アラビア半島旅行記 イエメン :marukunさんの旅行ブログ
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鞄のなかには大量のリアル紙幣が残っていた。
そして、その奥には一昨日タイズのスークで買ったカートの葉がビニール袋に包まれて残っていた。カートの葉はすでに萎れて茶色く変色していた。
朝摘まれた若葉をその日のうちに噛まなければ効果がないといわれるカートであるが、ゴミ箱に捨てるのをためらい、ヤギのようにムシャムシャ噛んでみた。
イエメン人のように葉をどんどん片方の頬にためていってボールのような塊を反芻しながら味わうという真似は2週間では適わなかった。
ましてや、アンフェタミンが含まれるこのカートから、何がしかの刺激を受けることすらなかった。
私がいかにアルコール漬けの体になっているかを教えられた気もする。
カートの魔法についぞかからずじまい、の旅の空、であった。
膨らました風船を萎めるには、―擬似西欧の町―アデンは格好の地であった。
ほぼ、荷造りを終え、ジブラで出会った少女の大きな瞳を思い出していた。
わずかな滞在であったイエメンを風のように去り行くなかで、もしも幾人かの人を、友と呼び笑顔を交わし別れられることが適うなら、それが旅想の最も色艶やかなコア(核)となっていることだろう。
旅の後、彼ら彼女らは、もう語りかけてはこないが、いつも笑顔でいつづけるのだ。
「―――市街はアル・フサイブという谷間にある。かつて、預言者(マホメッド)がムアードという者に向かい、「おお、ムアードという者に向かい、「おお、ムアードよ。フサイブの谷に着いたなら、歩はやめておけ」といったという伝承があるが、それは美しい女たちに迷わぬようとの心やりからであった。ただ申し分なく美しいだけでなく、心ねの優しい女たちである。異国の人々を重んじ、わがふるさとの女たちのごとく、よそものとの結婚をいやがるようなことはない。異国の人々を重んじ、その人が再び旅に出ようとすると、妻は見送って、ご機嫌よろしゅうという。子供が生まれると、それを大切に育てながら、夫の帰りを待っている。そして夫の留守中、日々の暮らしの費用から、衣料費その他何一つ要求はしない―――『三大陸周遊記(世界探検全集2)』イブン・バトゥータ/前嶋信次訳・河出出版」
私はこの一節を信じて、今日も旅の空のしたにいる(笑)。
ジブラは明るい雰囲気の街だった――。
明るくさせるのは、人の活気であり、子供たちの無邪気さだ。
そして、ジブラの街に彩を添えていたのが家々の扉だ。砂の黄色、家の茶色、段々畑や椰子の木の緑、がすべてといっても過言でないイエメンにあって、ジブラの家の扉は色とりどりに塗られており、街のアクセントになっていた。
そして、何より、空の青さが今日もすばらしい一日であったと教えてくれる。
「マアッサラーマ(さようなら)」
帰国後、1週間たち、私は原因不明の高熱に冒された――――。
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