弁慶号・御料車・万世橋驛遺構 ☆誇り高い鉄道の遺産たち。
東京・秋葉原にある交通博物館に行きました。5月の閉館まで旧万世橋駅の遺構が公開されています。ここでは鉄道に関する記念物を中心にまとめて紹介します。
明治政府の北海道開拓使によって開発は進められた。北海道初の鉄道は、小樽から札幌・幌内まで開通した。この幌内鉄道で使用された8両の機関車のうちの1両がこの弁慶号。アメリカから輸入され、1880年から9年間活躍した。
「開拓使号」をはじめとする客車もアメリカで製造され、同時期に輸入された。各機関車は当時アメリカで採用されていたデザインをそのまま採用した。
特徴的なスタイルの煙突は「ダイヤモンドスタック」。これは内部に火の粉の飛散を防止する装置を備えている。また、先頭部に取り付けられたもの、これは「カウキャッチャー」。大きく重い牛などと衝突した際に機関車が脱線しないように、また牛も極力傷つけないために取り付けられたもの。
(編集中、また来てね!)
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| 一人あたりの費用 |
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一泊平均宿泊費 >
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善光号。日本鉄道会社第1号の機関車。イギリス製で1881年、上野ー高崎間で導入され、大正初年まで活躍した。
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善光号の動輪。愛着込めて磨かれてきた美しいデザインだ。
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アメリカから輸入された最上等車で高級な仕様だ。幌内鉄道で開拓使長官等の専用車両として使用されたため、「開拓使号」の愛称が定着し、車体側面にも大きく「開拓使」と力強く書かれている。
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菊の御紋章。絶対的権威の象徴だ。御料車は天皇・皇后陛下、皇太后、皇太子のお乗りになる御召車のこと。
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御料車には作られた当時の最高の車両製作技術や美術工芸技術が取り入れられている。豪華な内装が施され、工芸作品としても後世へ伝える必要のある車両だ。
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1号御料車(初代)
1876年(明治9)官鉄の神戸工場において製作され、翌77年神戸〜京都間鉄道開業式に行幸された明治天皇が使用された。
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明治天皇が1902(明治35)年秋の熊本県下で行われた陸軍大演習に御行幸の際に初めて御召し列車に使用された。
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2号御料車(初代)
1891年(明治24)にドイツから輸入され、その後1902年(明治35)に現在のように改造され、明治天皇が九州行幸に使用された。
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四ッ谷トンネル入口飾付兜。 明治26年製。甲武鉄道(現中央線)の旧四ッ谷トンネル入口に飾られたブロンズ製の飾り兜。
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壱岐
壱岐丸の号鐘。 明治38年に就航し、日本初の連絡船として働いた壱岐丸のシンボル。
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万世橋の上から見た高架線は当時のままの美しい煉瓦のアーチを川の水面に写している。
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東京駅
万世橋駅は明治45年(1912)4月1日に開業する。開業当時の万世橋駅駅舎は後に東京駅も手掛ける辰野金吾の設計で、駅舎内には1等2等待ち合い室・食堂・バー・会議室等が設置され堂々とした風格を備えていた。
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東京駅
、大正3年(1914)東京駅が開業すると万世橋駅は単なる途中駅となってしまう。さらに関東大震災で駅舎は火災にあい、その後質素な駅舎として再建された。交通博物館が現在の場所へ移ってきて、昭和11年(1936)年駅舎は解体され昭和18年には万世橋駅は廃止された。
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レンガのアーチと鉄骨の組み合わせ。このドーム内で記録映画が上映される。
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レンガと石組みの構図。きっちりとした収まりに感銘を受けた。
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遺構内には公開されていない空間もある。封印された時間が感じられる。
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ホームに登る階段。手すりは大戦時に撤去されたという。
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万世橋駅のあった場所は現在交通博物館になっている。中央線の線路の通っている部分は当時のままで、高架上には当時のホームが花壇として残されている。
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