河井寛次郎記念館へ:まゆままさんの旅行ブログ
陶芸家でもあり、民藝運動の一員でもあった河井寛次郎の住宅をそのまま美術館にした「河井寛次郎記念館」
寛次郎の作品だけでなく当時の生活の空間をそのまま味わうことの出来る素晴らしい場所。
家のあちらこちらに「美」の空間を見出すことができる。
近くの短大に通っていた頃見つけたお気に入りのスポットで今回久しぶりに訪れたが又新たな感動が沸き起こってきた!
陶芸家であるだけでなく木彫家、建築家、デザイナーでもあり、文筆家、詩人でもあった寛次郎氏、
普段目にしながらも見過ごしてしまいそうなものから美を感じとり、発見することの出来る謙虚な気持ちなど、あらためて寛次郎氏の偉大さを実感したひと時でした。
これを書いてるうちに昔、この美術館で刺激を受け、日本各地へ友人と共に「美」を求める旅に出かけたことが懐かしく思い出されてしまいました〜
寛次郎とともに民藝運動を起こした柳宗悦、濱田庄司、冨本憲吉の造った各地の民藝館など・・
ぜひおすすめ!再び訪ねたいと思ったところまとめておきます・・
日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/home.html
益子参考館
http://www.mashiko-sankokan.net/
倉敷民藝館
http://iwe.kusa.ac.jp/FOLK/folk_op.html
鳥取民藝館
http://www.0857.com/contents/mingei/
富本憲吉記念館
http://www.mahoroba.ne.jp/~museum/kinenkan.htm
民藝・・・日用品として使われている無名の職人が作った雑器にも、美術品に負けないほどの美しさがあるという考え。
東山五条の民家の中にひっそりとたたずむ河井寛次郎記念館。
引き戸を開け、一歩中へ踏み込むとそこには別世界が広がっている。
静けさや、懐かしさ、穏やかさを味わうことの出来る空間
この家は、寛次郎氏が日本各地の民家(主に飛騨高山)を参考にしつつ、独自の構想をもとに設計し、昭和12年に建築されたものだそう。
同じく囲炉裏の間にある重厚な家具にテーブル、そして横には軽やかな竹製の棚。
竹の棚は寛次郎がデザインし、台湾の職人に作らせたものだそう。
椅子に座って自由にくつろぐことができる。
この椅子は同じく民藝運動の一員であったバーナードリーチ氏から贈られたもの。
この椅子も座ってみると背もたれも高くてゆったりと座り心地がいい。
使い込まれて良い色が出ている椅子。
洋風の装飾が印象的だ
京都の町屋でありながら囲炉裏がある・・
寛次郎氏の家のイメージが京都でありながら町屋ではなく農村を描いていたようである。
囲炉裏の上に吊るされた寛次郎制作の自在鉤は上下するのはもちろんのこと車輪によって横方向へも移動できるようになっている。
美しさだけでなく機能性も追加した寛次郎氏らしい作品。
この囲炉裏の周りに置かれた椅子は餅つきの臼を加工して作られたもの。
なんと驚くことにこの椅子にはキャスター(木製の車輪)が組み込まれているらしい。
座って見るとおしりがすっぽり収まり座り心地抜群!
あらゆる家具、物は見た目の美しさだけでなく、実用性、機能性も追求されているというところがすばらしい〜と思う
中庭には丸石が。
この丸石は郷里安来の知人たちにより燈籠寄贈の申し出があったのを丸石にしてもらい、寛次郎はこれをあちこち動かした後、現在の位置に定めたという。
このエピソードから自分の感覚に合わないものは身の回りに置きたくない、という意志が想像できる。
この住宅の一番奥にある登り窯。
五代清水六兵衛から譲り受けたもの。
何軒かで使用する共同窯で寛次郎氏は高温度で還元焼成のできる下から二つ目の室をもっぱら使っていたのだそう。
共同窯であるため多くの人の出入りがありそのため家の横にある路地が表通りから住居部分を通ることなく窯場までつながっている。
囲炉裏の間からつながっている間。
記念館のあちらこちらには季節の花々が飾られている。
私たちが見学している間にも花がどんどん生けられてあちこちに置かれていたのが印象的だった。
こま犬の脇息はこの建物が新築された際に古い家具の柱を利用し、寛次郎自らが彫ったもの。
中がくりぬかれていて、寛次郎はこの中に干柿やきり飴など好物を入れ、晩年まで座右においていたという。
コロンとしててすごくかわいいこま犬!
欲しい!
たまたま新聞に載っていた写真が額に入れて飾られている。
著名なデザイナーや著名な画家の絵でもない。
これは電車の連結器の写真だが、この写真にはなんとも言えない味わいがあり、その形は彫刻的で面白い。
寛次郎は普段目にしながら見過ごしてしまいそうな物の美を発見していった。
畳掘り炬燵の間は河井家の食卓の場であり家族のコミュニケーションの中心となっていたところ。
掘り炬燵のテーブルは一畳分ある。
冬、掘り炬燵として使用した時には各辺に通されたワイヤーにカーテン状の布団をつけて使っていたのだそう。
吹き抜けには滑車が取り付けられていて二階への物の搬入に活躍していたのだそう。
滑車はこの家の建築時に資材を運び入れるために取り付けられたものをそのまま残してもらったという。
この吹き抜けは審美的な意味以上に実用的、機能的な意味を持っていたようだ。
寛次郎氏は100点近くの木彫作品を残している。
木彫のきっかけは昭和12年の新築時に出た古材で猫や少女を彫ったことだったのだそう。
寛次郎が60歳から70歳にかけての仕事。
木彫の作品はとてもユニークで惹かれる。
この手の上に少女が乗ってる作品も、どこからこんな発想が来るのか?摩訶不思議モードだ〜
河井寛次郎はその生涯を通じていつも感動する心を忘れず、ありとあらゆる物事の中から喜びを見出し続けた。
「おどろいている自分におどろいている自分」
「すべてのものは自分の表現」
「新しい自分が見たいのだ−仕事する」
「暮らしが仕事 仕事が暮らし」
・・・さまざまな言葉を残しながら晩年まであふれる制作意欲が衰えることなく、老いていく肉体とは逆に
精神と作品はどんどんエネルギッシュに、大胆になっていったという寛次郎。
寛次郎の世界にあらためてふれてみて
自分自身もいつまでも初心を忘れず、好奇心を持ち続け、物事に感動する心を失わずに日々過ごしていきたいものだと思うのでした。
この日は偶然?自分の誕生日でもあったのでこの記念館でとっても良い誕生日を迎えることが出来た。感謝!
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