祈りの島、自然が残る島、五島列島の旅 3−2:るりさんの旅行ブログ
福江に向かう途中の岩場では釣り人が・・・
大波が来たらどうするのかしら?船の中からきこえてきます。
浸食された岸壁裏の発見されにくい場所にありました。
キリシタン迫害の際、付近のカトリック信者が弾圧を逃れ、隠れ住んだといわれています。
ある日、炊事の煙りを沖にいた漁師に見つけられ、処刑されたそうです。
車窓から。
上五島に比べると平野部が多く、田、畑も作られています。
お米は2毛作で漁師より農業が多いそうです。
タバコ、高菜、アスパラ、五島牛、お茶等が作られています。
堂崎天主堂 (明治41年築)県の文化財に指定されています。
禁教令解除の後に建てられた、五島最古の洋風建築物です。
堂内は撮影禁止でした。
堂内はこうもり天井ですべての窓にステンドグラスがはめられています。
今はキリシタン資料館になっています。
マルマン・ペルー像(復活の夜明け)
1873年キリシタン禁制高札撤去後の日本宣教は、パリ外国宣教会によって行われる。
堂崎にはフレノ師につづき初代主任司祭マルマン師が訪れた。
マルマン師(向かって左側)は1877年より約10年間下五頭全域の宣教、潜伏キリシタンの復帰に努めながら、奥浦慈恵院へと続く孤児・貧児の救済事業を始めた。
1888年よりペルー師(向かって右側)が2代目主任司祭となり、1899年には井持浦に日本最初のルルド建立、1908年5月10日に現在の赤レンガゴシック様式堂崎天主堂を献堂し30年に及ぶ宣教司牧の日々を堂崎に捧げた。
五島キリシタン復活の礎となった二人である。 「説明版」
五島出身の殉教者、ヨハネ五島の像
秀吉のキリシタン禁止令による弾圧で1597年長崎で26人のキリシタンが殉教し、この中のひとりヨハネ五島は五島で生まれ育った19歳の若者でした。
鬼岳です。(鐙瀬溶岩海岸の展望台から)
500万年前に噴火した火山の上に5万年前の臼状火山(ホマーテ)が重なり合ってできたものです。
鬼岳、火ノ岳、城岳、箕岳、臼岳からなっています。
その中の鬼岳は標高315m、芝生で覆われた形の美しい山です。
鬼岳のふもとにある鐙瀬溶岩海岸です。(あぶんぜようがんかいがん)
鬼岳火山から流出した溶岩が、青く澄み切った海に流れ込み、変化に富んだ海岸線を形づくっています。
至る所に亜熱帯性の植物が生い茂っています。
不思議な光景です。
福江港に接岸中のジエットフオイル(ぺがさす)
80分ほどで長崎港に着きました。
自然と海鮮グルメを堪能し、祈りの秋を満喫して帰路につきました。 つづく グルメ編

るりさん はじめまして!
五島列島・棚田と少しずつ、読ませていただきました。
いつかは、行きたい五島なのですが、
こういうツアーがあるとは!
便利でいいですね。
朝ごはんも美味しそうなものばかり。
海老に、釘付けになってしまいました。
ゆっくり、他の旅行記も読ませていただきますね。
ありがとうございました。
ばばろあ♪

ばばろあさん はじめまして。
ご訪問いただきありがとう御座いました。
長崎にいらしたのですね。
次回はぜひ五島列島まで足をのばされたら?
食べ物も新鮮で、海もきれいで自然がいっぱいの信仰の島でしたよ。
ライトアップされた洋館とバラって素敵ですね〜。
黒いバックに浮き上がる深紅のバラ、写真もお上手ですね。
私は夜景がどうも苦手で・・・
これからもどうぞよろしくお願い致します。 るり

るりさん、今晩は!
弾圧を受けながら、それでも信仰心をよりどころとして強い信念で迫害や処刑を受けても、神の元に召される事を信じ・・・・当時のキリシタンの人々の一途な思いに 頭が下がります。

黒鯛釣師さん おはようございます。
わたしもそう思いました。
頭ヶ島教会は安く上げるために島にある砥石を切り出して、信者の方が10年の歳月をかけて造ったそうです。
今も変わらない五島の人達のキリシタン信仰の深さを垣間見ることが出来た旅でした。 るり
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