多摩川台を歩く:のださんの旅行ブログ
まずは多摩川駅で降りて、浅間神社へ向かいます。
鳥居に着く前に「愛櫻碑」。
多摩川の新堤防の補強と沿岸美化のため、桜樹4,000本を植えられたことを記念し、昭和4年(1929年)に建てられました。
浅間神社の祭神は木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)です。
桜の花が咲き匂うような女性。
そのため、社紋の一つが桜です。
この辺も含め、多摩川沿いは桜がきれいですね。
ちなみに、数年前大ブームとなった「桜坂」は、東急多摩川線で一つ南に行った沼部という駅が最寄りです。
参道を上って上まで行かないといけませんが、浅間神社は浅間神社古墳という古墳の上に造られているからです。
由緒説明によると、「古墳の丘の氏神様」というキャッチフレーズがあるらしいです。
参道を上り切って、なかなか立派な社殿が見えます。
浅間造という様式で、東京では唯一なのかな?
出陣した源頼朝の身を案じた北条政子が後を追ってここまで来たが、わらじの傷が痛み出し、やむなく療養することにしました。
亀甲山(かめのこやま)に登ってみると、富士山が実に鮮やかに見えます。
北条政子の守護本尊は、富士吉田の「浅間神社」です。
政子はその浅間神社に手を合わせ、身につけていた正観世音像をこの地に祀りました。
これが多摩川浅間神社の始まりだと言われています。
展望台がありますので、南側の景色を眺めてみます。
見える橋は丸子橋で、東京都と神奈川県を結んでいます。
通っているのは中原街道です。
昭和初期までは中原街道を渡す橋はなく、「丸子の渡し」という渡し舟が存在しました。
それとほぼ同じ箇所に丸子橋が架かっています。
名橋の一つに挙げられます。
多摩川台公園を歩いてみます。
浅間神社からここまでは、一度下りて線路下をくぐる必要があります。
野草園を抜けると水生植物園。
こちらも調布浄水場跡です。
四季の野草園と水生植物園は、沈殿池とろ過池の構造物を利用して造られたものです。
北へ道なりに歩いていきますが、どこを歩いているのかよくわかっていません。
案内板を見て、ようやくこの右側の盛り上がった部分が亀甲山古墳だということがわかりました。
亀甲山古墳は、荏原台古墳群中最大の前方後円墳です。
発掘調査はされていませんが、4世紀後半の築造と考えられ、多摩川下流域の首長の墓と推定されています。
港区芝公園内にある丸山古墳とともに都内の代表的古墳とされ、昭和3年に国の史跡に指定されました。
亀甲山古墳の北側まで到達すると、多摩川台公園古墳展示室が迎えてくれます。
古墳に特化した展示館というのもなかなか珍しいのではないでしょうか?
「墓前祭」に参加している人を表した埴輪を元に、その衣装を再現しています。
亡くなった前首長の葬送の儀式に加え、新首長の即位を広く人々に知らしめることを目的に、前首長が眠る石室の横で執り行うのが墓前祭なのだそうです。
古墳展示室の隣に生えている、「メタセコイア」、別名アケボノ杉。
三木茂博士によって、中世代(2億5千万年前)〜中新世の化石から発見され、メタセコイアと命名されました。
絶滅した種と思われていたが、1945年、中国四川省の奥地で生木が発見され、「生きた化石」として話題を呼んだそうです。
日本には1949年に入ってきました。
古墳群の隣を歩いていると、こうやって看板を出してくれていますので助かりますが、説明等は何もありません。
その辺は古墳展示室に行って見学するのが良さそうです。
第5号墳は、別名「西岡第42号古墳」です。
この界隈にはよく「西岡第○号古墳」という古墳がありますが、西岡秀雄氏が発掘調査したことから来ています。
西岡秀雄氏は慶應義塾大学名誉教授であり、大田区立郷土博物館の元館長でもあります。
日本トイレ協会会長でもあり、トイレに関する著書も残されています。
宝莱山古墳までやってきました。
荏原台古墳群でも最古のものと言われています。
4世紀前半の築造で、亀甲山古墳に眠る首長の前の代の首長の墳だと推定されます。
ここまで来れば、北の宝莱山古墳と南の亀甲山古墳、その間に多摩川台古墳群が鎮座している、ということがわかります。
古墳の上を歩いて向こう側に抜けます。
残っているのは前方部だけで、後円部は1934年(昭和9年)に壊されてしまったそうです。
その当時田園調布は都市開発中で、駅から放射状にのびる道を造るという住宅地開発をしていました。
その延長線上に宝莱山古墳があったということです。
この古墳を初めて調べたのは、当時付近に住んでいた中学生の細谷公一氏と三宅俊太郎氏。
二人が勾玉や鏡などを発見したことを知らされた、当時慶應義塾大学生だった西岡秀雄氏も加わり、発掘が進められます。
この頃から西岡氏は田園調布界隈の古墳群の調査に乗り出します。
宝莱山古墳は、別名「西岡第37号古墳」です。
この地域では将軍塚、蓬莱塚などと呼んでいたそうです。
わけのわからないごちゃごちゃした道を進んで、やって来たのが秋葉のクロマツ。
高さ約17m、幹の周囲約4m。
樹齢約300年と言われ、都の天然記念物に指定されています。
木の根元に、照善寺の守護神である秋葉神社の祠が祀られていることから、「秋葉のクロマツ」と呼ばれるようになりました。
馬坂を下っていきます。
大正時代までは、この界隈では、馬が引く荷車で台地を上る唯一の坂道であるため、こう呼ばれるようになりました。
馬が上るのに苦労しない坂だということで利用されたようです。
馬坂を下り切って照善寺。
馬坂は、照善寺脇の坂道であるので、寺坂とも呼んでいたようです。
こちらには、古墳時代末期の人物埴輪が納められていて、非公開です。
この近くの観音塚という古墳から出土したものです。
田園調布駅までの長い道のりを歩いていきます。
途中で宝来公園があります。
特に何があるわけでもないでしょうが、ちょっと通っていきます。
公園を抜けて、銀杏並木道を通っていくと駅まで到達します。
そう言えば、田園調布の街路樹は有名でしたね。
この光景は初めて見るが、素晴らしい。
学生時代は東横線を毎日のように使っていて、田園調布駅も毎日のように通過しましたが、田園調布自体には住宅以外に特に何もないので、降りることはほとんどありませんでした。
田園調布は憧れの高級住宅街かどうかは別にして、私は住みたいとは思わないが、この光景を味わえるのであれば、たまに来るのもおつではないでしょうか?
ちなみに、私が今日歩いてきた、浅間神社からここまでは、すべて地名は「田園調布」です。
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