太った女:くまねごさんの旅行ブログ
カナダに信じられないくらい太った女がいました。おまけに性根も歪んだ奴でした。これは、そんなどうしようもない女のはなし。
「ファック!!」
女はテーブルと棚の間を擦り抜けようとして、腰をテーブルの角にぶつけて叫びました。彼女はしょっちゅうそこにぶつかって、いつも「ファック」と言います。下品な女です。けど一度だけ、ぶつかってよろけた後に、「アイ ワズ ダンシング」と言ったことがありました。けれどもそれは例外です。
特にテーブルと棚の間隔が狭いというわけではありません。彼女が太っているのです。それも信じられないくらいに。「でぶ」 という言葉で括れば、それは「でぶ」の過大解釈でしょう。一般的なでぶに失礼です。一種の病気と言ってもいいかもしれません。 それも先天的な病気。ふつう後天的にはここまで太れません。
そういう意味ではかわいそうな人でした。ぼくは時々そう思いました。何処に行っても奇異の目で見られたでしょうし、面と向って体型のことを言われたり、露骨な眼差しで見られなくても、なにげない一瞥だけでも傷つくのには十分だったろうと思います。彼女は自分を護るために心にも厚い脂肪をまといました。そうすることが、彼女にとって傷つかない唯一の手段だったのです。そして現在の無神経な彼女になりました。無神経でがさつで、当たり散らしてばかりいる女。艱難汝ヲ玉トス、などと言いますが、不幸を糧とするのは易しいことではありません。不幸に押しつぶされる場合のほうが多いのではないでしょうか。あながち彼女を責めることはできないかもしれません。
ぼくと彼女はもう二ヶ月ほどもアパートメントに同居していました。友人でもなく、恋人でもなく、ただ経済的な理由で同居していました。彼女はタクシー会社の電話番で、もうすぐ三十に届く歳でした。ぼくは日本食レストランのウェイターで、まだ若かったです。彼女が貼り出したルームメイト募集の貼紙を、仕事を探しにこの町に来たぼくが見ました。彼女は家賃の負担を軽減したく、ぼくは住むところを早く見つけたかった。それがきっかけで、そして以後もそれだけの関係でした。お互いにプラスになったことといえば、彼女は当たり散らす相手を得て、ぼくは優越感を常に感じ取れる相手を得たというぐらいでしょうか。少なくともぼくは、彼女の自分勝手なヒステリーに嫌な思いをたくさんしました。思い出すたびに腹が立つのですが、一つだけ思い出しても不快にならないことがあります。
ある晩、ぼくが日本食レストランから帰ってくると、彼女は椅子に座って泣いていました。ぼくは彼女が泣いているのをはじめて見ました。彼女は受話器を取り、電話をかけました。なりやら懸命に謝っていました。しかしつれなくあしらわれているようでした。電話のやりとりを聞くうちに、ぼくにも次第に状況が飲み込めてきました。彼女は職場の人たちと飲みに行き(義理で誘われたのでしょうが)、そこで酒の勢いもあってなにか大変なことをやらかしてしまったらしいのです。例のヒステリーを、やってはいけない人にやってしまったのかもしれません。早口の、涙声の英語をぼくは半分も聞き取れませんでしたが、なんとなくわかりました。少なくとも皆のひんしゅくを買うようなことをやったのは間違いありません。
彼女は同じような電話を何度かかけ、そして受話器を置きました。もとから周りの人から疎まれていたのが、きょう決定的なかたちとなってしまったみたいでした。憔悴しきった様子が、いつもより縮んで見えました。縮んでいても十分太かったのですが。彼女はぼくを見ました。とくになぐさめの言葉を期待するような目ではなく、ただしょうがなく見ているといった感じでした。ぼくは何か言わなければいけないような気がして、
「きょう客にフォークくれって言われたのに、まちがってコークをもっていったよ」
と、言いました。「きょう」というのは嘘でしたが、あとは本当のことでした。彼女はくだらない話に相応の笑い声をあげました。笑った拍子に、涙がまたこぼれました。ぼくは彼女がいじらしいと思いました。どんな女にも美しい瞬間があるということをぼくはそのとき知りました。それは本当に一瞬だったけれど。
しばらくして、ぼくは住居を替え、そしてそこも引き払い、この町を出て、もっと暖かいところにいきました。「暖かい」とは、単純に気温の意味でです。そこにはそこの物語がありますが、それはまた別のはなし。
☆くまねごのブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kumanekoinvn/
現在、コメントの書き込みがありません。
現在、トラックバックはありません。