千代田区周遊:のださんの旅行ブログ
JR有楽町駅に着いたのは10時。
皇居方面に歩いていきます。
第一生命のビルがあります。
戦後の占領下でGHQの総本部が置かれていたそうです。
こちらに「マッカーサー記念室」というものが残っているはずですが、公開されているのかどうかよくわかりません。
一般人も入ることができるのであれば、いつか入りたいと思います。
「帝劇ビル」の9階に出光美術館があります。
窓からは皇居外苑を眺めることができます。
今日は人が多いですが、いつもこんなに多いのかは知りません。
アクセスが良いので、気軽に来られるのも要因なのでしょう。
地下街でランチを摂り、東京メトロ有楽町線で永田町駅まで行き、半蔵門線に乗り換えて半蔵門駅で降ります。
この界隈を麹町と呼びますが、3番出口を出たところに、荒俣宏氏が地名の由来を説明した文章がありますので、時間があれば読んでみると良いと思います。
幕府の麹御用を務めた麹屋三四郎がこの界隈に住んでいたそうです。
目の前の道を麹町大通と呼び、西に進むにつれて新宿通り、そして甲州街道と呼び名が変わります。
半蔵門は、江戸城で有事が起こったときに将軍が甲府まで逃げるために抜ける門です。
五街道の起点はすべて日本橋だそうですが、甲州街道の起点は日本橋ではなく実は半蔵門であるという話も聞いたことがあります。
本当かどうかは知りません。
路線や駅にその名がついた「半蔵門」。
内堀通りから近づくことはできません。
服部半蔵の屋敷がそばにあり、半蔵が警護していたからその名がついたそうです。
半蔵率いる伊賀部隊、と言ったほうが正確でしょうか?
服部半蔵を名乗ったのは一人ではありませんが、一般に服部半蔵というと服部正成のことを指します。
私は半蔵と聞くと、信長に自害を命じられた(と言われる)、家康の嫡男である信康の介錯を務めたという話を思い出します。
数多くいる中級家臣の一人に過ぎなかったようです。
半蔵自身は忍者として活動した記録はないそうですが、服部半蔵=松尾芭蕉という説があります。
ちょっと引き返して内堀通りを渡り、英国大使館方向へ進みます。
その英国大使館の手前。
現在「ふくおか会館」となっていますが、ここは「海嶽楼跡」です。
幕末の儒学者・安井息軒の屋敷があった場所ですが、東に海、西に富嶽が見えたことから、「海嶽楼」と名付けたそうです。
説明板もよく見えないので、ほとんどの人はここを素通りでしょうね。
戦後、初代駐日英国大使エスラー・デニング卿が、帰国に際し、日英親善のしるしとして植樹したしだれ桜を再現したそうです。
この方は築地生まれだそうです。
この公園は、桜の季節には花見に適しているようです。
内堀通りを挟んで向こう側には英国大使館。
"Ernest Satow"というのはたまに聞く名前ですが、駐日公使だったアーネスト・サトウが現在の大使館構内に桜を植樹したそうです。
この公園が桜の名所なのも彼の功績なのかもしれません。
英国大使館の所在地名を「一番町」と言いますが、この「番町」は六番町まであります。
江戸城の西側の守りを固めるために、家康が大番組という旗本を配置しましたが、その番号をとって「○番町」、というのが定説だそうです。
これは「紅枝垂」という品種。
所々見かける説明板によると、千代田区は「さくら再生計画」を策定しているそうです。
さくらを育て、次代に継承していくために活動しているとのことです。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行きたいが、どう行けばいいのでしょうか?
この「髪結い」という銅像が見える道を進んでいくようです。
ここが入り口ですね。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑というのは、先の大戦で戦死した方々の遺骨を納めた「無名戦没者の墓」です。
昭和34年に創建されたということです。
こちらが納骨堂。
六角形をしているので「六角堂」と呼ばれます。
こちらの墓苑には、9万数千体の遺骨が納められているそうです。
内堀通りに戻って、山種美術館に入ることにします。
ここの場所は中途半端で、駅で言えば半蔵門または九段下が最寄りですが、どちらも相当離れています。
館内はそんなに広くはなさそうです。
現代、と言うか明治から昭和にかけての美術家の作品が多いように思います。
不勉強にて画家の名前はほとんど知りませんが、楽しめます。
私は特に上村松園という画家の作品が気に入りました。
16時半ごろ美術館を後にします。
内堀通りを渡り、「番町学園通り」を進んでいきます。
「番長学園」ではないので間違えてはいけません。
この辺は教育機関が多いのでしょうね。
途中の交差点で、大妻女子大学を発見。
現大妻女子大学のキャンパスは、旗本佐野家の屋敷があった場所です。
1784年、ときの当主佐野善左衛門政言は、江戸城にて、老中・田沼意次の子で若年寄の意知を斬りつけました。
意知はその傷が元で死亡、政言も翌日切腹を命じられ、御家断絶。
この事件が原因なのか、意次もその2年後に失脚しました。
政言は「世直し大明神」として人々に崇められた、ということです。
田沼意次と言えば賄賂、と教わりますが、近年はその評価も変わってきているようです。
大妻女子大学前の坂を「御厩谷坂」と言い、徳川家の厩舎があったからこの名がついたそうです。
東郷平八郎が長く住んでいた邸宅跡を公園にしたそうですが、見た目は普通の公園です。
東郷云々など感じさせません。
公園脇の一連の道を「東郷通」と呼び、特にこの坂を「東郷坂」と呼ぶとのことです。
ここを下っていきます。
ただ今17時を回ったところです。
東郷元帥記念公園から見て斜め側のブロック。
千代田区立四番町歴史民俗資料館。
ここは四番町図書館との併設ですので、開館日や時間も図書館と同じで、当然無料です。
多分、ですが、東京23区の図書館は休日が少ないので、使い勝手は良いと言えます。
1Fの展示室は工事中で見学できません。
千代田区のサイトの歴史民俗資料館のページには書かれてなかったぞ。
千代田区と言えば江戸城の歴史ですので、江戸城の変遷を写真で示しています。
一度皇居外苑を回っておいてからここを見学するのが良いかもしれません。
上野の大仏の首が、関東大震災で落ちてしまった様子の写真です。
地震の凄まじさを物語っています。
上野に大仏なんてあったのは知らなかった。
一度行ってみなくては。
ところで、上野は今は台東区ですよね。
なぜ上野の大仏の写真がここに?
千代田区との関係を知りませんが、今後調べてみます。
都電の標示板が左と上に。
左のものは、昭和31年からの早朝割引の標示だそうです。
上のものは、現在の都営地下鉄新宿線。
当時は路線も多かったそうですが、現在都電は荒川線だけだそうです。
言われてみれば、「都電」だけでなく「都電荒川線」と言うことが多いですね。
右側は、大正から昭和初期にかけての様々な乗車券だそうです。
歴史民俗資料館前の坂を上ります。
東郷通りは起伏により呼び名が変わり、この坂は「行人坂」と呼ぶそうです。
その他に「南法眼坂」というのがあり、この3つの坂は元々「法眼坂」だったとのことです。
東京メトロ有楽町線麹町駅まで歩きます。
途中のでかいビルは日本テレビです。
日テレって汐留辺りじゃなかったっけ?
どうやらこちらは麹町分室と呼ぶべきらしいです。
テレビ局のことはわからないけど、こちらでは何を行っているのでしょうか?
このビルの脇の道路を「日本テレビ通り」と呼ぶそうです。
帰りは麹町駅から有楽町まで戻ります。
今日は江戸城の周りを歩いたので、最後はこの方に締めていただきましょう。
東京国際フォーラムの1F、相田みつを美術館の上方。
言わずと知れた太田道灌様!
朝倉文夫作とのことです。
こちらの像は2代目で、朝倉文夫の実兄である渡辺長男が初代を作製したが、戦時中に供出されたので、戦後文夫が2代目を作製したそうです。
現在新宿にある東京都庁舎は以前こちらに存在し、移転した後東京国際フォーラムが建設されました。
太田道灌像は、旧都庁舎のシンボル的存在だったようですね。
だから今はこちらに残っているということですね。
ちなみに、朝倉彫塑館というところも、ぐるっとパス参加施設です。
いつか行ってみたいです。
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