東海岸の旅 その10:Mark & Risbeauさんの旅行ブログ
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10428636/からつづく】
午後遅く首都ワシントン(以下「DC」)に到着した。翌朝車を返すので、その前に車でないと行きにくいところを先に訪問することにした。まずポトマック川を挟んでDCの反対側にあるアーリントン国立墓地に向かった。
アーリントン国立墓地
アーリントン墓地は、19世紀半ばの南北戦争のころに制定された米兵士のための国立墓地である。この墓地の約2.5平方キロの広い敷地には、これまでに30万人の兵士とその家族が葬られているが、埋葬地に限りがあるため、ここへの埋葬資格は連邦法で細かく規定されている。
通り雨のあと見事な虹が架かった
閉園の7時まで1時間を切っていたので、急いで順路に踏み出そうとしたところ、いきなりの土砂降りだ。東はよく降るなあ。時間がなくなる〜、と心配しても間に、幸い10分ほどで雨は通り過ぎたので、墓地見学を始めた。空には、ものすごく鮮やかで大きな虹が架かった。
衛兵の向うが大理石でできた無名戦士の墓
敷地内の真ん中あたりの高台にある無名戦士の墓では、正時と半時に衛兵の交代が行われる。ちょうど6時半頃だったので、まっすぐそこに向かった。僕らが着いたとき、もうすでに多くの人がカメラを構えて待っていた。
無名戦士の墓には、第一次大戦からベトナム戦争までで戦没した身元不明の兵士を代表して、それぞれの戦争から身元不詳の遺体が一体ずつ埋葬されている。定期的に交代する衛兵は、伝統的にこの墓を警備する米国陸軍第三歩兵連隊の所属である。静まり帰った墓地に、軍靴の響きがこだましていた。
アーリントン記念円形劇場
無名戦士の墓の背後には、大理石造りの円形劇場があった。ここでは、国葬や例年の戦没者記念日・退役軍人記念日の記念式典が開催されるそうだ。閉園が迫るひと気が少ない墓地には、夕暮れの時が音もなく流れていた。
静粛に、敬意をもって
墓地を去る前に、ケネディ大統領の墓に向かった。昔から訪れてみたいと思っていた場所の一つである。すぐ手前まで行ったところで、坂を下りてくる人の群れに出会った。時計を見ればちょうど7時で、残念ながら時間切れ。ガードのおじさんが人差し指を立てて左右に振っていた。仕方なく、あきらめて車に向かった。
星条旗を立てる海兵隊員たち
© Associated Press/Joe Rosenthal
硫黄島は、これまで何度も映画に描かれた第二次大戦の激戦地である。1945年の終戦を迎える半年前、東京から千数百キロ南の海の真ん中にあるこのちっぽけな島の攻防戦で、2万人の日本兵と2万8千人の連合軍の兵が命を落とした。そこまでの犠牲を払って奪い合った硫黄島が、戦局にほとんど影響を与えなかったというのは、なんとも皮肉な話である。
ただし、硫黄島の名は、ひとりの従軍カメラマンが撮影したこの写真のおかげで世界に広まり、そして歴史に刻まれることになった。ジョン・ウエインの映画「硫黄島の砂」に描かれた劇的なシーンである。
写真もいいが、像はもっといい
1ヶ月に及ぶ激しい戦闘の末、硫黄島を日本軍から奪い取り、島中央の摺鉢山の頂上に星条旗を立てる米国海兵隊兵士たちの姿である。この写真を主題にした記念碑がアーリントン墓地のすぐ近くにある。
厳しい勝利を勝ち取った瞬間をドラマチックに伝える迫力ある群像が、いやがうえにも米国人の愛国心を鼓舞するようだ。夕暮れ迫る記念碑にすっかり見とれてその前から離れがたく思うのは、僕たち外国人にとっても同じことだった。
中華街にはやっぱりこれがないと
DCに戻った僕らは、これから二泊の宿がある、街の中心からすぐ北のチャイナタウンに向かった。中華街おなじみ門をくぐってすぐのところに、僕らのホテルを発見。チェックインを済ませ、そのまま晩飯にでかけた。
ニセっぽい中華街
どの店にも律儀に英語名と中国名が併記してあり、まるで香港の六本木、蘭桂坊を思わせる。ただ、通りがゴミひとつなく清潔で、すえた異臭がしないのは、白人のカンフー映画を見てるようなものだ。これじゃ、中華街の名折れである(笑
こんなのを食べながら...
いろいろ見て体験した今日一日を満足に締めくくったのである。
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10431833/につづく】
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