2009年3月 京都鞍馬他(源義経公ゆかりの地):めるくんさんの旅行ブログ
前日の宇治散策に続き本日は京都散策です。訪問先は京都市内に点在する源義経公ゆかりの地です。源義経公を知らない日本人はいないと思いますが、念のため・・・
【平安末期の武将。日本で最初に武家政治(幕府)を始めた源頼朝公の異母弟。一の谷戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼす。平家打倒後、兄頼朝公との確執が深まり追われることとなる。奥州藤原氏(藤原秀衡公)を頼り平泉に留まるが秀衡公の死後、後継者に裏切られ(衣川の戦い)自害する。】
京都市北区紫竹、この地で牛若丸(源義経公)は、河内源氏の棟梁源義朝公の末子として産声を上げました。母親は当時絶世の美女と言われた常盤御前です。紫竹付近には牛若町という町名や、牛若通りという道路、牛若というバス停まであります。
牛若丸(源義経公)の史跡とは関係ありませんが、近くに大徳寺という大きなお寺がありました。ぶらりと立ち寄ったのですが、関が原の合戦で敗戦の将となった石田三成公の墓所がありました。
大徳寺を見学した後、牛若丸(源義経公)の母常盤御前が使用したと伝わる常盤井に立ち寄りました。常盤御前は、牛若丸(源義経公)の父源義朝公の妾でしたが、平治の乱で義朝公が討ち取られると、勝者である平清盛公の妾にされます。これにより牛若丸(源義経公)は平清盛公に助命されたと伝わります。
洛北の牛若丸(源義経公)ゆかりの地を巡った後、叡山電鉄に乗り込み京都の奥座敷鞍馬を訪れました。鞍馬寺に預けられた牛若丸(源義経公)は遮那王と名付けられました。鞍馬はおよそ10年間遮那王(源義経公)が平家打倒を志し、武芸に励み学業を積んだ地です。
鞍馬寺仁王門です。ここから本殿金堂までは、20〜30分の距離です。強烈な上り坂と長い階段が続きます。ケーブルカーもあるのですが、この地で何年も修行を積んだ義経公に対して失礼と思い利用しませんでした。(+メタボ対策も)
鞍馬寺本殿金堂に着きました。上り坂と階段の連続でしたので、ハーハーゼーゼーと呼吸が乱れまくっていました。
参道にある木の根道です。地盤が固く木々の根が地表を這うように広がっています。ここで遮那王(源義経公)は兵法の修得に励んだと言われてます。
鞍馬寺西門です。仁王門から1時間半くらいの道のりでした。スーツ・革靴での散策はかなりきつかったです。
貴船神社から叡山電鉄「貴船口」駅まではバスがあるのですが、1時間に1〜2本程度でしたので、結局20分ほど更に歩くこととなりました。画像左の男性は今回旅の供となった同僚K氏です。朝からかなり歩いていますので、この辺りでは全く無口でした。
鞍馬を後にして叡山電鉄・京阪電鉄と乗り継ぎ五条大橋を訪れました。義経公に生涯主従の関係を誓った弁慶との出会いの橋です。実際は一つ北にある松原橋とのことです。義経公・弁慶の像が可愛過ぎるような気がしました。

スーツでの旅、大変だったと思います。
鞍馬が義経ゆかりの地とは知りませんでした。
まして、石田光成の墓があるとは・・・
貴船神社、懐かしい・・・
祐気方位取りの際、お世話になり
大変なご利益をいただきました。
お水の神社だけあって
御神水も大変おいしく
水商売の方もよく行かれるそうですね。
咲いている花は、時期的に梅じゃないでしょうかねぇ
そろそろ良い感じの季節、
旅日記の頻繁なUP期待しております!

毎度のご訪問ありがとうございます。
23年ぶりの鞍馬・貴船でしたが、(高校2年生の修学旅行で・・・)
当時の記憶のままで、とても素晴らしいパワースポットでした。
若き義経公の平家打倒に燃えるエネルギーが、
ひしひしと伝わってきました。(K氏はどうだったでしょうか・・・)
今月末、関西視察出張第2弾としてO氏が関西へ行くのですが、
O氏では京都の良さ(歴史の重み)は理解できないでしょう・・・
まぁ、本業の視察をしっかりやってくれれば良いのですが・・・
※三成公のお墓は鞍馬ではなく、京都市北区の大徳寺です。
2日間の京都散策でK氏が一番興奮感激していた場所です。
源義朝の九男、幼名牛若丸、22歳のとき「富士川の戦い」で平家に勝利した兄、頼朝と黄瀬川の陣で涙の対面を果たす! ...(by ウルウルドラゴン on 2009年04月27日 22:45)