アラビアンナイトの旅 イエメン サユーン 100万本のナツメヤシのまち:marukunさんの旅行ブログ
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【サユーンに響く太鼓】
その夜、ある意味では「山賊」より怖い襲撃にあう。
蚊である。
まさか、マラリア病原をもつ蚊ではなかろうな―――。
マラリアはおもに、後日訪れる紅海沿岸のティハマ地方が熱帯性気候のため、寄生に要注意である。
蚊に刺されるなどして発病するまでの潜伏期間は10日から1ケ月とされ、発熱、嘔吐などの症状がいつなんどき訪れるかわからないだけによけいに怖い。
感染症には、おもに昆虫による感染と皮膚からの感染、飲食による感染がある。
「マラリア」は、ハマダラ蚊に刺され発病を起こすアフリカで最もポピュラーなものだ。
潜伏期間はまちまちで、嘔吐、悪心、下痢、肢体痛などの症状で、その昔ヨーロッパを視点とした「アフリカ探検」が盛んな頃、多くの探検者はこの発病を原因として命を落としていった。
「黄熱病」は、ウイルスをもつ蚊に刺されることにより発病。悪寒を伴う高熱が続き、血液の混じった嘔吐、死にいたることも稀ではない。
「眠り病」の感染は、マサイ族の牛たちが次々と倒れていくツェツェバイにより、この病気も発熱を伴い、やがてリンパ腺が腫れ、昏睡状態に陥る。
「フィラリア症」は、寄生虫病のことである。
高温多湿な地域でしばし発症し、慢性期には、「象皮病」という奇病に発展。
続いて、皮膚からの感染では、「砂ダニ症」がある。
海岸地方では、足の指と爪の間に卵を産み付けられるのに注意。
「破風症」は、外傷により菌が生まれる毒素により神経麻痺、心臓麻痺なり、死にいたるケースも高い。
「狂犬病」は、犬やマングースなどに噛まれることにより感染し、頭痛から始まり、不眠、呼吸困難などに陥り、発症するとまず100%近い致死率である。
「住吸血虫病」は水中から感染する。
血尿、血便から進み、肝硬変にいたるケースが多い。
飲食による感染は「赤痢」がある。潜伏期間は数日以内で、血便性の下痢、悪寒、発熱に悩まされる。
「腸チフス」は、発熱から徐々に高熱を伴う。
「コレラ」は、コレラ菌特有の下痢、嘔吐、脱水症状、そして意識障害などに陥る。
その他にも、「サルモレラ菌」、「腸炎ビブリオ」、「黄色ブドウ球菌」などの細菌性食中毒がある。
「ちょっと、Sさん・・・・・・。食欲減退するじゃないっ」
「配られる肉、ほとんど食べたくせによく言うよ(笑)」
そして、今日、アフリカ大陸発祥とされるウイルスで避けて通れないのが、「エイズ」である。
感染すれば、一週間から八週間くらいで血栓抗体が陽性になり確認される。
発病にいたるまでは3年から10年かけての潜伏期間がある―――――。
他にも挙げれば枚挙のいとまがない。
(ケニアの旅―「ナイロビは今日も黄昏て―』より http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/14000)
明け方、足の痒みで目が覚めると、あちこちが刺されていた。
防虫スプレーはしたし、電気蚊鳥線香もした。
しかし、マットが置かれただけの簡易ホテルのこの部屋には電気が通っていなかった。
実は部屋の発電スイッチを入れてなかったらしい。
夜中ずっとホテルの外からディーゼルエンジンの音がうるさくてしょうがなかったが、どうやらこのホテルに供給する自家発電機のようだ。
窓を開けると、まったくの暗闇のなかでは気づかなかったのは無理もないが、あたり一面ナツメ林だった。
サユーンは「百万の椰子に囲まれた町」という別名もあるくらい、椰子の木が多い。
椰子林の向こうには、昨日から見つづけてきたワディの渓谷の巨大な岩山が朝日を受けてピンク色に染まっていた。
朝食までずいぶん時間があったので、戸外を散歩してみることにした。
民家が何軒かある。素っ気ない石や土づくりの家だが、扉だけは派手な色をして立派な装飾をしており、しかも重厚だ。
しばらく歩き、民家が途切れるとあとは椰子林と迫り来る岩山の絶壁の麓で、道をはずれ岩山に向かって歩いた。
ワデイの底の土地は雨期の濁流のすごさを物語るように、日陰は土が緩く起伏が激しいので歩くのに一苦労する。歓声が届いてきた。こんなに朝早くからサッカーをする少年たちの姿があった。
砂漠のひとびとの朝は早い。
農業が中心のイエメンでは日中は日差しの強さからあまり作業がはかどらない。
したがって早朝の仕事が一日のすべて、ともいえる。少年たちもきっと農耕などの手伝いの合間に、あるいは学校へ行くまでの時間を有意義に過ごしているのだと勝手に合点した。
そのあたりにあった大きな石に腰掛け、しばらく彼らの遊びを眺めていた。
彼らはみんな素足でサッカーをしている。ひょいと飛んできた茶色のボールはなめし革の匂いがした。
少年たちのサッカーに気を取られていたが、すぐ近くにやせ細った眼つきの鋭い犬の集団がいた。
野犬だ。
サナア初日のナジプサのホテルでナジプサが注意していた。
「キャルバ、ハタル(犬、危険)」ナジプサにかかれば、イエメンは危険だらけだ。
ナジプサの忠告はともかく、やはり危険は危険だ。
恐怖から体が硬直し、彼らと目を合わせないようにして恐る恐る後ずさりした。
なんとか彼らから離れ道にでると、また恐ろしい一団に遭遇した。
黒尽くめの衣装の、つばが広く異常に丈が長く先の尖った帽子を被っている。
それらが集団でいる。魔女の隊列、そのものだ。
異様な集団の前は羊の群れだ。
ハドラマウト独特の衣装で、羊飼いの女たちと、朝食時ナジプサから聞いた。
サユーンは、いやイエメンはまったくもって、「アナーザー・ワールド」な世界だこと!
午前中、サユーンの市内観光をした。例によってくじ引き。
今日も、3号車のアリだった・・・・・・・。アリ、今日は頼むよ。
町の中心らしい広場に車は止まる。
インド様式の白い立派な宮殿と緑鮮やかなミナレットが空にそびえていた。
白の建物は1960年代までスルタンが住んでいた王宮で、現在は博物館になっているらしい。
訪れたタイミングが悪くあいにく今日は休館日だそうだ。
サナアでも軍事博物館が鍵をもった門番が不在、という考えられないような理由で入館できずじまいだった。しかし、旅の後半、タイズの町にてイマームの城がそのまま博物館になったところでの印象を思えば、無為な時間を過ごさなくてよかったのではと、今なら思える。
豪奢な王宮の向かい側は小さなスークだった。
狭い路地に日よけの竹細工があり、ここでもアジアの風が吹いているような気がした。
こじんまりしたこのスークを歩くのは楽しい。どこか、ホッとさせられる。
それはひとびとの表情である。
サナアでは今朝遭遇した野犬のように眼つきの鋭い部族たちに、意味もなく怖がっていたが、サユーンのひとびとは見るからに朗らかで穏やかだ。
「古代シバ人はとても平和的だったらしいです。ハドラマウト地方はモンスーンによる交流などの影響から南方アラブ人とマレー人の混血が進んでいたとされています」
昨日のガソリンスタンドで、最初に出会ったひとたちの表情からアジア人の風貌を感じ取っていた。
「サユーンの人口はこの地方最大で約3万人、ハドラマウトで20万人います。宗教はもちろんイスラム教ですが、北部山岳地帯の部族と異なり、スンニー派を信仰しています。このあと訪れるタリムの町は17世紀から19世紀にかけて、スンニー派の学問の中心地でした」
「さきほどの王宮もインド様式みたいだし、それもマレー系のひとびとの影響?」
「ラム、アフハム(さあ、わかりません)」彼は悪びれる様子もなく、またスークの乾物を一掴み取り上げて口にほうりながらスークの奥へ歩いていった。
私は彼を旅の中ごろには「アフハムさん」と呼んでいた。
竹細工の天井のスークを出ると、リズミカルな太鼓の音が届いてきた。
太鼓の音は一定のリズムを保ちつつ速度を増していった。
ステップには一定の決まりがあるらしく、なかなか真似できそうにもない。
今晩、ドライバーたちがカーステレオから流すアラビア歌謡で踊っていた姿をみようみまねで私が踊ったマガイモノとは明らかに違っていた。
輪をつくって見物する朗らかな南のひとびとが、手拍子をはじめ歓声をあげた。
近くのひとびとが、ビデオカメラで撮っていた私に気づき、前にいるひとをかき分けて一番前に座らせてくれた。
「ヤバーン、タマム(日本、いいね)」
北イエメンの男たちはひとに笑顔をみせることはめったになく、気難しいといわれる。
長らく閉鎖的な山岳部族社会で内向的にならざるをえないのは理解できる。
南のひとは違う。
砂漠の青空のようにくもりひとつなく、どこまでも聡明な印象を受けた。
ひとの輪の向こうに建つ、モスクの屋根のエメラルドグリーンが眩しい。
今回の旅で最もなごませてくれ、お気に入りの町となったのはサユーンだ。
いや、あらゆる旅のなかでもっともお気に入りといってもいい。
なごりおしいが、広場の祭りを離れ、神学の町タリムへ向かう。
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