GWも仕事だぜッ!中(歴史のミカタ☆真田宝物館):きっちーさんの旅行ブログ
暑さにまけて、真田宝物館。
・・・もはや原型ナシっ!←牛におわれて善光寺(元ネタ)
6月って雲が消えて晴れちゃうと、限りなく夏よりな感じがします。
とくに、盆地じゃそうなのかも!
松代大本営から、真田宝物館へ到着。
町には少しずつ観光客の姿がめだちはじめ、さっきまで道路にはだーれもいなかったのに、リュックを背負った夫婦や、欧米系のカップルなどが闊歩しています。
松代ってよく知らなかったんですけど、ひょっとしてけっこう観光地?
あっあっ!
さっきのネーミングがすごい文武学校とセット券が売ってる!!
えー、行きたかったー。
残念ながら、無言館もみたいので、泣く泣く真田宝物館オンリーのチケットを購入。
くそー!時間があればっ。
奥へ進むと、細いスローブの順路に沿って、歴代真田家の家紋やら人物画などが展示されています。
まあ、真田といやあ幸村ちゃんでしょ。←それ以外知らないでしょ?
そんな事ありません!(たぶん)
真田といえば、小さい頃のNHK大河ドラマ!
チョ〜うろ憶えですが、丹波哲郎がお父さんで、渡瀬恒彦がお兄ちゃんで、草刈正雄が『真田幸村』役!
徳川軍に劣勢を強いられた丹波(父役)が、隠密を使って情報網を駆使し、知略によって数で勝る徳川を撃退するあたりは、なんとなくですが記憶にあります。
昌幸役の丹波さんがすっげータヌキ親爺で、ねちねち陰謀を練ってるのが、めちゃハマリ。
ドラマの中で真田家は激動の時代を乗りきる為に、徳川と豊臣に兄・父弟で別れ、どちらが勝っても互いを守る担保にします。
その微妙な立場に悩む渡瀬・草刈の真田兄弟が、言葉少なに語らうシーンとかマジ好きで、再放送して欲しい大河ドラマNO.2なんですけど。
NO.1は、なんつっても『炎立つ』!
「おぬしの嘘も誠も毒も清清しさも、おぬしのすべてがわしにとっては良いのじゃ」
そう言いきって、自分を欺いているかもしれない相手を丸呑みした、村田雄浩(安倍貞任)に惚れてました(笑)。わたしも渡辺謙相手に言ってみたいっ。
ともかく、草刈幸村ファンとしては、こーゆうリアルな真田幸村じゃ、納得できないので、ここは草刈正雄の写真を飾っといてください。←どんな宝物館?
真田宝物館では、子どもの頃の思い出もあって、あくまで真田家を中心に歴史をみてしまいます。
天下分け目の関が原も、その後、徳川に翻弄されながらもしたたかに生き抜く、真田家の運命に渡瀬恒彦(兄・信之役)の顔が浮かんじゃったり。
でも、教科書で習うのは政権を勝ち取り、ながらく続いた徳川幕府。
264年間におよぶ徳川泰平の世!
戦もなく、活気ある町人文化が花咲き、世界有数の人口と識字率を誇った、江戸時代。
日本史的には、戦国乱世から平和な時代を築き上げた、徳川サクセス・ストーリーがメインになっちゃうわけですけど、天下統一の段階やその後も含めて、対立し翻弄される真田家の運命は、徳川の治世の影に流れる、もうひとつの『歴史』です。
だがしかーし!
母の出身地、群馬県の田舎では、さらにもうひとつの『歴史』があります。
そこでの真田家は、真田幸村のかっちょいいイメージとは、ほど遠く。(まさおーっ)
ぶっちゃけ、悪役です。
『上毛かるた』という、マニアックなご当地かるたをご存知の方・・・あんまりいないと思いますが。
たとえば・・
『と』、「利根は板東一の川」
『よ』、「世のちり洗う四万温泉」
『ね』、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」
といった、群馬心をくすぐる内容です。
(もっと知りたい方はコチラのブログで紹介されています→http://my.internetacademy.jp/~s1204459/fuda/setumei.htm)
さて、このかるたの『て』は、「天下の義人茂左衛門」といいます。
「オイ誰だよ、茂左衛門」
と思っていらっしゃる方、群馬では有名人なんですー。
この茂左衛門サンが、もうひとつの『歴史』というわけです。
時は、寛永十一年(1634年)。
うちのばーちゃんが住んでる群馬の殿様は、沼田城主・真田伊賀守信直でした。
このひとは、真田河内守信吉の二男。
この家系図でみると、信之(幸村のお兄ちゃん)の孫にあたります。
真田の殿様は、『伊賀枡』(地元では真田枡!)と呼ばれた「ぼったくり」枡で年貢を増量し、滞納者は容赦なく寒中水牢に入れる、たいへん非情なお殿様でした。(今でも吾妻郡伊勢町や名久田村に水牢の跡が残っているそうです)
川役、網役、井戸役、窓役、婚礼役、うぶ毛役から、仕事道具の鍬にまで、ありとあらゆる税をかけ、凶年に見舞われた、お百姓らは苦境にあえいでいました。
(『百姓』が差別用語かどうかについては、見解がわかれますが、ばーちゃんちではでは当人・親戚が言う分には、ふつーの言葉です)
現状を見かねた茂左衛門は、177ヵ村の人々のために、直訴を決意します。
伊勢参宮に行くといつわって江戸に行き、天和元年辛酉正月、ついに直訴を成功させます。
訴状をみた将軍家から沼田領に隠密が送られ、領主の罪状が調べられあげ、天和元年(1681年)伊賀守は閉門されます。
結果的には成功したものの、直訴は大罪。
身を隠していた茂左衛門は、夜ひそかに家に戻り妻に別れを告げて、自首するために村を後にしますが、夜も明けぬうちに小袖坂で捕らえられ、江戸送りに。
天和二年(1682年)12月5日、妻もろとも月夜野橋の竹の下河原で、磔刑に処せられました。
サイド・ストーリーもあります。
茂左衛門の磔刑当日、領内の名主たちの嘆願が聞き届けられ、赦免の上使が江戸から早馬で駆けつけます。
しかし、時すでに遅く、幕府の使者が井戸上村の土橋まで到着したときには、処刑が執行されたあとだったのです。
それを知った役人は、役目が果たせなかったと、その場で自刃。
さらに、茂左衛門に頼まれて訴状を書いた、須川村の大宝院覚端法印は伊賀守のため恩田村で、生きながら石子詰の極刑に処せられました。
虐げられた農民が、不正を暴いて殺される。
何とも救いのない話ですが、以上がうちの田舎に伝わる、義人茂左衛門のお話です。
もっとくわしい中身については、コチラから↓
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page116.html
茂左衛門の話を長々と書いてきましたか、「公のために、個人が命を犠牲にするのは素晴らしい」とか、「マッチョ的ヒーロー崇拝」みたいなのをイチ押ししているのでは、ありません。
徳川家、真田家、茂左衛門。
3つの立場はどれも『日本の歴史』ですが、視点を変えることで、またちがった時代のとらえ方ができます。
郷土史はより身近で、面白い。
茂左衛門や、暮らしていた村人にしてみれば、生活を破壊した真田の殿様は、徳川による大名つぶしの時代をしたたか生きた、歴史ロマンの対象ではありません。
また、サクセス徳川も救済の希望ではなく、命と引換えにしなければ、農民の苦しみに耳を貸さなかった体制、ともいえます。
うちの場合は家系をたどると、あきらかに猟(漁)師・農民の一族なので、茂左衛門的な『歴史』を身近に感じるし、共感を持ちます。
母方には地元だし!
よく、「日本人は侍&大和撫子!」みたいなニュアンスを押し付けられるような感じを受けることがありますが、ちょっと実家のルーツをたどってみれば、たがえようもなく空虚な神話にすぎません。
そもそも、学者でもない、普通の農民だった当時のご先祖に、「日本人」という意識があったのかさえ、あやぶまれます。
彼/彼女たちにとっての「国」は、幕藩体制のもとの「沼田」であって、「日本」ではありません。
「どこの国の人?何人?」とたずねたら、「日本人」と答えることは無いでしょう。
「同じ日本人として、みな侍・大和撫子。同じ価値観を共有していた」というのは、現在の日本の範囲を想定した見方であって、タイムトラベルして過去の村でそんなことを言ったら笑われそうです。
ばーちゃんの村には、『茂左衛門地蔵尊』があり、さきの茂左衛門がまつられています。
たまに帰ったときには、犬の散歩や、縁日に行ったりします。
地蔵、としてまつられていても、村の人たちは地蔵尊とつけずに「茂左衛門さん」と呼びます。
まるで、いまも近所の住人のようです。
あ、これ香炉です。
上の写真の説明。←離れすぎ(笑)
なんか、殿様はいろいろやってたみたいっすよ。
なんにせよ、こうやって多少なりと、いろんな地域へ行って、その土地にまつわる話をきいたり知ったりするのは、やっぱ旅行の醍醐味なのではないでしょうか。
あー。
久しぶりに、群馬のおばーちゃんちに帰りたくなっちゃったな。
みそまんじゅう(『焼きまんじゅう』とも言う)も食べたいし!
ご○ん駅の潰れちゃったAマート前で細々やってるお店のが、いちばん美味しいんだよねー。タレがちがうんだいね←地元ネタ
さて、松代へ話を戻します。
1622年(元和8年)に信之(真田幸村のお兄ちゃん。渡瀬恒彦☆←違うから)が、上田からこの松代の藩主となり、約250年間、真田家が治める事となります。
浮世絵だと奇抜なやつをハズすと、女性の顔なんかお面みたいで、ちっとも面白いと感じないのですが。
イラストやマンガは大好きなので、こういうリアルなやつを見ると、離れられなくなります。
家紋の解説。
見たまんまで、小銭なんですね。
タイトルは「六連銭」。
わかりやすいなー。ここまでは。
解説を読むと、仏教説話の六道銭からきているそうです。六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道の6つで、六道能化のため六地蔵(六道のそれぞれを6種の地蔵が救うらしいっすよ)に捧げる報賽銭が「六道銭」。
(能化とは→僧侶社会において長老、学頭などの指導者、先生、師範のような存在を呼ぶ。学問上の指導者としての側面が濃い。また、師として人を教え導く者。衆生を教化する仏、菩薩などをいう。
語源:能く化すということ。「化」とは教える、指導するという意味。能く衆生を教化する存在。Wikipediaより)
と、まあ、わかるようなわからないような話ですが、ようするに、お棺に入れるあの世のお金を、シンボルにすることで、「決死の覚悟」ってやつを表わしてるそうです。ハイ。
ほかに、使用された家紋。
なんか、えらく可愛いんですけど!
鳥とかいるよ、鳥とか。
六道とか、決死の覚悟とかってどこ行っちゃったんですか、って感じ。
ちなみに、「替紋」について検索したら、「家紋」って一家に一紋しかないものでは、無いそうな。
自由に作ったり、譲ってもOK。
えー!そりゃ楽しそう。
ひとつの家に、家紋がいっぱいある場合もあるので、公式的なのを決めて、それ以外を「替紋」と呼ぶそう。
でも、替紋も家紋は家紋。
自分で作ってよいものだから、みんなが飛びついた「流行の家紋」というのもあったそうです。
少数の家や人間に独占することが不可能になった、ハヤリの家紋は「通紋」と呼ばれるんだとか。
奥が深いなー。
とりあえず、決死の覚悟の家紋だけじゃなかったってコトか。
『武士道』って、やたら美化して語られることが多くて、甲冑や刀などもその精神美とあわせて語られる場面もありますが・・。
私たちが普段、「武士道」ときいて思い浮かべる「潔さ」とか「忠義」とか観念的に連想する美徳は、歴史上では意外と当てはまらなくて、ひどく近代的な概念だと気づかされます。
中世期の「武士」はあくまで主君との契約関係であったし、『武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ』(藤堂高虎)の言葉にあらわされるとおり、『主君と生死を共にする』といった考え方は、元祖「武士」にはありませんでした。
北の奥地に追いやられていくアイヌの歴史や、ラブv『炎立つ』の奥州藤原氏対、征夷大将軍・源頼義とのバトル。
それらをみていくと、「武士」の作法は決してキレイなものではありません。
毒殺あり、だまし討ちあり、むしろ戦の口実を作り上げていくさまは、因縁ふっかけるやーさんのよう(笑)。
これに、本来入っていなかった『忠義』や『道徳』の薀蓄を刷り込み、都合の悪いところはすっぽり抜かして、
「むかしから日本人のなかには、武士道精神という、美しい文化が根づいている!」
なんてしたり顔をされると、それだけでゲンナリしてしまいます。
そもそも江戸時代ですら、「武士」でいられたのは一部の人たちであって、明治維新後には四民平等布告により、「武士」そのものは完全消滅します。
「日本人」=「武士」「大和撫子」
と思い込んでる人を、たまーにTVでみかけますが。
・・・あんまし日本史が好きじゃなかったんだろうなー?
ホンモノの刀は、あんまし好きじゃないんですけどー。
よく「人斬り包丁」とか言うじゃないですかー。
あれ、包丁に失礼だし!
包丁は、そーいうものじゃないんだっ。
ま。
小ネタとしては、面白いですが。
まだ未完成だそうです。
あんま細かくやりすぎると、かえって完成しなくなっちゃいますよね。
何事も筆の置き所が肝要かと・・・。
でもここまでやったら、最後まで完成したのを見てみたいです。
がんばれ、センセー。
「あんまり写真撮るのやめなさい。恥ずかしいから」
「なんでーいいじゃん。記念、記念」
「どうせすぐ、デジカメから消しちゃうでしょ」
「まあ、そういうこともあるけどネ」
消しはしませんでしたが、
「こんなのあったっけ?」
くらいにしか、おぼえておりません。
さて、わりとバラエティーに富んだ真田宝物館でしたが、今日はほかにも見に行きたい所があるのじゃ〜。
そんなわけで、お母さんとてくてく松代駅へとやって来ます。
真田宝物館からは、目と鼻の先。
ここから屋代駅。
そっから上田駅へ行き、別所温泉行き列車へ乗え、塩田町駅下車で『無言館』を目指そうというワケです!
つまり、松代→屋代→上田→塩田町。
・・・ややこしいな。
まあ、乗り換えるだけですから。
とりあえずゴーゴー。
ところが〜。
松代駅からは、ほとんど電車が走っていません!
1時間に1本あるかないかで、出ちゃったばっかり!!
松代→屋代間での長い道のり・・・・。
「あと1時間以上待たなきゃだな〜」
時刻表を見上げてガックリしていると、
「タクシーで行こ。時間もったいないよ」
と、お母さん。
えええ〜っ!
タクシーの方がもったいなくない?!
お大尽だ、マミー。
左手に低い山をみながら、ひと気のない郊外の道を行き、やがてキレイに整備された屋代駅前に停まります。
ここではそれほど待つこともなく、上田駅方面への電車が、ホームへ滑り込んできます。
やっぱ、松代で1時間待ちはもったいないな。
お母さん、グッジョブ!
「タクシー代、半分だしなさい」
「ええ〜っ!」
い、いぢわる・・・。
黒母と共に、電車へ乗り込みます。
おつぎは上田経由、塩田町下車で『無言館』だ!
つづくぅ〜!

きっちーさん、今日は。
楽しく拝見致しました。
農民が武装し自立したのが武士です。
だから、武士も広い意味で農民。
(江戸時代の藩校もそう教えていた。)
江戸時代の士農工商の身分制度は周王朝時代の身分制度を手本にしています。
周王朝時代(封建制度)では、農民は国家公務員(年貢を納めるから。)
それ以外の国民を庶民と言った。
だから士と農が上に来て、工商が下に来ます。
特に、商は、商品を右から左に動かすだけで暴利を貪るので忌み嫌われました。
江戸時代幕府は、金貸しをやってました。
御三家や親藩には、ほぼ無利子で。
譜代には、有利子で金を貸していますが、外様には金を貸しませんでした。
そこで外様は譜代や親藩に金を借りに行きます。
そこでは、高利の利子が発生しました。
真田家はきっちーさんの言うとおり、豊臣と徳川で家系を二分させた結果、家系断絶にはならなかった反面、常に幕府から睨まれていました。
(旧豊臣家一族からの人望が有った為と言われています。)
その為、幕府から金を借りることが出来ません。
そこで、譜代や親藩の金に手を出したのです。
結果、年貢の取立てが厳しくなった。
忠義、忠義は幕末の頃に流行しました。
戦国時代の武士は、自分の為、だけに動きます。
寝返り、裏切り、暗殺、密告当たり前、総ては自分の為。
江戸時代(平和な時代)=秩序社会の為に出てきたのが「忠義」。
「忠義、忠義、忠義」とうるさくなって行きます。
早々

風太さん、あけましておめでとうございます。
おくればせながら、今年もよろしくお願いします。
武士が、広い意味で「農民」。
たしかに、身分制度が固まる以前の黎明期においては、武士と農民を厳密に区別することは出来なかったと思います。
とすると、ナショナリストの人たちは、
「日本人はみな、男も女も農民だ!!軟弱なやつらは農民らしく生きろ!」
と主張するのが「古きよき伝統」を守る活動ですね。きっと。
旅行記には書きませんでしたが、たまたま読んでいた本の中に、
「日本でよく言われる『忠孝』は、もともと中国の儒教の教えであるが、本来は『孝忠』。つまり親に対して孝を守るほうが、主君に対する忠より、大事だとされていた概念が、逆転してしまっている」
といった中身が出ていて、「え〜っ!サギじゃん!」と、衝撃を受けたことがあります。
歴史用語の中に当たり前に出てくる言葉も、よく調べていけば、こういったすり替えがあるのかもしれないなーと興味深く思いました。
郷土博物館というのは、「みんなによく知られていること」を違う角度からも観ることが出来る、すごく面白い場所だと思います。
なんつって、長野より群馬よりの話になっちゃってますが。
(反省)

きっちーさん、こんばんは。
> とすると、ナショナリストの人たちは、
> 「日本人はみな、男も女も農民だ!!軟弱なやつらは農民らしく生きろ!」
> と主張するのが「古きよき伝統」を守る活動ですね。きっと。
そうゆうことになります。
奈良時代には「農民らしく生きろ」(良い意味で)と、お触れが出ています。
> 「日本でよく言われる『忠孝』は、もともと中国の儒教の教えであるが、本来は『孝忠』。つまり親に対して孝を守るほうが、主君に対する忠より、大事だとされていた概念が、逆転してしまっている」
ちょっとちがいます。
儒教の教えで有る事は間違い有りません。
しかし、正確に言うと「忠孝」と言う単語は存在しません。
「忠」と「孝」とは別物なのです。
礼記の中では、「忠」は「義」に対する言葉で。
「大義」を実践していく行為が「忠」です。
大義とは国の為(君主の為ではない)。
「孝」は、一族に対して「孝養」を積む事を言います。
一族とは、先祖も含まれます。
(先祖伝来を引き継ぐ事が大事)
春秋時代の昔<孔子が生きた時代>は、下剋上の時代でした。
立身出世、自己の栄華を求める者は、他人の財産地位を奪うしか方法が無かった時代です。
そのため戦乱と成り、人間が生きていく事が難しかった時代。
孔子が考えたのは、親の財産地位を子がしっかり受け継ぐ事。
(他人の地位を奪うな!)
子は(一番近い一族)親に孝を立て。
親は子の為に「養」の義務を負います。
しかし、「養」不十分でも、子は「孝」を立てよとも教えています。
(これは、戦乱が激しい余り、親無し子が沢山いた為とも言われています。)
孔子の理想としたのは、「孝」が国中に溢れれば、大義を超える。
大義を越えれは、「孝」が大義と成り天下国家を安定させられると考えていました。
この結果出てくるのが「忠孝」の言葉です。
江戸時代朱子学が「忠孝」を尊びました。
> 「え〜っ!サギじゃん!」と、衝撃を受けたことがあります。
サギかサギでないかは、判断の分かれる所です。
孔子にとっても、徳川幕府にとっても、平和にする事が重要課題です。
大名(武士)と言っても、自己の利が無ければ動きませんから。
皆バラバラの時代に、幕藩体制を築くのはムズカシ。
だから、有る意味「サギ」も有るかなト。
> 歴史用語の中に当たり前に出てくる言葉も、よく調べていけば、こういったすり替えがあるのかもしれないなーと興味深く思いました。
その通りだと思います。
長くなりました
早々

うろ覚えですみません(恥)。
やっぱ、あいまいなトコは、抜いといて良かった〜。
でも、「養」の義務っていうのは初めて聞きました。
たしかに、子どもだけが一方的に「孝」をっていうのも、おかしいですね。
勉強になります。
「サギだ〜っ」というのは、孔子を全面的に支持しているからとかじゃなくて、扱われている題材を分かってて勝手に変えてしまうのは、書いた人に対しても、「これが儒教だから」って教えた人に対しても、誠意がないというか、そんな風に思ったからです。
もし孔子や儒教をきちんと学んだ専門家なら、なおさらそれをやっちゃいけないと思うし。
まあ、現代でも御用学者・有識者はいますけど、そういう人の研究は政治タブーの領域が必ずあるので、研究自体に限界がでます。
ときの権力とぶつかる面でも、研究に必要なら扱いを逃げない学者さんの本は、(難しすぎるのは読めませんが)とても面白いです。
それでは。

現代も刀匠がおられます。
以前、刀匠にお会いした時に質問しました。
「刀は左腰に差していますが、左利きの侍は右腰に差していたのですか?」
「武士に左利きは居ません」
そう、侍は全員が右利きだったんです。
この時、日本人に左利きが少ない理由を初めて知りました。

師匠ジェームズ・ボンドさん、こんばんは!
・・・すごい、師匠。そういわれてみれば、確かにむかしも左利きの人はいたはず。
「武士に左利きは居ません」の答えに、「マジうっそ〜ん!」と笑いました。
いたけど持ち方は右利きにあわせてたとか、そこらへんが真相な気がしますけど、剣道ではどうしてるんでしょうね?左利きの人。
ちなみに、中華包丁は左利き用のがあります!
職場では、『杉本』というメーカー(?)が一種のブランドで、わたしも2本だけ持っていますが、そこでもちゃんと左利き包丁がでてます。
調理師さんも、左利きの人が少数いますが、やっぱ左で仕事してます。
(『鍋ふり』にはいなかったけど?)
刀鍛冶の技術が包丁制作にも取り入れられているとききますし、刀に利き手による作り方が存在していたら、ひょっとして左利きの幻の名刀がどこかに眠っているかも知れませんね。
有名刀匠の作品でみつけたら大発見?←見分け方がわからないですが(泣)

子供が左利きになりそうな時、無理矢理矯正したんでしょう。
両手とも使えるのが理想的なんでしょうが。
鍋を一つだけ持つなら中華鍋、包丁を1本だけ持つなら中華包丁ですよね。

ずっと前ですが2年半程、女友達のススメで「全く料理が出来なくても3ヶ月でヨメに行ける様になる」という、料理教室に通ってました。
そこは調理師学校の併設だったので学校の講師が教えに来るんです。
和洋中とやるんですが講師のテクニックと持論が聞けて面白かったですよ。
フランス料理講師の「毎日フランス料理喰ってたら病気になる」や「食材を煮込んだりしたら栄養分が損なわれる、などと言うヤツが居るけどビタミン剤を飲めば良い、料理とはそんなもんだ」という持論は面白かったなぁ。
また「料理なんて幾らでも手抜きが出来る」と言った講師も居たし。

imasita,imasita,souiu,sense-.
mizurakute,sumimasenu.
honzitu,ri-jyankara,syanhaihe,modottemairimasita.
kinzitutyuuni,nihonhemodorimasu.
sisyouno,ryourinoudezimanwo,kikasetekudasare(^^)/
kitti-

こんにちわー。okuyanです。
5日間ソウルを歩き回ってきたので溜まりに溜まったメールやらなんやらの処分にドタバタしております。
ところで、真田のサイドストーリーすごく面白かったです。
本当に歴史の事実を調べるとき、どちらの立場に立って見聞するかで印象ががらっと変わりますよね。
まあ、一部の責任は歴史小説や歴史ドラマが話を面白くするために誇張したり捻じ曲げたりしてるところにあると私は思っておりますが。
私めの住処の辺りで有名なのは吉良上野介ですが、忠臣蔵では超悪役として演じられておりますが、領民には天下の名君として崇められたというのはよく知られている話。
でも勧善懲悪ストーリー大好き日本人を拍手喝采させるには敵役はとことん悪人として描かなくては面白くないんでしょうね。
きっちーさんはそういう歴史の裏話とかに詳しいようですね。今後もいろいろ聞かせていただけたらうれしいです。(^▽^)

「おかえりなさいませーっ!」
↑最近、職場でブームのメイドごっこ☆主にメンズがやるので、職場はホストクラブのようになってます(笑)。
ソウルいかがでしたか?
辛いのダメなんですけど、辛くないのも美味しいものが多くて、目移りしちゃいますよね。
okuyanさんのおっしゃるとおり、実在の人物を扱った話って「コレ絶対作ってない?」とか、あとから歴史研究家の本を読んだりすると、「うおっ!この時代はこーゆうのがあたりまえじゃあ、あの話って成り立たないじゃん!」みたいな、コトって多いですよねー。
歴史の裏話はくわしくないですが、以前NHKでやっていた、『コメディーお江戸でござる』の杉浦日向子さんの江戸の風俗とか、あーゆうのはすっごい面白いと思います。
2005年に亡くなられたときは、かなりショックでした。
おなじみの江戸時代も、TVで現代向けにつくられるイメージじゃなくて、徹底して当時を再現したら、かなりちがった世界になるのだと、かぶりついてました。
時代物は面白いですよね!
またなにか仕込んできます(笑)。
それでは!
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