カメルーンの旅 パリ発ドゥアラ行き―ボン・ボヤージュ:marukunさんの旅行ブログ

カメルーンの旅 パリ発ドゥアラ行き―ボン・ボヤージュ:marukunさんの旅行ブログ

カメルーンの旅 パリ発ドゥアラ行き―ボン・ボヤージュ

  • 旅行記を見る
  • ブログに貼ろう
カメルーンの旅 パリ発ドゥアラ行き―ボン・ボヤージュ



http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/




―― いまだ旅は半空(なかぞら)で ――



 一日一日、一食一食に命をかけるアタシ、としては大失敗だった羽田空港でのお昼のカツカレーと違い、夜も足痛であまり冒険できなかった成田空港(というより、第一空港北ウィング、あんまり選択肢はないのですが)、豚肉しょうが焼き、なごみました、おいしかったです。
―あなた、日本を旅発つときはいつも豚系ですか?―
そうですよ!(エッヘン)。
トルコ、モロッコ、イエメン、ケニア、エトセトラ♪アタシの旅のはじまりは、いつもはトンカツですたいっ!文句ありまして?
 永い永い成田空港であった。
スタスタ歩くことができないつらさ、理不尽さ。
世界中が、まったく「国際障害者10年」が聞いて泣くようなバリアフリーへの無神経さ、ノーマライゼーションの精神のなさ、にぶつけようのない怒りに煮えたぎっております。
もちろん、それを八つ当たりといいますが。
―いえ、そもそも体調不良で自らが招いた災難でしょ―
わかっております。
そろそろ集合時間です、まいりましょう。
ここにいたるまで、今日の日を迎えるまでとにかく長かった。つらかった。耐え忍んだ(涙)。
いまだ、旅は半空だけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

いまだ、旅は半空(なかぞら)、、、、、w

エリア: アフリカ >>カメルーン
テーマ: 世界遺産
時期: 2006年02月〜02月
投稿日: 2009年02月08日
写真: 全4枚
満足度: 評価なし
観光: 評価なし
ホテル: 評価なし
グルメ・レストラン: 評価なし
ショッピング: 評価なし
交通: 評価なし
この旅行の手配内容を見る
  • カメルーン 写真

    で、今回はコテコテのツアーです。しかも駆け込み寺も同然で。
    ―――そもそも、今回―アフリカの水を飲んだ者はアフリカに帰る―の精神に則れば、アタシのめざすべきアフリカはタンザニアのザンジバル、キリマンジャロ、ケニアのケニア山など、のはずでした。
    しかし、入念な準備を整えた年の暮れ、代理店からドタキャンが。
    あせりました、あせりましたよ。
    それならば、と翻ること十数年、行きたいところ(行きたかったところ)を洗いざらい列挙しました脳裏のなかに寝る前の夜。
    翌日、めざめたときには西アフリカ、マリへ渾身一滴の焦点を当てました。
    しかし、こちらも想うようにことが運ばない、2月はすごい雨期らしく人気がない。
    アルジャリアのタッシリ・ナジェールやタマンラセット、グランド・エルグ・オキシデンタル(大サハラ砂漠)、ニジェール、セネガル、モーリタニアのヌアクショットほか、ナミビアの○、ボツワナの○、そしてイエメンの旅のあとから最も渇望しているのがスーダン、ケニアの旅のあとから最も渇望しているのがザイール(現コンゴ共和国)である。
    残念ながら両国は内戦状態で退避勧告という最も重い外務省の危険情報発出中、ほぼ絶望的だ。
    ああ、いつも嵐を呼んでしまう男、なのだ―――。


  • カメルーン 写真

    ―――「でも、今回の旅行前な、ケニアの爆破事件とかあったやん?」
    「ああ、あれには笑わしてもらった。もちろん、事件のことじゃないよ。実は前から『ここへ行きたい』と思った国や地域が必ずいうてええほど「政情不安定」になるんや。91年はトルコ、思うたら湾岸戦争、それでペルー行くことにしたら内戦や。92年のモロッコは西サハラと戦争、アルジェリアと交戦。
    93年の嫁ハンとの新婚旅行は出発当日、日本人が強盗に殺されて渡航延期勧告や。なかなか行けんかったイエメンも内戦に。スーダン行きたい思うたら内戦やらテロやら。ザイールも内戦でアカン。今回のケニアも間一髪やろ?ワシ・・・・・・・嵐を呼ぶ男やん・・・・・・・」『 ケニアの旅― ONCE IN A LIFETIME まるくんの旅は青空―より 』
    ああ・・・・・・・・嵐を呼ぶ男やん(涙)。
    ―――そして、アタシが今回、吟味に吟味を重ねて、そのまた翌日申し込んだのが中央アフリカ。
    カメルーンだった。
    「カメルーン?なんで違うんよ??なんで、カメルーンなんよ?いつ間にカメルーンよ?」
    そうせっつかれても、どこから説明申せばハニーチャマ、アタシの第六感って信じます?
    南部アフリカは渡航費用が莫大にかかるし、西部アフリカは魅力的だがメインのマリは雨期で観光が絶望的な場所もあるらしく時期が不人気、そこで思いもかけない中央アフリカへ。
    ちょうど「先行企画ツアー」という題目が目に止まって、あっさり決めた。
    こういう旅先の選び方は後にも先にもはじめてだった(後からがあるかどうかはともかくとして)。
    そのカメルーンであるが、カメルーン大使館発光のリーフレットにこう書いてある。
    「――カメルーンは、食料は自給自足、石油資源も豊かで、飢餓も戦乱も難民もない、平穏で平和な国です。約200に及ぶ多民族・多言語の国民の教育水準もよく、人々は親切です。この国がアフリカの縮図といわれるのは、砂漠からサバンナ、そして大森林までアフリカの特徴的な生態系がすべて集まっているからです。(Embassy of Cameroon カメルーン大使館 発行)――」
    どうであるか?
    アフリカの至宝というより、それ以上、世界でも稀に見るパラダイスではないか。
    ここはぜひ、―アフリカの縮図―で、アフリカの良いとこどり、総なめ、といこうではありませんか。
    しかし、企画社から送られた同封の国別安全情報にも注意深く目を向けてみよう。


  • カメルーン 写真

    「――カメルーンでは、政治的、経済的には安定していますが、首都ヤウンデや商業都市ドゥアラでは外国人を標的にした強盗・窃盗等が多発してきました。最近では治安は徐々に回復してきていますが、引き続き注意が必要です。本年3月頃から警察と軍が個別または一体となり、ヤウンデやドゥアラを中心に市街地等において、厳しい取り締まり実施しているため治安情勢は回復傾向にあると思われますが、引き続き注意が必要です。
    つきましては、カメルーン全土に対する「注意喚起」を継続しますので、渡航を検討される際には、上記の情勢を十分に考慮して下さい。また、同国に滞在中は、下記の事項に十分留意し、危険を避けるようにして下さい。さらに、外務省、在カメルーン日本国大使館、現地関係機関等により最新情報を入手するように務めて下さい。
    (1) 凶器(拳銃、ナイフ等)を使用した凶悪事件が多発しているため、これらの被害者となった場合、生命に危険が及ぶ可能性がありますので抵抗は避けて下さい。
    (2) 夜間の外出は控え、昼間でも複数で行動するように心がけて下さい。
    (3) 買い物等に出かける際には、宝石、貴金属等を身につけず、服装は控えめにして下さい。また、現金は必要な額だけ持っていき、支払いの際も人前で大金を見せることは控えて下さい。
    (4) 警察・軍による恒常的な検問がいたる箇所で実施されていますので外出時には必ず身分証明書を携帯するとともに治安当局による検問には素直に応じるようにして下さい。
    なお、カメルーンと国境を接する周辺諸国のうちナイジェリア、チャド、中央アフリア、コンゴ共和国及びガボンの情勢はいずれも不安定です。カメルーン国内においても、これらの国と接する地域はその影響を被る恐れがありますので、不要不急の目的でこれら地域を通り陸路国境を越えることは控えるなど、これら地域に入るにあたっては充分な注意をして下さい―――『 イエローページ(海外危険情報) 外務省発行より』 」
    なんだか、どこがどうパラダイスなのか、さっぱり雲行きが怪しくなってきた。
     そして、―嵐を呼ぶ男―の真骨頂(決してアタシが嵐を呼び起こしているわけではないのだが)、出国直前にこんなニュースが飛び込んできた。
    【2001年1月18日。コンゴ大統領カビラ暗殺?アフリカ大戦、再び混迷へ――――。】
    まったくナンタルチ〜ア。なんで、いつもこうもツイテイナイのか。
    嘆きのセレナーデはいつも不意にそして、ある程度の予測はつきうるものだ。
    ザイール。アタシが今、最も渇望する国は、最も遠い国のひとつである。


  • カメルーン 写真

    「――1997年、5月、32年間にわたり腐敗のかぎりを尽くしたモブツ政権が武装組織を結成したカビラにより追放され、新生コンゴ民主共和国が誕生した。 
    しかし、独裁という体制はカビラもモブツと何ら遜色なく、大統領のツチ系人軽視に反旗を翻したのがツチ系バニャムレンゲ族だ。1998年、再びコンゴ(旧ザイール)は内戦状態となった。カビラ政権をアンゴラ、ジンバブエ、ナミビアが支援し、反政府勢力をウガンダ、ルワンダが支援した。
    また、反政府勢力の背景にはブルンジの存在も指摘され、タンガニーカ湖を挟み国境を有するタンザニアは常に緊張状態だ。
    モブツが逃亡先で死亡したが、受け入れたのはモロッコだ。 
    紛争は「アフリカ大戦」という様相で、一時反政府勢力が首都キンシャサまで迫るが、政府軍が押し返し、コンゴ西部を政府軍が、そして北部と東部をそれぞれ3つの(!)反政府勢力が支配下に置き、常に拮抗した状態となった。
    そして、なかなかニュースソースに載らないことだが、アタシたちは目をそむけてはならないのがこの大戦の間、民衆同士の部族間による大量虐殺が幾度も繰り返されてきたことだ。 国連、アフリカ統一機構、みかねた南アフリカのマンデラ大統領が奔走したが、事態はさらに深刻化、拡大化した。 
    1999年、ようやく紛争当事者による休戦調停が調印された。しかし、その協定は幾度となく破られ、人種差別を越えた人種差別という虐殺は今なお、コンゴの、あるいはコンゴの外でも、今日においてもどこかの森林地帯の村で繰り返し行われているはずだ。 不透明で出口の見当たらない状況のなか、こんどはカビラが大統領宮殿で、ボディーガードに撃たれて倒れるニュースが飛び込んできたのが、2001年冬のことだ。【2001年1月18日。コンゴ大統領カビラ暗殺?アフリカ大戦、再び混迷へ――――。】その記事が目に飛び込んできたのが、アタシが捻挫をおして、カメルーンへ向けて日本を飛びたつ3日前のことだった。アタシは、1998年ケニアで、はまりにはまったリンガラ音楽に浸りきる旅を渇望し、その矛先に定めたのがカメルーンだった。アタシたちを乗せたカメル―ン航空は、順調にカメルーンの商業都市ドゥアラへ。
    ドゥアラに夜間外出禁止令、及び厳戒態勢令が布告されたのは、アタシたちの飛行機がシャルル・ド・ゴール空港をドゥアラへ向けてまさに飛び発たんとしていた時刻とほぼ同時刻であったことを、後に知った―――――」
    【 HP まるくん★の旅は青空 http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/ より 】


     で、集合した北ウィングBカウンター前である。
    ―ワ、ワ、ワーオーゲーオーワーオーゲゲゲオー・・・・(意味不明)―
    「こ、今回は、あ、あんまりいい出会いは期待しちゃだめそうだな(苦笑)」



カメルーン 旅行記ランキング参加中!!

この旅行記は現在 --)です。

投票するには、ログインしてください

この旅行記と近い旅行記

掲示板

現在、コメントの書き込みがありません。

トラックバック

この旅行記のへのトラックバックURL

http://4travel.jp/tcs/t/tb/album/10051639/ef12e0f283a5f382ac38f2191510f0d4
この旅行記へのトラックバック記事

現在、トラックバックはありません。

marukunさん 写真
marukunさん
  • 誕生日:02月09日
  • 登録:2006年01月05日

アクセス数

海外渡航地図
(全40ヵ国

国内訪問地図
(全37都道府県

投稿件数

投票獲得数

  • ・旅行記:3811
  • ・クチコミ:1
  • ・QA回答:0

フォートラベル モバイル

QRコード
URLを携帯に送信!
@
フォートラベル モバイル ガイド

おすすめサービス
お花見スポットガイド
国内テーマパーク

カメルーンのトップページへ 閉じる