山陰東部 餘部陸橋は どうなってんの?:tomofukiさんの旅行ブログ
鳥取市内に着き駅から、鳥取城跡に向かう。
吉川経家の銅像があった。
吉川経家は、鳥取の毛利側の武将に援軍を頼まれ、毛利より派遣された武将。
鳥取は、豊臣秀吉が中国平定の時、攻め込んで来た時、鳥取城を囲む20kmの包囲網をひかれ、米一粒さえ持ち込むことの出来ない兵糧攻めにあったとのこと。
城内に立てこもっていた、2000人近くの農民、武士は大饑餓におちい、最後には、人肉まで食べ抜いて耐えたが落城。
世に言う”鳥取城の渇殺”
落城の際、豊臣秀吉は、”経家公は、連れてきた兵と芸州に帰られたい”と吉川経家及び家臣は、赦免するとの通達を出したが、吉川経家は、”すべての責は、城将たる自分にある”と切腹し果てたとのこと。
昔の武将の責任感には感心します。
四人の子供に宛てた手紙は
とつとりのこと よるひる二ひゃく日 こらえ候 ひょうろうつきはて候まま 我ら一人御ようにたち おのおのたすけ申し一門の名をあげ候 そのしあわせものがたり おききあるべく候
今の日本は、食料自給率40%,エネルギー自給率4%、非常時には、国全体が、饑餓に陥る可能性あると思います。
鳥取城近くの仁風閣。
鳥取は、池田家が領有したが、明治40年、大正天皇が皇太子時代、鳥取に来る際、第14代当主池田仲博侯爵が、片山東態博士に設計を依頼して建築したとのこと。
池田侯爵は、徳川慶喜の子息で、養子で池田家に入ったとのこと。
国の重要文化財指定
バスの車掌さん
たぶん学生さん。
夏以外は、土日だけの運用なので、勉強との両立も出来るいいアルバイトと思います。夏休みは、毎日運転です。冷房は無いので大変だと思います。
鳥取駅前の右に曲がる。
バスの方向指示機
昔の車は、腕木が出て合図していました。
まだ動いています。
現在、コメントの書き込みがありません。
現在、トラックバックはありません。