中国・長江三峡下りの旅【3】 白帝城の瞿塘峡と三峡ダムの西陵峡:さすらいおじさんさんの旅行ブログ
瞿塘峡は三峡の中で最も短く、最も狭く、最も雄大な峡谷で四川省奉節の白帝城から巫山大渓口まで全長8キロ。断崖絶壁には歴代の名書家の書の石刻があるが三峡ダムによる60mの水位アップによって今では水底に沈んでしまったかもしれない。
前漢時代に築かれ2000年の歴史を持つ白帝城には約20分で800段の石段を登った。現在は50m水位が上がり、石段がかなり水没し、10分前後で上まで登れるようになったそうだ。
白帝城の門の前には周恩来筆という李白の有名な詩碑があり、現地ガイドが朗々と詠んでくれた。
「早発白帝城 李白」
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
「早(つと)に白帝城を発す 李白」
朝(あした)に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還る
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
軽舟已(すで)に過ぐ万重の山
李白の「早発白帝城」は中学時代に杜甫の「春望」とともに最初に習った漢詩なので懐かしく、ついに白帝城まで来たことに感無量であった。杜甫も李白も楊貴妃とのロマンスで有名な玄宗皇帝に仕えるが、安禄山の乱に巻き込まれて不遇の身となり放浪旅の詩人として不遇の身から歴史に残る素晴らしい詩を残した。日本の放浪旅の俳人、松尾芭蕉も杜甫、李白を尊敬していた。「詩仙」李白の「白髮三千丈」「千里の江陵一日にして還る」という桁違いにダイナミックな表現は中国の雄大さを代表するものだろう。
白帝城には「劉備、諸葛孔明に孤を托す」の場面を表した像がある。中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍略家、諸葛 亮・孔明(しょかつ りょう・こうめい、181−234年)は蜀漢の建国者である劉備の「三顧の礼」に応えて丞相となったことは有名だが、劉備が白帝城で死の直前に息子劉禅と国事を托した場面を見ると、中国に於ける政治家・軍略家としての諸葛孔明の評価の高さを改めて教えられる思いがした。
三峡ダム計画は中国らしいダイナミックなものだ。1919年に孫文が提唱し、1954年の長江大洪水をきっかけに建設機運が高まり、1950年後半に旧ソ連の援助でダム建設の調査が行われた。1993年に着工し、2009年に完成予定。「万里の長城」建設以来の大工事と言われる。三峡ダムの総貯水量393億立方メートルは、日本にあるダムの貯水総量のおよそ2倍にも相当、2003年6月1日より貯水を開始している。ダム建設の目的は長江(揚子江)の本流のダムにより、洪水調節、水力発電、水上交通、灌漑などの便益を得ようとするもの。完成時の三峡ダムは、長さ3035m、高さ185m、発電ユニット26、年間発電量は世界一で847億KWH(日本の水力発電量全体とほほ同じ)、移転が必要な人口は約130万人。三峡ダムによって揚子江流域の姿は一変し、古代からの遺産や景観が水没するのは残念だが、こんな大河にダムを造ろうと発想する孫文、そしてそれを実行する中国国民のスケールの大きさはやはり万里の長城を築いた国ならではのものだと思う。
2002年9月の旅では水没前の古代の姿のままの三峡を見ておこうとしたのだが、思いが叶って今また喜びを新たにしている。(写真は白帝城から見る長江)

2003年6月からダムの貯水が始まり現在50m水位が上がっているらしいですね、どのような光景になっているのでしょう。
私は、三峡が締め切られる前年(97年)にいきました。
「白帝城」も籠なしでいけるようになるでしょうから、その風景を見にもう一度訪れたいと思っています。
なお、ご存知だと思いますがこの門の横には郭沫若先生筆の「白帝城」があります。

花やんさん 三峡をご覧いただきありがとうございます。私も現在の長江がどう変わったのか、また見てみたいと思います。
>なお、ご存知だと思いますがこの門の横には郭沫若先生筆の「白帝城」があります。
私は李白の詩碑ばかり見ており感激してまして、郭沫若先生筆の「白帝城」には気がつきませんでした。お教えいただきありがとうございます。次回チャンスがありましたら、ゆっくり見たいと思います。
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