせず、より「安全」を感じる市場側の集落に戻ることにします。
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大通りを進み、途中で左側の斜めの道に入ると、再び慈雲寺と小学校の裏側を通過します。その道をずっと奥まで進むと、ガソリンスタンドを経て、丘の上の廟のような場所に出ます。数匹の荒っぽい犬の手厚い歓迎を受けながら、上まで登ると...特に見るものはありませんでした。その代わり、この辺りから九谷の街を見下ろすことができます。畹町同様、川と山に挟まれた狭い場所に、町が広がっています(写真)。
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同じ道を戻る途中、集落の奥に小学校へ続く階段に気づいたので登ってみます。この小学校(写真)の名は果文仏教学校。この小さな町に、なぜたくさん小学校があるのか..不思議です。民族ごとに分けているのか、宗教毎に学校があるのか..。よくわかりません。
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[結婚披露宴]
その小学校の斜め前が公民館のような施設になっていて、今日は結婚パーティが行われていました。入り口には、背広とウェディングドレスを着た新郎新婦が客を迎えます。中の建物では、テーブルがいくつも並べられものすごい人出。近所の人すべてと親戚の親戚までいるような感じです。 -
奥の調理場では、6つの大鍋がフル稼働。それぞれの鍋で大量のおかずが処理されています。こういう公共の場所や、奘房の近くの建物には、必ず大きな厨房があり、祭りや祝い事に対応できるようになっています。
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厨房には、少なくとも20人ほどの女性が、おそらくボランティアで調理に皿洗いに精を出しています。ここまで、コミュニティが密だとさすがに軽々しく離婚などできません。
来客は登記所のような所で、お金を払い中に入ります。5000-6000チャット(500円)ほど払っている人や家族が多いようです。物価を考えると、半分実費、半分ご祝儀といったところでしょうか。 -
この公民館の端から街を見下ろすとこんな感じです。真ん中に見える道路の左に慈雲寺の屋根が見えます。この辺は比較的賑やかなエリアで、竹壁の家はあまり見当たりません。
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[街歩き2]
市場を東に抜けた辺りをブラブラていると、奇妙な風景に遭遇しました。道を歩いている女性が、皆プラスチックの籠を持って歩いています。日本では、銭湯に持って行く感じの小型のものです。はて..買い物籠としては小さすぎるし..。中には茶碗があるだけ。おかずを買いに行くにしては、茶碗が小さすぎるし...。 -
女性達が歩いてくる方向に行ってみると、小さな廟のようなものがありました。中には、お坊さんの写真と七夕のように木に吊るされた紙幣が飾ってあります。
どうも女性達は、茶碗一杯のお米や線香、食べ物類を持ってきて、ここにお供えしているようです。やはり、ここ2,3日は何か特別な日のようです。 -
お米よりも目がいくのが、壁側に飾られた掛け軸のようなものに、本物のお札を何枚も使って模様が作りこまれています。使われている紙幣は100チャット、200チャット、1元札、5角札など。ここでも国境の町らしさが発揮されています。
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大通りに出ると、中学生が下校してきました。今日もたっぷり遊んだので、私も帰ることにします。
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最後に市場に寄り、再び肉団子スープを食べます。一匹の犬が私の肉団子を物欲しそうにみて、必死でアピールしています。ここ最近の中国のペットブームは異常です。都会のペット犬は、まだおとなしいからいいのですが。田舎や農家でなんとなく飼っている犬は、たまにガチでKYなのがいるから注意が必要です。
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偶然にも雲南省は狂犬病のメッカ。しかも、私が今日咬まれたのは中国政府のコントロールの効かないミャンマーの地。「狂犬病」の三文字が頭を過ぎります。事後に予防接種を受けるとなると、5回も注射が必要で非常に面倒くさい。....ったく、公安より性質が悪いな。でも死ぬよりはましです。
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[地図]
ここまで紹介した場所を地図に書くとこんな感じです。
赤い点: 上から一公里の公園、検問所、警察署、公民館。
黄色い点: 上から記念碑の丘、畹町市場、カジノ、小学校2、小学校1、小学校3(仏教)、丘の上の廟。
青い点:左から、パゴダのある寺院、小さな廟、市場、慈雲寺、バス・ターミナル、教会。
赤い線:川を歩いて渡るルート。
青い線:畹町橋の国境 -
[まとめ]
食事を終えた後、カジノから畹町市場に渡る梯子の道を通って中国に帰国します。これで2日間に及ぶ対岸の冒険は終了です。畹町・九谷は瑞麗近辺では、比較的「ミャンマー自由旅行」がしやすい中規模の街といえそうです。絶対安全とは言い切れませんが、まあ大丈夫と言っていいレベルです。ただし、運悪く当局に拘束された場合は、シャレにならない結果が待っています。個人的には注意すべきは警察ではなく、放し飼いされた犬だと思うのですが..。いずれにせよ、安全に気をつけてよい旅を。 -
[リンク集]
==中国旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album?dmos=os&level1=1&level2=2&level3=&sort=when
==海外旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album?dmos=os&sort=when&view_mode=list
==国内旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/?dmos=dm&sort=when&view_mode=list
==雲南旅行記==
虎跳峡の歩き方 全3作
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10523702/
麗江逃票日記 全6+3作
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10527829/
梅里雪山を巡る旅 全5作
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元陽棚田トレック 全4作
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雲南 少数民族マーケットハンター 全3作
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中国国境のカジノタウン 全3作
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10573770/
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