飛騨越え(前編) 甲府・諏訪・松本:倫清堂さんの旅行ブログ

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飛騨越え(前編) 甲府・諏訪・松本

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飛騨越え(前編) 甲府・諏訪・松本

3月12日から予定していた奈良旅行が、11日に発生した巨大地震によって中止となりましたが、交通機関が驚くべき早さで復旧したおかげで、5月の連休に計画していた旅行は、多少の修正だけで実現が可能となりました。

29日から1週間の日程というのも可能でしたが、事務所をあまり長く空けすぎるのも心配だし、30日に行われる地元の行事に参加したかったこともあって、30日の夜行バスで出発し、6日の朝に帰る日程を組んだのでした。

夜行バスは、以前に1度だけ利用したことがあり、あまりの居心地の悪さに二度と乗るまいと決めていましたが、今回は片道だけなので我慢することにしました。

案の定、仙台から東京までほとんど眠れず、余震の影響で普段から熟睡できない体には、旅の最初からかなり負担となっていることが分かります。

今回は主にレンタカーを利用して、内陸部を見て回る予定なので、長時間の運転のことを考えても少し不安になります。

エリア: 甲信越 >>山梨県 >>甲府・湯村 >>甲府
テーマ: 歴史・文化・芸術
時期: 2011年05月01日〜05月02日
投稿日: 2012年01月05日
写真: 全74枚
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    昇仙峡 甲府駅
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    池袋でバスを降りると、少し雨がぱらついていました。

    まだ早朝5時台だというのに、駅にはたくさんの人があふれていました。

    新宿から各駅停車の中央本線に乗り、八王子で1回乗り換えて甲府へ向かいました。

    甲府駅では、武田信玄像が迎えてくれました。

    駅近くのレンタカー事務所で車を借り、最初の目的地である昇仙峡に向かいます。


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    昇仙峡
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    最初の予定では、昇仙峡は目的地に入れていませんでした。

    しかし調べてみると、甲府市街から意外に近いことが分かり、1日の始発で仙台を出たとしたら無理ですが、少し無理をして高速バスに乗ればここも散策できると思い、決めた次第です。

    昇仙峡が最も美しくなるのは秋。

    今は季節が違うため、渋滞にまき込まれることもなく無事に到着しました。

    初めての土地なので、どこまで車で入れるのかも分かりません。

    とりあえず県営の大駐車場に車を停め、歩いて散策することにしました。


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    土産物の店から直接散策道へ降りられる階段を利用させてもらい、まずおとずれたのは羅漢寺。

    ここには木造阿弥陀如来像や、五百羅漢像が安置されております。


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    昇仙峡
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    それから道を反対側に進み、上流を目指すと、昇仙峡のシンボルである覚円峰が迫って来ました。

    澤庵禅師の弟子、覚円が頂上で座禅を組んで修行したことから、この名前が付けられました。

    沢にはいくつもの巨石が横たわっており、この辺りは古代、巨石信仰の場所であったような気もします。

    ただの景勝地ではない、厳かな空気の流れを感じたのでした。


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    30分以上は歩いたでしょうか。


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    昇仙峡 仙娥滝 樹光庵
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    昇仙峡の最奥部、美しい眺めを持つ仙娥滝に到着しました。

    仙娥とは、シナの神話に登場する月の女神のことで、その名の通り滝の眺めは女性的な優雅さを持つものでした。

    車まで引き返す途中、休み処の店員さんに声をかけられ、一息入れることにしました。

    店の前にはなぜかゴジラの石像がありますが、実際はほうとうを食べさせてくれる本格的なお店で、名前は樹光庵と言います。

    ここの店長がとても熱心な方で、土産物選びも親切にアドバイスしてくれました。

    もちろん値引きやサービスも。

    知らない土地を旅する時、こういうふれあいの一コマがあるのが、とてもうれしいものです。


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    駐車場へ戻り、近道を利用させてくれた店でも買い物をした後、予定よりも早く散策が終わったため、当初は目的地に入れていなかった場所を目指すことにしました。

    車を甲府市街とは逆の方に進めると、ほどなく夫婦木神社が見えて来ました。


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    御祭神はイザナギ大神とイザナミ大神で、境内には男女両性の象徴とよく似た形の御神木があります。


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    男性の方の御神木を見るために拝観料を支払い、本殿まで進むと、神職のおばあさんが前の拝観者に熱心に説明をしていました。

    順番を待って、樹齢千年の栃の御神木に近づき、内部の空洞に入ると、巨大な男根が上から垂れ下がっているのに驚きました。

    これが人の手によるものなら驚きもしないのですが、自然の造形に作られたものだというのだから不思議です。

    これに触りながら子宝を願うと、望みがかなうとのことです。

    本殿の内部には、ここで祈願して子宝を授かった全国の人たちから送られた、子供の名前が書かれた幕が、数え切れないほど掛けられていました。


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    金峰山 金櫻神社
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    夫婦木神社の少し先に、金櫻神社が鎮座しています。

    御創建は崇神天皇の御代、全国で猛威を振るった疫病を収めるため、天皇は諸国で祈願を行い、甲斐国においては金峰山の山頂に医薬の神、少彦名命をお祀りしました。


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    その後、日本武尊が東国平定の旅の途中に立ち寄られ、国土開発の神である大巳貴命を合祀しました。

    今回参拝したのはその里宮で、こちらは雄略天皇の御代に開かれたものです。

    そして、文武天皇の御代に蔵王権現が合祀され、日本三御岳の一つとして知られるようになりました。


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    参道の石段を登ると、異国情緒がただよう龍の像が、左右に立てられているのが見えます。

    これは最近になって崇敬者が奉納した像ですが、本殿には左甚五郎による「昇り龍・下り龍」(焼失後復元)の像があり、それを模したもののようです。


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    昇仙峡
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    また、この神社は日本における水晶発祥の地を名乗っており、御神宝である「火の玉・水の玉」は昇仙峡で発掘され磨かれた水晶であるとのことです。

    神社は武田家代々の祈願所とされ、その滅亡後は徳川家康公によって、変わらぬ厚い加護が約束されました。


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    境内にある「鬱金の桜」が、ちょうど黄金色の花を咲かせていました。


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    金櫻神社 昇仙峡
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    昇仙峡から甲府市街へと戻る山道の途中で一か所だけ、運転しながら甲府盆地が見渡せる場所がありました。

    昇仙峡金櫻神社を訪れた武田晴信公も、帰り道にきっと眼下に広がる領地を一望し、領民の平安を祈ったことだと思います。

    旅行1日目の午後は、甲府にて武田信玄こと晴信公の足跡をたどることにします。

    武田晴信公は武田家19代目当主。

    武田家は由緒ある清和源氏の流れにあり、己の実力はもちろんのこと、有能な家臣にも恵まれていたことから、彼は上洛と天下統一の志を早くから抱いていたと思われます。

    前当主信虎公は、国内に割拠する土豪を平定し、甲斐の制圧を実現した人物です。

    大永元年、隣接する今川領から侵入した福島正成との合戦の際、懐妊中の夫人は石水寺に難を避けて滞在していました。

    そこで生まれたのが、晴信公です。


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    現在は積翠寺と改められていますが、産湯に用いられた井戸が現存しています。


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    晴信公は嫡子とされましたが、父信虎公の寵愛は次第に弟の信繁公に移ってしまいます。

    晴信公の性格があまりにはっきりしており、才気煥発であったため、父の心には警戒心が生じていたのでした。

    そこで晴信公は、わざと周囲から見下げられるよう、「うつけ」の振りをしていたというのですから、あの織田信長公と同じ苦労があったようです。

    信長公は父の死によって家督を得ますが、晴信公はクーデターによって父を追放し、当主の座に就いたのでした。


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    ほとんどすべての家臣が特に抵抗することもなく新当主を受け入れたのですから、晴信公は「うつけ」の振りをしながらも、しっかり人望を高めていたようです。

    普通なら、父から可愛がられていた弟と家を二分する争いになっていてもおかしくないのですが、信繁公はしっかり兄に寄り添って、武田家の団結を守ったのでした。


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    武田神社
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    晴信公が甲斐統治の拠点とした躑躅ヶ崎城の跡に、晴信公を御祭神とする武田神社が鎮座しています。

    堀が周囲をめぐる平城で、城というよりも館と言った方がよい簡素なつくりですが、実際に城攻めにされたこともなく、これで充分だったのでしょう。

    周囲には、武田二十四将をはじめとする家臣たちの屋敷が並んでいたといいます。


    人は城人は石垣人は堀
    なさけは味方あだは敵なり


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    今川義元が織田軍によって討ち取られ、今川家の勢力が急激に衰えると、晴信公は上杉家と対立しながらも領地を拡大します。

    一方織田信長公は将軍足利義昭を立てて上洛しますが、傀儡として「ままごと」しか許されない将軍は苛立ち、反織田同盟を呼びかけます。

    晴信公はその呼びかけに応え、比叡山をはじめとする寺社勢力や近畿の大名らとの連携を着々と進めました。

    その頃、関東一の実力者である北条氏康は病没し、上杉家は一向一揆の鎮圧にかかりっきりであったため、後顧の憂いはありませんでした。


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    武田神社
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    武田の上洛軍は、まず三方ヶ原で松平軍を蹴散らし、浜松城を越えて三河まで侵攻しようとしましたが、病のために体調を崩し、志半ばにして陣中で没してしまうのでした。

    その死は3年間隠された後、遺体は甲府に戻され、火葬されたのでした。

    武田神社を参拝した後、山梨縣護國神社を参拝し、そこの神職の方に晴信公の墓所を教えていただきました。


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    また、すぐ近くに継室の三条氏の墓所もあると聞いたため、あわせて参拝しました。


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    善光寺
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    ここまで何とかもちこたえていた天気ですが、甲斐善光寺を参拝した時に本格的な雨が降って来てしまいました。

    甲斐善光寺の開基は永禄6年ですから、寺院としては比較的新しい方です。

    武田晴信公が、川中島の合戦によって信州の善光寺が消失することを恐れ、善光寺如来像などを奉遷したことが始まりでした。

    しかし実際は、それ以前に善光寺は既に焼け落ちてしまっていたことから、善光寺の本尊を自分の本拠地へ遷すことで、最大級の仏の加護を得ようという魂胆があったようです。

    その後、謙信の反撃によって本尊は越後に遷りしますが、ほどなく死去したことで、信長公の手に遷るのでした。

    甲斐善光寺が建てられた場所は、信州の善光寺を開いた本田善光の墓地とされ、建物は信州の善光寺とほぼ同じ造りになっています。

    鳴き龍の声はよく響き、お戒壇巡りもできます。

    山門などもじっくり見学したかったのですが、雨が強くなってしまったために断念。


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    酒折
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    さっきまで強く降っていた雨が、突然晴れたかと思うと、また降りだすような不安定な天気の中、酒折宮を参拝しました。

    御祭神は日本武尊。


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    東国平定の後、この地で宴を開き、群臣たちと旅の疲れを癒した際、日本武尊が詠じた「新治筑紫を過ぎて幾夜かねつる」という歌に対し、老翁が「かがなべて夜には九夜日には十日を」とお答えしたことから、連歌発祥の地とされています。


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    ここから甲府を離れ、最後の目的地である甲斐国一之宮が鎮座する笛吹市に向かいました。

    御祭神の木花開耶姫命は山の神の娘で、火山の神であることから、富士山を神格化した神様とされます。

    その一方で、邇邇芸命の御子を火の中で産む神話が伝えられていることから、モデルとなった人物が実在した可能性も高いと思われます。

    実際、宮内庁が管理する陵墓が宮崎県に残されています。


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    第11代垂仁天皇8年に富士山の麓で神事を行ったのが始まりで、貞観7年に木花開耶姫命をお遷ししたのでした。

    しかし、それ以前は別な神が祀られていたのではないかという推測もあり、謎が残る神社でもあります。

    ここでも雨が強くなり、ゆっくり散策もできずに甲府に戻ったのでした。


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    舞鶴城公園
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    駅近くのホテルにチェックインし、車を置いて舞鶴城公園を歩きます。

    豊太閤が天下統一を果たした後、舞鶴城は甥の秀勝と部下の加藤光泰によって築城が始められ、浅野長政・幸長の手によって完成しました。


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    その後、徳川家に天下が移ると、柳沢吉保が城主となり、その転封後は幕府直轄地となったのでした。


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    こうして寝不足の朝から動き通しだった一日は暮れ、山梨名物のほうとうを食べて休むことにしたのでした。


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    甲府駅 茅野
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    翌朝、少し早く目が覚めたので市内を軽くドライブし、レンタカーを返しました。

    甲府駅からスーパーあずさ号に乗って、茅野駅で下車。

    ここでレンタカーを借り直し、諏訪大社へと向かいました。

    一言で諏訪大社と言っても、鎮座地は諏訪湖をはさんで4つに分かれています。

    信州は母方の故郷なので、小さい時に何度も連れて行かれ、諏訪大社も参拝しているのですが、記憶に残っておりません。

    まず茅野駅から近く、4社の中で最も規模の大きな上社本宮へと向かいました。


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    何と言っても目に入るのが、大空に向かって屹立する御柱です。


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    ちょうど神事が行われており、拝殿では神職の方々がお供えを献じ、祝詞を奏上していました。

    平日とあって参拝客の姿はそれほど多くなく、宝物殿も含めてゆっくり見て回ることができました。


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    本宮の御祭神は建御名方神と妃神の八坂刀売神です。

    記紀神話によると、出雲を治めていた大国主神に天津神が国を譲ることを求めたのに対し、その子である建御名方神が反対したために、遣いの建御雷神と力比べをしましたが、敗れて諏訪の地まで追われ、そこから出ないことを誓ったとされます。

    建御名方神は武神として信仰され、神功皇后の三韓征伐に際して神威を現した他、源氏・北条氏・足利氏・武田氏・徳川氏など、歴代の将軍や大名たちが武運長久を祈願して来ました。


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    宝物殿には、彼ら有力者たちによって奉納された武具や、寄進状などが展示されています。


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    本宮にはたくさんの社殿がありますが、その配置は他の神社には見られない独特なものです。

    普通は拝殿の奥に本殿があるところが、ここには本殿がなく、向かって左側に四脚門を挟んで東西の宝殿が置かれているのです。

    この宝殿が本殿にあたり、それぞれ寅歳と申歳に造り替えられ、遷座祭が行われます。


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    そして四脚門こそが最も重要な場所で、ここを通れるのは、御祭神の子孫として代々神を顕現する大祝だけでした。

    彼はここを通って、前方(拝殿に向かって右側)の小高い山にある硯石と呼ばれる磐座に登り、儀式を行ったのでした。

    更にその奥に、諏訪大社の神体山があるのです。

    これらのことから、現在の拝殿の位置は、意図的にずらされていると言ってよいようです。


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    御柱祭
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    日本一の一枚皮が張られた太鼓を置く神楽殿が、宝殿の向かい側にあるのも、そのことを裏付けています。

    四脚門は天正10年に戦乱によって焼失してしまいましたが、慶長13年に勘定奉行の大久保長安によって再建されました。

    東西宝殿が造り替えられる寅と申の歳は、有名な御柱祭が行われる年であり、木落としや建御柱などの勇壮な祭りは、遷座する神様を喜ばせるというのが本来の目的なのでしょう。


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    御柱祭
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    御柱祭で実際に曳行に用いられた「メド梃子」が、境内に展示してありました。


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    諏訪大社上社本宮から上社前宮までは、車で5分もかかりません。

    社殿の数は少なく質素な雰囲気ですが、諏訪4社の中で最も古い歴史を持っているのが、ここ前宮なのです。


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    駐車場から石段を登ると、拝殿までの道のりのちょうど中ほどに、十間廊という建物があります。

    もともと神原廊と呼ばれていたこの建物で、75の鹿の生首を供えるなど、重要な神事が行われていました。

    ここで狩猟民族的な祭りが行われていたのに対し、全国の支配を強めた大和朝廷は、規格を統一するかのように、諏訪の原始祭祀の在り方を改めさせようとしたのです。


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    その結果、祭祀の中心は本宮に移されたのですが、社殿の配置を複雑にすることで、本来の姿をカムフラージュしたと考えられます。

    その証拠に、ここ前宮の社殿の裏にある神体山は、そのまま本宮の硯石の後方に位置しているのです。

    その神体山は守屋山と呼ばれ、山頂には物部守屋を祀る守屋神社奥宮が鎮座しています。


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    茅野
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    諏訪大社の参拝を前に、あらかじめ神社と物部氏の関係を調べていました。

    代々諏訪大社の祭事を司る守矢氏という一族があり、その祖先は物部守屋ではないかと考えられているそうです。

    真偽を確認すべく訪れたのが、本宮と前宮のちょうど中間あたりに位置する、茅野市神長官守矢史料館です。


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    守矢氏が住んでいた屋敷の敷地の一画に、4本の御柱をデザインした小規模な建物があり、ここに原始諏訪信仰の貴重な資料が保管・展示されています。

    管理されている職員の方に、守矢氏が物部守屋の子孫なのかを率直に尋ねたところ、ちょっとおかしな顔をして「それは違います」と否定しましたが、その直後に「でも全く無関係ではありません」とおっしゃりました。

    天照大御神を祖とする皇室と同じくらい格式のある家系の物部氏は、強大な軍事力を有していましたが、聖徳太子と蘇我氏の連合軍に敗れ、一族の長であった守屋公は討ち死にしてしまったのでした。

    しかし一説によると、守屋公かその子が生きこの諏訪の地に落ち延び、守矢家に養子に入ったとされます。

    そういうことから、無関係ではないけれど、守矢氏は物部守屋が関わるずっと以前から諏訪の地に根をおろしていたというのが事実であると、説明された次第でした。


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    では、その守矢氏とはいったいどのような一族なのでしょうか。

    諏訪大社の御祭神である建御名方神は、建御雷神に敗れて諏訪から逃げて来た神であると書きましたが、それ以前から守矢氏はこの地で原始的祭祀を行っていたのです。

    建御名方神が浸出して来たのに対し、洩矢神を信仰する守矢一族は抵抗しますが、結果的に両者は一体となって諏訪の地で祭祀を行うこととなります。

    建御名方神の子孫を称する諏訪氏が、神と同体とも言える大祝となるのに対し、守矢氏は神長官として諏訪上社のすべての祭祀を執り行って来たのでした。

    その後、諏訪氏は第19代当主頼重公が、武田晴信公によって切腹させられ、分家は武田家に臣従することとなったのでした。


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    また守矢家は、江戸時代末まで神事の秘伝を口承によって伝えて来ましたが、明治新政府による世襲神官の廃止で、76代目の当主の時に、伝統的な祭祀は失われてしまったのでした。

    歴史の流れを見ると、物部守屋が祀られる守屋山の山頂には、建御名方神が信仰される以前から、守矢氏によって洩矢神が祀られていたと考える方が合理的で、後になって守屋公が合祀されたと考えられます。

    洩矢神は記紀神話には登場しませんが、守屋公が合祀されたことから想像するに、物部氏の祖先神の邇藝速日命と同一神である可能性が無きにしも非ずと言えるでしょう。


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    上社での参拝を終え、次は下社へと向かいますが、その途中にある高島城へ寄り道しました。

    江戸時代に諏訪湖の干拓が行われるまでは、湖に突き出すような構えの水城で、諏訪の浮城と呼ばれていました。


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    築いたのは、天正18年に諏訪に転封になった日根野高吉公です。

    それ以前は、茶臼山の高島城に諏訪頼忠公が拠っていました。

    武田家滅亡後、彼は徳川家に従い、関ヶ原の戦いの後は、すでに家督を譲っていた息子の頼水公が諏訪郡を与えられたため、現在の高島城を本拠とすることになったのでした。

    城郭は明治維新によって取り壊されてしまったため、現在は展示館として復元されたものを見ることができます。


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    高島城公園の敷地には、諏訪護国神社が鎮座しています。

    諏訪大社と同様、4本の御柱によって社殿が囲まれています。

    長野県内には、確認できただけで、合わせて3社の護国神社があります。

    都府県としては3番目に面積が広い県で、他2県(岩手・福島)に比べて人口や集落も多いためでしょうか。

    神職の方は常駐していない様子で、パンフレットなども置いていなかったため、詳しい由緒は分かりません。


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    いよいよ下社へと車を走らせますが、ナビゲーションの案内が悪く、なかなか到着させてもらえませんでした。

    持参した印刷の地図を頼りに、春宮へ向かいます。

    表参道である大門通りに出ると、車道の真ん中にかけられた太鼓橋が目に入って来ました。

    室町時代にかけられたこの橋は下馬橋と呼ばれ、遷座祭の時に神輿が通る他は、一切の通行が不可とされています。

    ここでも駐車場にスムーズに車を停めることができました。

    境内はそれほど広い空間ではなく、神楽殿の奥にある拝殿までは、歩いてすぐです。


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    現在の弊拝殿は、柴宮長左衛門によって安永8年に建てられたもので、同じ絵図面で秋宮より1年早く落成したものです。

    春秋両宮は同じ構造で、当時は双方で技術が競われていました。


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    春宮の境内はさほど広くはありませんが、西を流れる砥川を渡ってしばらく歩くと、他ではお目にかかれない奇妙な姿をした石仏を見ることができます。


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    ある時、春宮の大鳥居を造るために石に鑿を入れたところ、その石から血が流れ出したため、別な石を切り出して大鳥居を造り、血を流した石は阿弥陀如来として祀られたのでした。

    万治3年に造られたとの文字が刻まれているため、万治の石仏と呼ばれており、血が流れたという鑿の跡も残されています。

    ひっそりとたたずむ石仏を期待していたのですが、商業化・観光地化された今は望むべくもなく、後から後からやってくる観光客が、何のおまじないか、石仏のまわりをグルグルと回って歩きます。

    チビクロサンボのような光景に、目を覆いたくなるばかりでした。


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    諏訪大社4社の参拝を無事に終えた時には既にお昼を過ぎていました。

    途中でおにぎりを買い、それを食べながら、この日の後半の目的地である松本を目指します。

    高速道路を使うまでもない距離なので、一般道を走らせますが、途中で渋滞に遭ってしまいました。

    慣れない街なので、そのままナビに従うことにしましたが、そのおかげで1時間近く損をしてしまったと思います。

    まず訪れたのは長野縣護國神社。

    県庁所在地の長野市ではなく、地理的に中央に当たる松本市に、昭和13年に創建されました。


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    鎮座地は旧陸軍歩兵第50連隊練兵場に隣接する場所で、県内各地からの献木が植えられて成長した美須々の森が広がっています。

    「みすず」とは信濃の枕詞で、広い面積を持つ長野の県民が一体となるようにとの理想から、この名前が付けられたのでした。


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    次に訪れたのは、日本で最も古い小学校のひとつである旧開智学校です。

    狭い路地の奥にありますが、観光名所として知られていることもあって、案内表示通りに進むと、洋風の瀟洒な建物が見えてきました。

    地元出身の大工棟梁、立石清重によって明治6年に建てられた校舎は、その建築費の7割が松本町民による寄付によってまかなわれました。

    女鳥羽川のほとりにあった校舎は、昭和38年まで使用されていましたが、現役の校舎としての役割を終えて、今の場所へ解体・移築され、現在は教育博物館として公開されています。


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    建物は2階建てで、かつて使われていた教科書や教具、制服や備品などの貴重な資料が展示されています。

    特に印象に残ったのは子供たちが着ていた制服で、平服も礼服もどちらも和服であるということでした。

    制服まで洋服にすることもできたのでしょうが、日本人としての心構えと礼儀作法は、やはり和服を着て生活しなければ身に付きません。

    この洋風の美しい校舎に、和服で通っていた生徒たちは、学校はもちろん生徒としての自分自身を誇りに思っていたことでしょう。


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    校舎の2階には、明治13年に行幸された明治天皇の御座所が、金屏風とお座りになった椅子など、当時のまま残されています。

    明治天皇は生徒たちの書画などをご覧になり、生徒たちも体操を披露する予定でしたが、残念ながら雨天により体操は中止になってしまったそうです。

    御座所の隣の部屋は校長室、その向かい側には構内で最も広い講堂があります。

    講堂の窓は舶来の色ガラスで、部屋に入り込んで来る7色の光彩に、子供たちは目を奪われたことではないかと思います。


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    赤い校旗と「愛・正・剛」の扁額など、開智学校のシンボルと言える品々が展示されています。

    最後に売店に寄りましたが、これほど展示はすばらしいのに、お土産の種類はいまひとつでした。

    どこでも手に入るような物が多く、ここでしか手に入らない物もあまり魅力的ではありません。

    あまり商業的でないという意味では、よいことなのかも知れません。


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    いよいよ最後の目的地、松本城に向かいます。

    開智学校からは車ですぐですが、案の定、周辺の駐車場はどこもいっぱいでした。

    仕方なく少し離れた公営の駐車場に車を置き、歩いて移動します。

    初めにこの地に城が築かれたのは永正年代初めのことで、信濃の守護である小笠原氏によって築かれたこの城は深志城と呼ばれていました。

    その後、武田晴信公によって小笠原氏はこの城を追われ、晴信公はここを拠点に信濃の支配を確固たるものにしようとします。


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    しかし天正10年、武田氏が滅亡し、本能寺の変で信長公が倒れると、徳川家の家臣となっていた小笠原貞慶公が城に入り、名前も松本城と改めたのでした。

    それから、豊臣氏によって北条氏が滅ぼされ、徳川家が関東へ移封となった際に、小笠原氏も下総へ移ることになり、かわりに石川数正公が城主となりました。


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    石川数正公は、家康公が幼少の頃からその片腕として重く用いられていましたが、小牧・長久手の戦いの後に突然徳川家を出奔し、豊臣家に仕えることになった人物です。

    考えられる理由は様々で、豊臣家との交渉を続けるうちに、内通しているのではないかとの噂が広がって居づらくなったとか、多額の恩賞で買収されたとまで言われています。

    その一方で、徳川家を守るために敢えて武士の道にもとる行動を選んだと見ることもできます。

    実際に、あらゆる機密を握っていた数正公の裏切りによって、徳川配下の城はより強固に改修されることを余儀なくされ、武力による衝突はその後一切起こりませんでした。

    徳川・豊臣両家のちょうど中間に位置する松本に移されたのも、かなり深い意味があるように思えます。

    現在の城郭は、数正公の子の康長公の時に整備され、ずっと後に国宝に指定されることになったのでした。


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    松本城はさすがに多くの観光客でにぎわっていて、天守閣に登るための行列ができていました。

    行列に並ぶことが苦手な自分は、周辺をたくさん歩きまわることで、登ることと同じ満足を得ようと決めました。

    松本城の天守閣は、どの方向から見ても美しく感じられます。

    その黒い壁面から、烏城と呼ばれて親しまれています。


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    城の北側を歩くと、松本神社がありました。

    長く松本城の城主を務めた戸田家の遠祖、一色義達公・戸田宗光公をはじめ、松本城にゆかりのある人々の御霊をお祀りしています。


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    天守閣のすぐ近くには、江戸から熊本へ帰る加藤清正公が、城主石川康長公から贈られた馬をつないだとされる松があります。

    ただ馬をつないだだけでは話題にもなりませんが、その時清正公は、2頭から気に入った方を選ぶところ、せっかく用意した2頭のうち1頭だけを受け取っては失礼だと言って、両方とも持ち帰ってしまったのだそうです。


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    また小笠原氏の時代に、居城の林城館が兵士に踏み荒らされるのを憂えて移植した牡丹が、昭和に入って松本城へ移されたものもありました。


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    これだけの規模の城になると、様々な人たちの思いがあちこちに残されているということです。

    それは、現在の観光客にとっても同じことで、この素晴らしい城を見に来た人たちも、何かしらの感動をこの地に残して行くのでしょう。


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    松本での夕食は、名物の馬刺しを食べました。

    1人前でも値段が張る料理ですが、味覚の思い出を残すことも旅の楽しみなのです。


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