仏教美術の名品と中国古代青銅器 「奈良国立博物館」:みにくまさんの旅行ブログ
今まで何度かこの博物館の前を通りかかりましたが、一度も中に入ったことが無かったので、今回は時間も余裕があったことだし、拝観してみることにしました。
◎ 奈良国立博物館
住所 奈良市登大路町50番地
電話番号 050−5542−8600(ハローダイヤル)
観覧料金 常設展 500円
(節分の日・こどもの日など、無料観覧日あり)
※ 特別展・共催展の観覧料金は、その都度決定します。
奈良国立博物館 重要文化財
こちら本館では、彫刻を中心とした平常展を行っています。
飛鳥時代から鎌倉時代に至るまでの優れた仏像を数多く展示している他、パキスタン・朝鮮半島の仏像も展示しています。
国内の博物館では、最も充実した仏像の展示を行っています。
渡り廊下でつながれた付属の別棟には、中国古代青銅器<坂本コレクション>を展示しています。
奈良国立博物館 重要文化財
こちらが正面になるのでしょうか。
正式には西入口と呼びます。
奈良国立博物館 重要文化財
本館は、明治27年(1894年)に完成した煉瓦造りの建物。
設計は、当時宮内省匠寮技師であった片山東熊(かたやまとうくま・1854〜1917)によるもので、フレンチルネサンス高揚期の様式をとっています。
玄関まわりの装飾は意匠的にすぐれ、明治中期の欧風建築として代表的なものです。
昭和44年(1969年)に「旧帝国奈良博物館本館」として重要文化財に指定されました。
十一面観音立像 重要文化財
木造 素地 奈良〜平安時代
白檀の材色と芳香を貴んだ檀像彫刻で、身体から遊離した部分も同一材で彫刻。
細身の体つきだが、大振りな目鼻、奥行深い頭部、肘を張った腕の構えなど、充実した表現を表す。
十一面観音立像 重要文化財
木造 素地 奈良〜平安時代
★ 写真撮影について ★
この博物館では、申告することによって、一部の展示品の撮影ができることになっています。
まず受付で、写真撮影がしたい旨を伝え、ノートに住所・氏名を記入します。そうすると腕章を貸してくれるので、それを右腕に付けて撮影するわけです。
撮影しても良い展示品は、博物館の所蔵品に限ります。
どこで見分けるかというと、展示品の説明文のところ、仏像名の後に「当館・本館・奈良国立博物館」と書いてあるものです。
それ以外の、他のお寺所蔵の展示品は、撮影できません。
薬師如来坐像 国宝
木造 彩色 平安時代 9世紀
京都東山の若王子社に伝来した本地仏。カヤの一木彫成像。全面を黄土で彩色する。
目鼻を頭部下方に集めた相好、広い膝張り、鋭く力強い彫り口など、九世紀木彫の典型的な表現が見られる。
獅子 重要文化財
木造 彩色 截金 平安時代 12世紀
鮮やかな彩色と截金(きりがね)が残る獅子像で、当初は背中に文殊菩薩を乗せていた。
平安時代後期の穏やかな作風が顕著だが、肉取りは的確で、動物彫刻の名品の一つに数えられる。
滋賀・園城寺伝来。
狛犬 重要文化財
木造 鎌倉時代
対をなす阿形像(獅子)を失うが、獰猛な獣性と聖獣としての高雅さとが微妙なバランスを保つ名品。
伝来不詳だが、大きさや作行きからみて、名のある古社の社殿に安置されていたものであろう。
釈迦如来立像 重要文化財
木造 鎌倉時代・文永10年(1273年)
寛和2年(986年)にチョウネンが宋から持ち帰った京都・清涼寺の釈迦像は厚い信仰を集め、鎌倉時代には多くの模刻像が制作された。
本像もその一つで、台座の墨書銘から制作年代が分かる。
釈迦如来立像(出山釈迦)
木造 室町時代
世の無常を感じて出家した釈迦は山中で苦行するが、やがて肉体的な行の無益を悟って山を下りた。
本像はその姿を表し、すさまじい修行でやつれきった釈尊の様子を見事に再現している。
薬師如来坐像 重要文化財
銅造 奈良時代 8世紀
丸い顔に明るい笑みを浮かべ、丸々とした体躯を持つ。
裳懸座(もかけざ)の衣の下に台座蓮弁の形が表される表現は、中国・盛唐期の作例に多く、その影響がうかがえる。
乾漆像を思わせる粘りのある着衣の表現も特徴的。
薬師如来坐像 重要文化財
銅造 奈良時代 8世紀
この写真は、薬師如来坐像を横から撮影したものですが、本当はその背後にある十二神将立像をこっそり撮りたかったのに、失敗してしまいました。
ピンポイントでしか撮影できないので、部屋全体とかの写真も欲しかったのだ。
中国古代青銅器 坂本コレクション
こちらの展示室は、本館と渡廊下で繋がっている付属棟にあり、今は常設展示室となっています。
この部屋の展示物は、全て撮影可能ですが、フラッシュ・三脚などは、本館と同じく使用できません。
貴重なコレクションだと思うのに、撮影自由で、警備員すら配置されていないという寛容さ。
国立博物館って、東京・京都・九州などにもありますが、どこもこんな感じなのでしょうか。
鳳凰文ユウ
商末周初期(紀元前11〜紀元前10世紀)
器身に大きく直条文(縦じまの文様)と浮き彫りの鳥文(鳳凰文)を飾るとともに、豪華な稜脊(鰭飾り)や枝のような突起を飾り、体がすきまなく立体装飾で埋め尽くされている。
商末周初期の重要な器として作られた優品である。
觚(こ)
觚は爵とセットで用いられた祭祀用の飲酒器である。
商前期(二里岡期)に出現したが、爵と必ずセットをなすようになり、商後期に最も盛行した。
下方は上げ底になっていて、十字型の孔があいている部分から下が足(圏足)である。
次第に口が開くようになる。
長頸尊(ちょうけいそん)
長頸尊は商前期(二里岡期)後半に登場した酒つぼの一種で、商後期に非常に発達する。
大型で、手の込んだ技法を用いて鋳造しており、かなり高級な器種だったようである。
写真手前の尊は商後期に地方で鋳造されたものらしく、文様など稚拙なところがある。
饕餮文大鼎(とうてつもんだいてい)
商末周初期(紀元前11〜紀元前10世紀)
商末周初期に相当すると考えられる大型鼎で、重さ62.5キログラムをはかる。
大きく張った腹部の上方にC字型の耳を持つ饕餮文帯を飾っている。
これほど大型の鼎は例数が少ないが、商末周初期の例が比較的多いので、この時期に威信財として多数制作されたらしい。
曲線文壺(きょくせんもんこ)
西周後期(紀元前9〜紀元前8世紀)
西周期の壺は、実際は商後期のユウから発達したものである。
この壺は、西周後期から春秋期初期のかなり大型のもので、頸部が細く腹部が膨らんでいて、前面に波のような曲線文がうねっている。
この文様は商時代以来の尖葉文が丸みを帯びて変化したものであるが、本来の尖葉文内部の獣面表現も退化している。
鍍金鐘・鐘(しょう)
前漢(紀元前2〜紀元1世紀)
商代にはすでに金を使った器物が北辺・西南地区など周辺地域を中心としてごくわずかに見られるが、当時の中元地区ではまだ金を使って彜器(いき)を作るという発想はなく、ごく稀な存在であった。
春秋後期以降、金を使用した器物や装身具などが北方や楚の国を中心として増加し、金は最高級の金属として認識されるようになった。
漢代には鍍金(金メッキ)した器物が流行した。
熊形鎮子
前漢(紀元前3〜紀元1世紀)
熊を上面に表す円形の重し(鎮子)は、4つが1セットとして使われたはずである。
前漢時代には神仙思想に伴って、六博(りくはく:すごろくのようなゲーム)が流行した。
賽として算木のような木棒を投げて、目を決めてコマを進めた。
鎮子はそのための盤の四隅を止めるものだったらしい。
刻画文扁壺
戦国時代〜前漢(紀元前5〜紀元1世紀)
戦国期から漢代にかけて流行した扁壺は次第に退化してゆくが、その中でもやや奇彩を放つこの作品は、鋳造後に施された刻文により山岳や獣文が所狭しと表されている。
これも神仙思想に登場する山の神々を表したものかもしれない。
圏足に「更始元年」(紀元23年)の銘文が彫りこまれているが、これが真とすれば、その年代の分かる貴重な資料といえる。
奈良国立博物館 重要文化財
付属棟2階から本館を撮影したもの。
左下に渡り廊下が少しだけ映っています。
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みにくまさん、今晩は。
申告制なんだ!。(ちょっとびっくり。)
で、なに、なに、当館収蔵品のみですか。
(どさくさに、て、言うのは有りなんですか?<笑>)
もっとも信用問題になるか。
デジカメで最後に検閲でも有るんですかね?
早々

風太さん、こんばんは〜。
国立博物館の中で、写真撮影ができることに驚きました。
まぁ収蔵品に限る、という条件付きではありますが、収蔵品なら”国宝”であっても撮影ができます。
どさくさにまぎれて撮影しても、ほとんど気づかれることは無さそうなくらい、警備員の数は少なかったです。
ただ、カメラのシャッター音が、妙な場所(撮影禁止区域)から聞こえてくると、警備員さんが飛んでくるかもねw
それでも、検閲とか没収とか、そんな厳しい感じではなかったですよ。
これが、阿修羅展とか正倉院展とかになると話は違ってきて、四方八方に警備員がいる厳しさになるでしょうね。
では〜(^O^)/
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