80年代初めのアメリカの旅 (3)New York:YOSHITOさんの旅行ブログ
6月14日(日曜)深夜に着いたニューヨークでは
24日(水曜)にサンフランシスコへ移動まで主要
な出版社を訪ねた。その間ワシントンやフィラデ
ルフィアの出版社にも訪問する。
週末は初めてのニューヨークの市内観光を楽しむ。
写真は1981年当時のタイムズ・スクエア。
17日(水曜日)はHuman Sciences
Press の社長・シェルダン・ローエン
博士に面談。日本のマーケットでの積
極的な展開には期待をもっていた。
私はこの時が初対面であったが、やり
てのビジネスマンというよりかソフト
な話振りはまさにドクターであった。
写真はグランド・セントラル・ステー
ションと当時のアメリカの翼パンナム
のビル。
翌18日(木曜)にはバスで1時間半かけ
てNJ州ハイツタウンへ出張。アメリカでも
大手の出版社McGraw-Hill Publication
社の雑誌部門担当役員エルシンガー氏を訪
ねる。他にもBusiness Weekの担当部長
ペーターソン氏ら4名のスタッフが同席し
て昼は社内で和やかな会食となった。
写真はイエロー・キャブが走るマンハッタン
の風景。
19日(金曜日)はNY市内東45丁目のAIP
アメリカ物理学会へ行く。しかし業務の主
体は既にNY州のWoodburyに移っていた。学
会の連絡便とも言うライトバンで1時間余走
り続けて緑豊かな地方都市にガラス張りの綺
麗なオフィスがある。雑誌部門のマネジャー、
ジョン・ディカーロ氏に面談。米国の主要取
引先で彼とはいつもレターやテレックスのや
りとりはしていたが会うのは初めてだった。
NYへの帰りの車で会長のウイリアム・コッチ
博士と同席出来たのは幸運だった。私の
「アメリカには初めて来ました」
「それは驚いた。英語は何処で覚えたの?」
と私の拙い英語を誉めてくれ、これから先の
Agent交渉のスタートになった。
写真は正面奥に国連ビル。
週末を迎えた20日(土曜)には馬上君の案内
つきで初のNY市内観光。
セントラル・パークの入口で。
初めてのNY,ほとんどマンハッタンを出て1週
間のフル稼働であった。緊張感を持って多く
の方々に面談して意義ある時間を過ごしていた。
NYとりわけマンハッタン島に限れば広さ
も限られている。ロンドンの様に大きな
公園がいくつもある都会と言う訳には行
かない。唯一アッパー・タウンの中心に
はセントラル・パークがある。ニュ―ヨ
ークっ子には憩いの場所。
一歩足を踏み入れると緑に囲まれ、今ま
でのNYの 喧騒が嘘の様。中には幾つも
の池があり、美術館や野外音楽堂に小動
物園まである。散歩の人だけじゃなく犬
を連れた人、ローラースケートに興じる
若者達と皆思い思いの楽しみ方をしてい
る。
昼はタイムズ・スクエアのファースト
・フードの店に寄っていた。席を立って
出る時に一人の日本人と眼があった。
お互いにえっと言う顔をして声を掛け合
った。旧知の京大の分析化学教室の小山
先生だった。私が京都に勤務していた時
のお客さんだ。
「カナダで学会があった帰りなんですよ。
貴方はNYで何を?」
「今出張でこちらに来ているんです」
「そうですか。何十年ぶりですか。びっ
くりしました」
「本当に奇遇ですね」
あえてリバティ島までは行かずしばらく
バッテリー公園で休んでいた。
実際に船に乗ってリバティ島に渡ったの
はこの18年後のことでした。
バックのビルはあの貿易センター。
バッテリー公園から世界貿易センタービル
はもうすぐそこである。マンハッタンをし
ばらく南に上がる。この時で8年ほど前に
建った世界で最も高いビルだったと思う。
日系のミノル・ヤマサキ氏設計のNY新名所
の一つだ。
この時から丁度20年後の2001年9月11日
の朝、あの悲劇が起ころうとは想像だに
しない。1階で乗ったエレベーターはま
るで瞬時かと思わせる速さで110階に
到達していた。特に耳に強い圧力も感じ
ない。その性能の良さは印象的だった。
展望台からのビル群はむしろ低く見えた。
マンハッタン島からブルックリンをつな
ぐブルックリン橋とマンハッタン橋が眼
下に見えた。もちろん自由の女神の小さ
なリバティ島も見える。ただこの時には
曇ってきており少し視界が悪かった。
その分展望台からの 写真はどれも映像
の出来が悪い。
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