日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の卑弥呼伝説の箸墓古墳周辺:さすらいおじさんさんの旅行ブログ
箸墓古墳(はしはかこふん)は卑弥呼(ひみこ175−248年頃)の没年に近い3世紀半ば頃造られたとされる、墳長約278m、後円部は径約150m、高さ約30m、前方部は前面幅約130mで高さ約16mの大型前方後円墳だ。蜀漢・西晋の官僚、陳 寿(ちん じゅ233−297年)の著書・『三国志』中の「魏書」(全30巻)の東夷伝倭人の条=魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に伝えられる倭国の女王「卑弥呼」の墓ではないかと邪馬台国畿内説の学者たちが予測している。
箸墓古墳は現在宮内庁により『日本書紀』に記載されている第7代孝霊天皇(こうれいてんのう・紀元前342年−紀元前215年)の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはかー生没年不詳)として管理されているが3世紀半ば頃に造られた墓とすれば年代が400年以上異なる点が疑問だ。
しかし一方で倭迹迹日百襲姫命には巫女としての神話があり、紀元前92年に崇神天皇(すじんてんのう・紀元前148−紀元前29年)の依頼で災害の原因を占い三輪山の大物主神を祀ることを進言し、崇神天皇は大物主神の娘・大田田根子(おおたたねこ)を大神神社の神主にすると災害がなくなったとされる。
また崇神紀十年の条の箸墓伝説では倭迹迹日百襲媛命は大物主神の妻となるが大物主の本体が蛇であることを知って驚き、妻は箸が刺さって死んだため葬った墓が「箸墓」と呼ばれるようになったとしている。
このような巫女としての神話からも倭迹迹日百襲媛命を邪馬台国を治めた卑弥呼とする説が生まれている。
神話と実話が混在している時代のことだが、神の山・三輪山一帯が邪馬台国で箸墓古墳(はしはかこふん)が「卑弥呼の墓」だったとすれば卑弥呼は世界各国の宗教で出現している「神の化身」や「預言者」と同様な存在だったのだろう、と想像が膨らむ。
(写真は箸墓古墳)

さすらいおじさんさん、今晩は!
さすらいおじさんさんの箸墓古墳前の光景。びっくりしました。
2,3ヶ月前に夢で見た光景とまったく同じでした。行ったことありませんが、この写真の光景は覚えています。こんな事ってあるんですね。

黒鯛釣師さん
あけましておめでとうございます。
箸墓古墳をごらんいただきコメントをありがとうございます。
箸墓古墳前の光景を夢でごらんになられたとは驚きです。
この時代は崇神天皇も卑弥呼と同一人物ではないかといわれている倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)も夢でのお告げを大切にして三輪山を御神体とする大神神社の創建など重要な国事を決めていたようですね。
黒鯛釣師さんの夢に箸墓古墳が現れたのも何かのお告げかも知れませんね。お告げらしきものはありませんでしたか?いいことの予兆かもしれませんね。
今年が黒鯛釣師さんにとって良い年でありますことをお祈りします。
現在、トラックバックはありません。