2010/05/05 - 2010/05/05
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morino296さん
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2010年のGWは、とある理由から九州へ出掛けることとなり、佐賀をスタートに長崎、柳川、太宰府を旅しました。
3日目の5日も五月晴れを通り越して夏日となり、天気予報では紫外線対策をしてお出掛け下さいとのこと。
大浦天主堂、グラーバー園から長崎市内の散策を楽しみました。
①5月3日:佐賀市内
②5月4日:有田陶器市
③5月4~5日:長崎(その1)眼鏡橋、港の夜景
④5月5日:長崎(その2)大浦天主堂、グラバー園
⑤5月5日:長崎(その3)オランダ坂、崇福寺ほか
⑥5月6日:柳川川下り
⑦5月6日:太宰府天満宮
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グラバー園を後に、次の目的地オランダ坂を目指します。
グラバー園の近くのお店では、坂本龍馬のステンドグラスも売っていました。 -
東山手洋風住宅群(7棟)
明治20年代後半頃、洋風に似せて作った外国人向けの賃貸住宅が7棟あります。
洋風住宅が集中して残っているのは非常に珍しいそうです。 -
東山手十二番館(旧居留地私学歴史資料館、アメリカ交流館)
明治元年(1868)頃に建設され、東山手居留地に残る洋館では最古の建物で国の重文に指定されています。
ロシア領事館、アメリカ領事館、メソジスト派の宣教師住宅として使用されたそうです。 -
白いタンポポ
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オランダ坂
居留地時代、外国人がよく歩いた道をオランダ坂と呼んだそうです。
外国人のことを総称して、オランダさんと呼んでいたとか。 -
長崎海星学園(中学・高等学校)
屋上に立つマリア像が目を引きます。 -
東山手甲十三番館(フランス交流館)
明治中期に建てられた洋風住宅。
平成21年4月から「フランス交流館」として一般公開されています。
フランスとの交流に関する資料展示やレトロ衣装貸出、喫茶コーナーなどがあります。 -
東山手甲十三番館に置かれていたランプ
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オランダ坂
向かって左側の石畳が昔からのものだそうです。
写真には写っていませんが、右側の石畳は後から敷かれたものだそうです。 -
オランダ坂
昔からの石畳を少しUPで。 -
湊会所跡
江戸時代、鎖国政策の中で長崎は海外に開かれた唯一の貿易港でしたが、安政5年(1858)5カ国との修好通商条約が締結され、安政6年に長崎は横浜、函館とともに貿易港として出発し、ここに湊会所が設置され、貿易・外交に関する事務がここで行われました。
この湊会所は、その後、長崎還上所と改められ、明治6年に長崎税関と改称されました。(解説より) -
長崎新地中華街
オランダ坂を下り少し歩くと中華街です。
長崎新地中華街は中華料理店やみやげもの店など約40店舗が並びます。
(横浜中華街に比べると規模は小さいです) -
長崎新地中華街 蘇州林
この店でちゃんぽんをいただくことに。 -
蘇州林 ちゃんぽん
本場の長崎ちゃんぽんは外せないですね。
ガイドブックに載っていた中華料理3店の一つ。
3店の中では一番小さいようでしたが、とても美味しかったです。 -
カステラの福砂屋
坂本龍馬像のある丸山公園を目指して歩いているとカステラの老舗福砂屋がありました。
寛永元年(1624)創業の老舗で、底のザラメのシャリシャリ感が特徴です。
のれんに描かれているマークは何でしょうか?
この説明は後ほど。 -
丸山町交番
歴史を感じさせる交番ですね。
お巡りさんに道を尋ねましたが、とても親切に教えていただけました。 -
丸山公園の坂本龍馬像
この銅像はまだ新しいもののようです。
この丸山界隈は日本三大花街の一つで、坂本龍馬、岩崎弥太郎らが通っていたそうです。
近くには、龍馬と後藤象二郎の会議で日本回天の舞台となった清風亭跡などもあります。 -
県指定の史跡料亭・花月
江戸時代、長崎の丸山は江戸の吉原、京都の島原とともに天下の三大遊郭とうたわれ栄えた場所です。
花月(引田屋)は、寛永19年(1642)に、それまで市中に点在していた遊女屋が一か所に集められて誕生しました。
江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場であり、文人墨客も数多く訪れ、なかでも頼山陽は花月を「養花山館」と名付け、篆刻(てんこく)も残しているそうです。
昭和35年には長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業しています。 -
長崎検番
戦後の長崎花街の最盛期は昭和30年代で約100名芸子さんがいたそうですが、現在は21名まで減少しているそうです。
長崎市の代表的なお祭りである「おくんち」の奉納踊りの起こりは丸山の遊女であり、その後も「おくんち」の三味線を弾いての町回りを芸子衆が行ってきたそうです。(長崎検番のHP参照) -
長崎ぶらぶら節の提灯型街灯
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長崎梅園身代り天満宮
元禄13年(1700)、円山町の安田治右衛門によって創建された氏神様。
元禄6年(1693)に安田治右衛門が襲われて、自宅に担ぎ込まれたが不思議なことに何処にも傷がなく、身代わりに庭の天神様が血を流して倒れていたそうです。その後、この天神様を身代わり天神と呼ぶようになったそうです。
明和安永年間(1770年頃)より、長崎奉行の許しにより芝居や見世物、相撲興行などが行われるようになり、花街の遊女や芸者さんが多く参拝したそうです。
また、第二次大戦時、丸山町の出征を命じられた者は必ず参拝したそうですが、身代わり天神により全員が無事帰還したそうです。(解説より) -
身代わり天満宮の狛犬
何故か、口の中には、飴ちゃんが一杯入っています。
これは歯痛狛犬といわれ、天保11年(1840)に奉納された狛犬が願をかけると必ず叶えてくれるということで親しまれているそうです。
また、歯の痛い人が狛犬の口に水飴を含ませると、たちまち痛みを取ってくれるそうで、当時、このいわれが各地に伝わり、多くの参拝者で市が立つほどだったそうです。
現在の狛犬は3代目で、昭和12年(1937)に奉納されたもの。(解説より) -
身代わり天満宮 梅塚(梅の玉垣)
昭和40年頃まで花街の遊女や芸者衆が多く参拝しており、自分の家で食べた梅干しの種を天神様と呼びわざわざ持ってきたそうです。(解説より)
この中には、梅干しの種が一杯ありました。 -
なかにし礼の小説 長崎ぶらぶら節の碑
長崎梅園身代り天満宮の前に設置されています。
長崎民謡「ぶらぶら節」を題材になかにし礼が書いた小説で、1999年に文藝春秋より刊行され、第122回直木賞を受賞した作品です。(私はまだ読んでいませんが)
2000年に東映で映画化され、テレビドラマでは2001年にテレビ朝日でドラマ化されたそうです。 -
中の茶屋
身代わり天満宮の少し上にあります。
遊女屋「中の筑後屋」の茶屋跡で、民謡ぶらぶら節にも出てくるほど有名な茶屋だったそうです。
庭園は江戸時代中期に築かれたもので、寺院のものを除けば市内でも数少ない遺構の一つです。 -
丸山オランダ坂
路面電車の「正覚寺下」電停に下りる坂道。
ここが元々のオランダ坂だとか。 -
丸山オランダ坂
この石段を下りると路面電車の走る道に出ます。 -
崇福寺 三門(重文)
嘉永2年(1849)に棟梁大串五郎平が中国人の指導を受けて建てたもので、龍宮門とも呼ばれます。 -
崇福寺 第一峰門(国宝)
正保元年(1644)創建、元禄9年(1696)改築。
中国寧波で切組み唐船で輸入して組み立てたもので、唐門、赤門、海天門などとも呼ばれます。
九州にある国宝は5つで、そのうち3つが長崎にあります。
3つは、大村天主堂とここ崇福寺にある2つです。 -
崇福寺 第一峰門(国宝)
軒下の複雑な組物と即非禅師の扁額「第一峰」で有名です。 -
崇福寺 第一峰門(国宝)
内側の彫刻 -
崇福寺 第一峰門(国宝)
内側の彫刻 -
崇福寺にて
「金炉」とは何でしょうか?
「金路不断千年火」とありますので、蝋燭立てでしょうか?
よく分かりませんが珍しいので。 -
崇福寺 大雄宝殿(国宝)
ここの本堂で本尊は釈迦如来、脇侍は迦葉と阿難。
正保3年(1646)創建。
十八羅漢は黄檗系彫刻の代表作。
崇福寺は、寛永6年(1629)長崎に在留していた福州人たちは、故郷の福州の僧超然を迎えて、寺を作ったのが始まり。
中国の明の末期〜清の初期(17世紀)の南支建築様式をそのまま輸入したもので、我が国では他に類例がないそうです。 -
崇福寺 大雄宝殿(国宝)
軒回りの「擬宝珠付き垂花柱」も珍しいです。 -
崇福寺 媽姐堂
往時唐船主たちが会場安穏を祈願して海の神様媽姐を祀ったもので、現在も旧暦3月23日華僑が盛大なお祭りをします。 -
崇福寺 開山堂
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崇福寺 媽姐堂門の魚板
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崇福寺 大釜
天和年間の飢饉に、住持千呆禅師が書籍什物を売って施粥をした時に鍛冶屋町の鋳物師に注文して造ったもので、4石2斗を炊くといわれます。
この飢饉の時に、カステラの福砂屋は、米32俵を施粥のために寄進して、多くの人々を救っていたそうです。 -
崇福寺 鐘鼓楼
享保13年(1728)の再建。
楼上に正保4年(1647)開創時の梵鐘がかかっています。 -
崇福寺 招福のおまもり
ここにも蝙蝠が描かれています。
福砂屋の第12代がカステラをもっと長崎を代表する菓子に育てたいとの願いを込めて蝙蝠を商標に使いました。
蝙蝠の「蝠」の字は、「福」と同音でめでたく、まさしく福砂屋ならでの縁起と思われたとのこと。
5匹の蝙蝠を描いたものは「五福」とよばれ最大の幸福を意味するという「五福捧寿」を表し「長寿、富、貴、康寧、子孫衆多」の象徴とされています。
福砂屋が商標に蝙蝠を使ったのは、崇福寺の勧めがあったからと伝わるそうです。(売店の方に見せていただいた新聞記事を引用しました)
これが、先ほどの福砂屋の暖簾の説明です。 -
崇福寺 第一峰門の扉
四隅には彩色された蝙蝠が待っています。
中国では蝙蝠は桃と並び慶事・幸運の印として大変おめでたいものとされています。 -
崇福寺 三門の扉の飾り
獅子のようにみえるのですが。
14時頃、まだまだ見たいところもあるのですが、暑さの中を歩き続けたので、ちょっと疲れました。
この日はGW最終日ということで、博多まで移動する電車も混雑しており、予約できたのは18時過ぎの特急。さてどうしようか?ということになり、兎に角、長崎駅まで行って見ることにしました。 -
博多行きの特急かもめ32号
長崎発18:25のかもめ42号の指定を取っていたのですが、それより早い時間の指定は満席です。
長崎始発なので、並べば自由席に座れるかもということで、15:25発のかもめ32号の自由席に乗って長崎を後にしました。
龍馬が愛した長崎、また訪ねたいものです。
(次は福岡県の旅につづきます)
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この旅行記へのコメント (6)
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- めぐみ☆さん 2011/09/11 09:36:09
- 初めまして
- 4トラでは、初めまして…ですね。
昨日はオフ会でお世話になりました。有難うございました
この辺り、、小学2年〜5年生まで住んでいた近所です。
懐かしい、、洋館辺りに友人が居たので良く遊びに通った道です。
丸山…ここも結婚前までこの上(中の茶屋の先)に住んでました。
ホームグラウンドです(笑)
3つ目のオランダ坂…良く分かりましたね
地元でも知ってる人は少ないのですが…
(さるく博で取り上げてましたが)
崇福寺は、お盆の時期は無料で中に入れます
(檀家の方々のお盆の為)
豚の頭が丸ごと蒸してお供物のテーブルに…^_^;
岩永梅壽軒…「もしほぐさ」がお薦めのお菓子です
裏道をご案内したいくらいです(笑)
めぐみ☆
- morino296さん からの返信 2011/09/11 18:35:47
- RE: 初めまして
- めぐみ☆さん
こんにちは。
昨日は有難うございました。
長崎ご出身だったのですね。
昨年は、龍馬伝の人気も手伝って、長崎は観光客が多かったのではないでしょうか。
私も、高校の修学旅行以来の長崎でしたが、とても楽しめました。
路面電車も良いですが、歩いて回るのも楽しいですね。
めぐみさんのお膝元、ご案内いただければ、もっと楽しかったことでしょうね。
長崎、また機会があれば行ってみたい街です。
くんちも見てみたく。
morino296
-
- ゆうこママさん 2010/05/15 13:45:24
- 交番
- これが交番ですか。
前におまわりさんが立っていなければ、気付かないかも。
- morino296さん からの返信 2010/05/15 17:47:13
- RE: 交番
- > これが交番ですか。
> 前におまわりさんが立っていなければ、気付かないかも。
そうですよね。
私も、最初は何の建物か分からなかったですよ。
お巡りさんも親切で好感が持てました。
morino296
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- のーとくんさん 2010/05/11 06:26:09
- 本山よりも中国風
- morino296さん
おはようございます。
崇福寺いかにも黄檗宗の禅寺ですね。
黄檗山萬福寺があまりにも中国風故詠まれた句「山門を出ずれば日本ぞ茶摘み唄」。
それ以上に、中国風のお寺、しかも国宝、是非行ってみたくなりました。
のーとくん
- morino296さん からの返信 2010/05/11 07:16:19
- RE: 本山よりも中国風
- のーとくんさん
おはようございます。
いつも有難うございます。
長崎の事前調査が少なかったのですが、
崇福寺はインパクトがありました。
興福寺も拝観したかったのですが残念でした。
長崎、もう少した時間が欲しかったです。
morino296
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