人類の負の遺産−アウシュビッツ収容所跡:straszewskaさんの旅行ブログ
クラクフ西65kmにあるアウシュビッツ収容所では、第二次世界大戦中、ユダヤ人をはじめヨーロッパ中の28の民族が強制収容され、重労働をさせられた上殺されました。
アウシュビッツAuschwitz はドイツ語の地名で、ポーランドでは「Oświęcim(オシフィエンチム)」と呼ばれています。クラクフからバスで1時間半ほどです。
『働けば自由になる』と書かれた門が収容所入り口です。
中に入ると囚人棟が並んでいます。
『働けば自由になる』と書かれた門が収容所入り口です。よく見ると、3番目のBの文字が上下さかさまにつけられているのがわかります。この門を作らされた囚人が、せめてもの抵抗として、わざと逆につけたと言われています。
中に入ると囚人棟が並んでいます。
反乱を起こしたり、脱走を試みたりした囚人は、捕らえられ裁判にかけられ、この死の壁で銃殺刑になりました。
死刑囚は、銃殺する前にシャワーをあび、裸にされてから死の壁の前に立たされました。
いたるところに監視塔が建っています。
敷地は高圧電流が流された有刺鉄線に囲まれ、逃げ出すことは不可能でした。
このように徹底的に弾圧を行ったため、しだいに反乱する囚人も少なくなり、みな無抵抗、無気力になっていきました。
続きは私のウェブサイトにてご覧ください。
http://sachiko.vip.interia.pl/polska/os1.html
餓死室で亡くなったコルベ神父
11号塔の地下には、囚人に一切食べ物を与えず餓死させる、餓死室がありました。
コルベ神父は、餓死室行きを命じられた他の囚人の身代わりとなって自ら餓死室へ入り、尊い命を隣人のためにささげました。一緒に餓死室へ入れられた周りの囚人が一人、また一人と息絶えていく中で、こるぺ神父は最後で賛美歌を歌い皆を励ましたと言われています。
ガス室は 収容所の有刺鉄線の外にあります。もともとこの建物は武器備蓄倉庫でしたが、後に死体焼却場に改装され、ガス室が併設されました。
中は薄暗く、どんよりとしています。『ここでは静粛に願います。』とかかれた石碑がたち、そのまわりに花とキャンドルが沢山並べられていました。
写真は死体焼却用の釜:ガス室となり。
ビルケナウ・第二アウシュビッツ収容所跡
ビルケナウ収容所は、アウシュビッツ収容所からオシフィエンチム駅をはさんで反対側約2kmのところにあります。敷地面積約1.75km2と、アウシュビッツ第一収容所とは比較にならないほど大きな収容所です。
アウシュビッツからシャトルバスが出ています。
死の門をくぐって収容所内に鉄道の引込み線が引かれています。
ヨーロッパ中からつれてこられたユダヤ人は、ビルケナウ収容所に着くとすぐに、働ける人とそうでない人に選別され、働けない人はガス室送りになりました。
ガス室跡:
ビルケナウ収容所のガス室は、アウシュビッツ収容所のガス室の4倍もの広さがあり、一度に2000人近くを収容できました。こちらはナチスドイツ軍が、撤退の際に証拠隠滅のため徹底的に破壊したため、現在は瓦礫の山になっています。
線路の終わるところに国際慰霊塔が建っています。 その下には、アウシュビッツ・ビルケナウで犠牲になった20の民族の言葉で、追悼文が刻まれています。
続きは私のウェブサイトにてご覧ください。
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