啄木の眠る立待岬:ぬいぬいさんの旅行ブログ
函館公園に向かう途中で見つけた石川啄木居宅跡。
啄木が郷里の岩手県渋民村小学校の代用教員を罷免され、一家離散のあと函館に単身でやって来たのは、明治40年、啄木21歳のときでした。
地元の文学愛好家グループが彼に文芸誌の編集を任せ中断していた文学活動を再開し、弥生小学校の代用教員、函館日日新聞社にも勤務、この場所にあった借家に落ち着き、岩手から妻・娘・母、妹を呼んでの生活がスタートしました。
しかし啄木はよほど運が悪いのか、函館の大火で勤務先が焼け、失業してしまい、9月に新たな職を求めて札幌に向かいました。
そんなわけで函館滞在は、わずか132日間だったそうですが、彼はこよなく函館を愛し、26歳の若さで東京で病没後、本人の希望で墓地は函館市住吉町に建立されました。
函館公園は明治12年に開園し、近代日本における都市公園を代表するものの一つで、当時のイギリス領事の、「病人にも病院が必要なように健康な人にも休養する場所が必要」という呼びかけに多くの市民が賛同し、資金の提供や労力の提供などが相次いで工事が進められ市民参加で造られた、全国でも類のないものだそうです。
その公園内には3つの歴史的建造物があります。
これは、明治11年に建てられた、現存する日本最古の博物館で開拓使函館支庁が先住民族の物品や動植物を展示公開するために建てられました。1号館、2号館とあり、こちらは2号館になります。
そしてもう一つは函館市立図書館旧本館 函館市建築課職員の小南武一の設計、堀田組の施工により昭和2年に建築されたものです。五稜郭に新しい図書館が開設され、移転してしまい現在は未利用で内部は公開されていません。もったいない感じがする建物です。
石川啄木一族のお墓は、立待岬に行く途中の生前啄木がこよなく愛した大森浜を眼下に見下ろす高台にあります。
立待岬のすぐ近くには、自然の岩を利用してつくられた与謝野寛、晶子の歌碑があります。これは昭和6年に啄木の墓参りに訪れた際に詠んだものの中から刻まれたもので、「浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土 寛」「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと 晶子」とあります。
最後は先ほど紹介した谷地頭温泉。市営の温泉で入湯料は390円。銭湯並の金額で温泉気分を味わえます。お湯は茶色く濁って海が近いせいか塩分を含んだしょっぱい温泉です。しばらく浸かっているとお肌つるつる いい感じでした。時間に余裕のある方お奨めです。

こんばんは〜〜
立待岬の旅行記を拝見させていただきました。
石川啄木一族のお墓がまず目に飛び込んでくるんですね。
啄木のお墓がこんなところにあるなんて
なんかビックリしました。
そして、岩場でロッククライミングを楽しむ人たちを見て
本当に岩場を登る人がこんなにいっぱいいるんだと驚きでした。
遊び感覚でやってみたいなという気持ちはあっても
ここまで岩場を登るなんて到底考えられない私です。
そして、海がとっても穏やかで綺麗ですね。
少しだけ漣立っているところがこれまた絵になる素敵な風景です。
たらよろ

たらよろさん こんばんは
啄木はわずか4ヶ月しか函館に住んでいなかったようですが、函館の町をいたく気に入って、生前こよなく愛した大森浜を見下ろせるこの地に、友人たちの協力により埋葬されたそうです。
啄木の旧住居跡のある通りを啄木通りと読んだり、立待岬には墓地があり、大森浜には銅像が建っていて函館のいたるところに啄木足跡が残っていて、この旅でもまだ紹介していませんが足跡をたどって散策しました。
ところで沖縄から今日戻ってきましたが、台風で雨の天気予報でしたが何とか青空も見ることができて楽しんできました。
ダイジェスト版をまとめ中です。
北海道完結する前に沖縄になってしまいました。
ゆっくりまとめていきますのでまたのぞいてみて下さい。

ぬいぬいさん・・・お邪魔します。
> 立待岬の旅行記を拝見させていただきました。
> 石川啄木一族のお墓がまず目に飛び込んでくるんですね。
> 啄木のお墓がこんなところにあるなんて
> なんかビックリしました。
たらよろさんは、文学的な発想ですね。
比べてhn11は、下手な演歌の発想しかできません。
最初に此処へ行ったのは、森昌子の「立待岬」のカラオケがどうにか歌えるようになったころでした。この演歌がなければ、この地に来ていなかった。
海峡の向こうからは、津軽海峡冬景色。
啄木の記念碑みたいなのは、岬へ行く細い道の左側にあったような記憶がありますが、多分あれでしょうね。

確かに立待岬のこの光景演歌が似合いますね。
この翌日小樽の祝津の鰊御殿に行ったときは石狩挽歌のフレーズが頭の中で流れていましたが・・・。
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