大阪歴史散歩「細川ガラシャの墓をたずねる」:ナオさんの旅行ブログ
「楠木正成の首塚」の説明文によると、湊川合戦で討ち死にした正成の遺骨を、家臣の落ち武者が河内に埋葬しょうと、ここまで運んで来たものの、野盗の群れに襲われ、やむなくこの地に仮埋葬して去り、そのままになったと言われています。そこで、江戸時代に徳蔵寺の住職が五輪の塔を立て供養したのだそうです。
中島神社近くで桃の花を見つけました。新大阪で春を見つけた気分です。気をつければ、街中にも季節を知らせる色々な花々が咲いているものですね。
中島神社には数多くの御祭神が祀られています。
本殿には宇賀御魂神、受保大神、大市比売神、相殿には菅原道真公、天照大神、猿田彦神、応神天皇など12神、大将軍社には金山彦神、大山津見神など7神、若宮社には楠正成公、御歳神など10神が祀られており、なんとその神々の数は32神。すごい数の神々です!
崇禅寺は正式には凌雲山崇禅寺と言います。奈良時代に行基によって創建された後、室町時代に6代将軍足利義教と、時の官領細川家の菩提寺として再興された曹洞宗の歴史あるお寺です。ただ度々兵火にあい、再建された伽藍も昭和20年の大阪の大空襲で焼けてしまったそうで、今の本堂は平成元年に再建されたものです。
ここがその崇禅寺の本堂です。本尊は伝教大師作の釈迦如来像です。
これは遠藤兄弟の塚です。大和郡山の藩士遠城治左衛門と安藤喜八郎の兄弟は、末弟の宗左衛門が剣術の試合で負かした生田伝八郎に闇討ちとなったため、仇を討とうとしましたが、伝八郎の多勢の門弟らのために崇禅寺馬場で返討ちになったのだそうです。当時の住職14世門啓天岑大和尚と元江戸町方与力の勝見宗春氏が墓碑を建立して亡魂を弔ったのだそうです。
崇禅寺は細川家の菩提寺なので、細川ガラシャこと細川玉子の墓があります。三基並んだ左端が細川ガラシャこと細川玉子の墓だそうです。
細川ガラシヤは、夫の細川忠興が家康方についたため、石田三成の人質になることを嫌い、生命を落としたのでした。敬虔なキリシタンでしたので、ザビエルの弟子オルガンチノがガラシヤと殉死者の遺骨を拾い、細川家ゆかりの崇禅寺に埋葬したのだそうです。
足利義教公の首を崇禅寺に葬った因縁により、管領細川持賢より大伽藍と寺領の寄進をうけ、1442年足利義教公ならびに細川家の菩堤寺として再興されました。その折、徳叟亨隣大和尚を開山とする曹洞宗に改められました。
これはその徳叟亨隣大和尚の墓です。
これは足利義教の墓(首塚)です。嘉吉元年(1441年)6月の嘉吉の乱で、室町幕府6代将軍足利義教公が、播磨守護赤松満祐に京都で殺害されましたが、赤松の一党が居城の白旗城に逃げ落ちる途中、義教公の首を崇禅寺に葬ったのだそうです。
崇禅寺には、色んな時代の表舞台で活躍した人のお墓があって、歴史の流れが見えるようです。
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oojijisunです,青春18切符で行きます お城巡りを準備中です、参考になります。...(by 青春18切符で行く,日本の「城」巡り31 on 2010年12月30日 08:25)