日本の旅 みちのく文学を辿る【7】 青函トンネルの吉岡海底駅と青森市:さすらいおじさんさんの旅行ブログ
青森〜函館間を結ぶ「青函トンネル」は全長53.85km、海面下240m。
1946年4月の地質調査開始から1988年3月からの津軽海峡線開業まで42年の歳月をかけて建造された、ドーバー海峡トンネル49.2kmを凌ぐ世界一の全長距離を誇るトンネルだ。工事は困難を極め1964年の工事開始からでも完成まで24年を要している。極めて困難と考えられた工事を完遂させた一つに1954年9月26日に発生した「青函連絡船・洞爺丸事故」がある。台風15号(洞爺丸台風)によって洞爺丸は転覆沈没し乗員乗客1314人中1155人が亡くなるという悲惨な事故だった。さらに、僚船第十一青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸の4隻も転覆沈没し、全5隻の犠牲者は1430人となり戦争を除けばタイタニック号沈没に次ぐ世界第二の規模の海難事故だった。この事故をきっかけに、本州と北海道を地続きにする青函トンネル構想が急速に具体化されたのだがこの経緯は岩川隆の原作で1982年に映画化され高倉健と吉永小百合がトンネル技術者夫婦役で主演した映画「海峡」に詳しく描かれている。私はこの映画を見て是非トンネル内の海底駅を見たいと思っていた。津軽海峡線に乗り北海道側の海底145mの吉岡海底駅で途中下車したが、工事のプロセスが解り易く展示されており、丁寧な説明を受けたうえに「青函トンネル体験証明書」というパスポートのようなものももらった。海底駅の見学は、難工事の状況と日本の技術力の高さを改めて認識した体験だった。
青森市の街並みを津軽海峡線に乗る前に歩いた。青森市は寺山 修司(1935−1983年、劇作家、詩人、作家、映画監督)が幼児から高校を卒業するまでの大半を過ごした街だ。9歳で父を亡くし母がベースキャンプに出稼ぎに出たため幼くして一人暮らしをしたり青森県歌舞伎座に引き取られ、扶養されたりしている。1969年にカルメン・マキが歌って大ヒットした「時には母の無い子のように」は寺山 修司の子供時代の母のいない寂しさを詩にしたように思う。詩もメロディーも素晴らしい曲だ。
時には母の無い子のように」
寺山修司 作詞 田中未知 作曲
時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない
時には母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように
大きな声で叫んでみたい
修司が青春時代を過ごした青森市をみることができたのは良かった。1997年7月には修司が生まれた三沢市に、母・はつより寄贈された修司の遺品を保存展示する「寺山修司記念館」が設立されたそうだが、一度足を運んでみたいと思っている。(写真は津軽海峡線の車窓から見る光景)
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