2005夏 樺太…今回はさらに北へ。 【その5】真岡篇:MILE JUNKIEさんの旅行ブログ
昨夏(2004年)は、M助教授とともに樺太〜ハバロフスクの一筆書きの旅行をし、初めて樺太を訪れました。しかし、日程や予算の関係から、樺太島内での滞在はわずか2泊だけで、もう少しゆっくり見たかったという思いが残りました。他方、帰国後に恩師J教授とF教授に旅行の話をした際、「もっと早くに言ってくれれば」という声があり、もし次の機会があれば…ということになりました。これが、この旅行を4名で行くことになったきっかけです。
前回は、アシアナ航空を利用したソウル経由のルートでしたが、今回は稚内からフェリーを利用しました。稚内までは、UAマイルを使って全日空の無料航空券を発券し、フェリーの乗船券は日本旅行で購入、ロシアビザは私が在大阪領事館で申請しました。それから、樺太島内の移動等については、昨年と同様、CさんにM助教授からガイドを依頼してもらいました。
今回は、列車を使って「北樺太」へ向かいます。途中、鉄道線から離れたアレキサンドロフスク・サハリンスキー(亜港)へもバスで往復しました。そして、ノグリキへも。一般受けするような面白いような場所はなかったかも知れませんが、樺太の自然と、ロシア人の生活と、わずかに残る日本時代の名残を肌で感じることができ、大いに満足の行く旅行でした。
【ルート】
(その1) 8/3(水)
伊丹→→→(NH)→→→羽田→→→(NH)→→→稚内(泊)
(その2) 8/4(木)
稚内〜〜〜〜〜〜〜〜コルサコフ[大泊]=======ユジノサハリンスク[豊原](泊)
(その3) 8/5(金)〜6(土)
ユジノサハリンスク[豊原]++++++++++++++++++(車中泊)
++++++ティモフスク==========アレクサンドロフスク・サハリンスキー[亜港](泊)
(その4) 8/7(日)〜8(月)
アレクサンドロフスク・サハリンスキー[亜港]==========ティモフスク++++++++++++ノグリキ++++++++++++(車中泊)
++++++++++++ユジノサハリンスク[豊原](泊)
◆(その5) 8/9(火)
ユジノサハリンスク[豊原]========ホルムスク[真岡]========ユジノサハリンスク[豊原](泊)
(その6) 8/10(水)
ユジノサハリンスク[豊原]=========コルサコフ[大泊]〜〜〜〜〜〜〜〜稚内→→→(NH)→→→千歳→→→(NH)→→→伊丹
ユジノサハリンスク[豊原]=======ホルムスク[真岡]
この日は、ホルムスク方面へ出掛けます。ユーラシアホテルの前まで、Cさんの息子さんが車で来てくれました。
車は、路線番号のついたミニバス(ハイエースを少し長くしたバンで韓国車です)で、普段はミニバスの仕事をしているようですが、この日は私たちのために貸切にしてもらっているようでした。
途中、道端の湧き水の出るところで休憩しました。ロシア人の親子も水を汲んでいました。
ホルムスク[真岡]
ホルムスク港です。昨年は、ここの港から連絡船でワニノへ渡りました。
来るのは2度目ですが、着いてそのまま乗船してしまったので、街をゆっくり見るのは初めてです。
ホルムスク[真岡]
手井貯水池に来ました。
休止中(廃止?)の豊真線は、この貯水池の横を通って、豊原に向かいます。線路はそのままの状態でした。
ここでは、地元の悪ガキどもが、ビールを飲んで屯していました。
ホルムスク[真岡]======ユジノサハリンスク[豊原]
運転手のCさんの息子さん(左)には申し訳なかったですが、ビールとともにいただくシャシリクは美味しかったです。
ホルムスク[真岡]======ユジノサハリンスク[豊原]
このお店の裏に旧豊真線の線路跡があり、鉄橋が見えていたので、袂まで来て見ました。
レールは、鉄橋も普通の線路も剥がされていました。
ユジノサハリンスク[豊原]
豊原に戻って来ました。
翌日には帰国するので、マーケットなどで少し買い物をしてホテルに戻りました。
樺太最後の夕食は、ホテルサッポロのレストランでとりました。4人で141.77USD。美味しくいただきましたが、いい値段です。
【その6】 帰国篇 につづく。
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