騎馬闘牛、崩れゆく街並み、ファドの調べ 〜リスボン:kumさんの旅行ブログ
この町はポルトガルという国をよく表している。
大航海時代に大発見をして富を築いたものの、その富を有効活用することができないまま使い果たし、衰退していったポルトガル。
もともと美しい街並みだったと思われるが、今は崩れゆくまま修復されず、放置されている建物を多く見かけるリスボン。
この国の人たちは維持や管理運営といった継続的に地道な労力を費やしたり、長期的な視野にたって行動する能力にやや欠けているのかもしれない。
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【旅程】
□4月29日 フランクフルト経由でポルト到着
□4月30日 ポルト泊
□5月1日 (ポルトでレンタカー)アヴェイロ、ブサコ泊
□5月2日 ピオダォン、セラ・ダ・エストレラ国立公園内泊
□5月3日 ソルテーリャ、イダーニャ・ア・ヴェリャ、モンサント泊
□5月4日 マルヴァン、オビドス泊
■5月5日 ナザレ、シントラ、リスボン泊(リスボンでレンタカー返却)
■5月6日 リスボン泊
■5月7日 リスボンからロンドン経由で帰国
【フライト情報】
<往路>
4月29日(金) NH209
東京(成田) - フランクフルト
11:25発16:35着 飛行時間:12:10
4月29日(金) LH1180
フランクフルト - ポルト
22:10発23:50着 飛行時間:2:40
<復路>
5月7日(土) NH6732
リスボン - ロンドン(LHR)
14:50発17:35着 飛行時間:2:45
(TAPポルトガル航空運航のコードシェア便)
5月7日(土) NH202
ロンドン(LHR) - 東京(成田)
19:35発15:20着(翌日) 飛行時間:11:45
《Inspira Santa Marta Hotel》
リスボンで宿泊したのはこちら。
Inspira Santa Marta Hotelはリベルダーデ通りから200m、Marques de Pombal広場から300mとかなり便利な場所にたつ。
ツイン1室、1泊125ユーロ
booking.comで予約。
空港でレンタカーを返却し、タクシーで宿へ。
《カンポ・ペケーノ闘牛場》
闘牛が開催されるのは木曜日の夜だけとガイドブックに書いてあったので、リスボンに到着したその日にでかけることに♪
チケットは地下鉄駅から闘牛場に向かう地下商店街にありました。
私たちの席は1人45ユーロでした。
開始は22時からと遅い。帰りはタクシーかな。
結構難しいみたいで、何度か失敗しながらなんとか成功!
残虐なものや刺激を求めるのは人間の本質と無関係ではないように思っていたし、闘牛という文化を否定するつもりはなかったので、一度見てみたいと思っていた闘牛。でもいたぶって、それを観客が一体となって煽っているのがなんか異様に感じてなじめなかった。ポルトガルの闘牛では闘牛場の中では牛は殺さない。でも傷つけた牛は使い物にならないので殺される運命であることには変わりない。
このフォルカードは、8人とは言え、素手で牛に挑むので一番フェアでかっこいい。
フォルカードに止められて大人しくなったところで、牛の群れが場内に解き放たれ、牛の群れる習性を使って、闘牛させられていた牛も退場する。
ポルトガル闘牛は、あまりに一方的に牛を弄っている感がして、正直好きになれなかったな。
Sea Shepherdsも捕鯨の邪魔をするよりも闘牛の邪魔をすべきなのでは・・・
≪カルモ教会≫
ここは14世紀に建てられた教会で当時はリスボン最大だったそう。
1755年のリスボン大震災により破壊された。
この地震の推定されるマグニチュードは8.5-9.0。
この地震とその後に続く津波と火災によりリスボンの人口の1/3近くが死亡したとする見解もある。
どこまで被害が広がったのかは正確にはわかっていないものの、この地震を契機にポルトガルの国力は坂を下り落ちていくことになる。
私たちも、東日本大震災(とりわけ福島原発事故)が日本衰退の契機になった、と言われないよう国力を再び盛り返していかないと、大航海時代後のポルトガルと同じ轍を踏むことになる。
天正遣欧少年使節には、当時12〜14歳の4人少年達が九州のキリシタン大名の名代として(※名代を騙っていただけという説もあり)使節団に加わり、1年半の船旅を経てヨーロッパに到着。小学生から中学生くらいの少年達が国を代表して、そんな命を張った旅に出たとは今ではにわかには想像がつかない。
使節の目的は、ローマ教皇に日本での布教活動についての援助を求めるとともに、ヨーロッパの文化のすごさを目の当たりにさせて布教活動に役立てる、というもの。ポルトガル、スペイン、イタリアの各都市国家に滞在し、ローマでローマ教皇に謁見。8年後に日本に帰国する。
天正遣欧少年使節団に参加した4人の少年達のその後は必ずしも順風・平穏なものではなかった。
17世紀の初めにはキリシタン弾圧が激しくなり、それでも4人のうち3人は信仰を貫く。特に中浦ジュリアン神父の最期は悲惨で、穴吊りの刑という刑に処せられる。この刑は穴に逆さまに吊されるのだが、内蔵が下がってすぐには死なないように縄で体をグルグル巻きにして、頭に溜まった血液を逃がして充血を防ぐために頭部に小さな穴をあけておくというもの。この時代で最も残酷な拷問の一つと言われ、共に刑に処された神父の1人は堪えきれずに棄教したそうだ。中浦神父は最期まで信仰を捨てず、刑に処されて4日後に死亡する。
さて、サン・ロケ教会を出て、アレクリン通りを下っていきます。
アレクリン通りを下ったところにあるカイス・ド・ソドレー(Cais do Sodre)という駅から路面電車の15番に乗ってベレン地区に向かいます。
≪ベレン地区 ジェロニモス修道院≫
この修道院とこの後に行くベレンの塔は世界遺産に指定されている。
でもそんなブランドなんてなくてもこの入り口の前に立っただけで、そのすごさが伝わる。
マヌエル様式の最高傑作との呼び声が高いのも肯ける。
この修道院はテージョ川の河口近くにあり、もともとは船乗り達が無事に航海から帰ってきたときに祈りを捧げる礼拝堂があった場所に建つ。
ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓とエンリケ航海王子の偉業を讃えて、16世紀初頭にマヌエル一世が建築を始めた。建築は何度か中断を挟み、完成には100年かかったと言われる。
マヌエル様式というのは、後期ゴシック様式にスペインのプレテレスコ様式(銀器類のような繊細な装飾が特徴の建築様式)の影響や海洋関連のモチーフをふんだんに取り入れた建築様式。
≪発見のモニュメントの前の広場≫
広場のまえには地図が地面に描かれていて、ポルトガル人が到着した年も記されている。
日本は1541年に発見とされている。
日本では種子島に1543年にポルトガルから鉄砲が伝わったとされているけど、その前に1541年に豊後にポルトガル人が漂流したらしく、その年をもって日本を「発見」した年とされている。
≪発見のモニュメント≫
ポルトガルで1940年に開催された国際展覧会に際して制作されたモニュメントを1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念してコンクリートで再制作されたもの。
モニュメントの形はキャラベル(ポルトガルで開発され、大航海時代に活躍した帆船の一種)の船首の曲線に似せられている。海に乗り出して行こうという希望と冒険心に溢れる当時のポルトガルの栄光の時代をよく表していて、何とも言えず、素晴らしい!
ガイドブックで見ていたときには全然興味なかったが、立ち寄って良かった。^^;
ベレンの塔をでてリスボンに戻る。バスや路面電車が全然来る気配がなかったので、タクシーを探すも、タクシーも全然来ない!
20分くらいウロウロしていたけど、ようやくタクシーを止められた!
運転手さんにプラゼレス墓地の入り口まで乗せてもらう。
ここにきたのは路面電車28番に乗るため!
28番は地球の歩き方でもお勧めされている、リスボン観光に超使える路面電車♪
国会議事堂、バイロアルト地区、バイシャ地区からアルファマ地区のカテドラルの前を通る。
アルファマ地区は18世紀の大震災でも倒壊しなかったので古い町並みが残っている。
路面電車が通ると渋滞してしまうような細い通りが迷路のようにあり、目的なく歩いていても楽しい。
サン・ジョルジェ城に向かう途中に城壁の角にあった看板!
Urinolって書いてあってその上に小便小象が!
なんと板で目隠しがしてあるだけの立ち○○ン専用トイレ(?)のようなのですが、一応女なので検証できてません。
男性諸君、サン・ジョルジェ城に行く際にはここで是非用を足してみて、ご報告下さい。(トイレマニアなのです。笑)
≪サン・ジョルジェ城≫
入場料は7ユーロとちょっと高め。
でも敷地内はかなり広いし、ここからの町の眺めもとても良いので外せないスポットの一つ。
鳥好きとしては孔雀がいっぱい放し飼いになっているところも、たまらん。
天気がちょっとどんよりしていて夕陽は期待できなかったけど、天気がよければここからの夕陽もいいらしい。
春から夏にかけては夜21時まであいている。それだけ日が長いということでもあるのだが。
サンジョルジェ城は丘の上に建つ。
古くはフェニキア人がここに要塞を建て、ローマ、西ゴート、ムーア、そしてポルトガルと代々支配者が変わっても要塞化され続けてきた。
いまの城はムーア人が建てた要塞をベースに増改築して、「城」に変えたもの。
城壁の一部が丘の斜面を下がっているが、これは城の外にある井戸へのアクセスを確保するため、防衛のため、城が陥落したときの逃げ道を確保するため、といった目的があったらしく、ムーア人の要塞時代からの名残。
順番が逆になってるが、少し時間を遡る。
出国前日の夜。
サンジョルジェ城に行った後にホテルに一回戻り、ファドの予約を入れた。
ファド演奏が聴けるファドハウスはアルファマ地区やバイロアルト地区に多いらしい。
私たちはアルファマ地区にあるファドハウスに行ってみることにした。
ってなわけでタクシーでまた戻ってきました。^^:
夜のカテドラル。
≪Clube de Fado≫
予約したのはクルベ・デ・ファド。
ミニマムチャージがなく、ショーチャージも7.50ユーロとお手ごろに思えたのと、オーナーのギタリストは日本でも公演を行ったことがあるとのことで良さそうだなと思い、ここに決めた。
食事は普通で特に美味しいわけではないけど、ファドを聴きに行く分には近くで見れるし良かった。
「運命」を意味するファド。
哀愁を帯びた感情豊かな歌唱に引き込まれる。
歌い手は3人でてきましたが、最後にでてきたこの写真の女性が一番良かった。(美人だし)
CDあるか聞けばよかった・・・
そしてポルトガル最後の夜は更けていったのでした。
***
長い11GWポルトガル旅行記もこれにて完です。
ご覧頂き、有難うございました。

kumさん、こんばんは。
いつにも増して、素晴らしい旅行記です。
表紙の写真はまさに決闘と言った雰囲気が漂い、フォトジニックなのですが、私はきっと見に行くのさえ拒んでしまうタイプなのだと思いました。
kumさんはしっかりとレポートされており、こうやって伝えてくれるのですね。思わずお礼を言いたいくらいです・・本当に・・
キリシタン弾圧のお話、ポルトガルの繁栄と衰退などを感じる写真、どれもズッシリときます。
どちらかと言えば、重たい話ですが、kumさんの淡々とした文章、合間に入るふっと笑わせてくれるカットやコメントに救われます。
簡単ですが、この辺で、
それでは、また。
takemo
闘牛最後の写真の感想には思わず同意、クスっと笑ってしまいました。

takemoさん、こんばんはー
お返事が遅くなってすみませぬ。
確定申告や年度末ってことでちょっとばたばたしてます。
さて、闘牛は日本人にはあまり人気がないようですね。
フォートラ内のポルトガルの旅行記ではあまり闘牛をとりあげているものがないようで。スペインだったらもうちょっと多いのかもしれませんが。
わたしも動物が好きなのでどうかなぁって思いながらも、人がプロレスやボクシングなどの格闘技に熱くなるのと同じかんじで闘牛も興奮するのかなぁって思いながら見に行きましたが、ぜんぜん別物でした。。対等なリスクを背負って戦うわけではないところが好きになれなかったです。
シーシェパードはほんとむかつくんですよね〜。
正直、鯨肉が好きなわけでもないので、捕鯨なんてやめてもいいんじゃない、くらいに思ってましたが、NHKスペシャルでシーシェパードの独善的な業務妨害ぶりを見て、怒りのあまりその晩は眠れませんでした!同じことを中国でやったら中国人は全力で反発しそうなのに、日本人ってそこらへん、ほんと弱いですよね。オーストラリアやイギリスの政治家にも支持者がいるらしいので、政治的な問題でもあるのかしら。とりあえず、今まで大好きだったアウトドアウェアのパタゴニアがシーシェパードに寄付をしているといううわさを聞き、パタゴニアで買い物するのをやめました。
くむ

kumさん、こんばんは♪
スペインの闘牛とは少し違う感じですね。
バルセロナで闘牛を見ようと思ってたのですが、ちょっとの時間差で見れなかった。
煽られて甚振られて、最後は悲しい声で泣くんだろうな〜。
実際に見ると違和感があるって気持ちは何となく解ります。
リスボンは、一度行ってみたい街なんですよ。
狭い路地を走るトラムに乗ってみたいんですよね〜。
cross

crossさん、こんばんはー
いつも有難うございます♪
リスボンでポルトガル旅行記もおしまいです(ってまだ作りかけですが・・)。こうやって振り返って見ると(フランクフルト入れて)旅行記10個分と結構充実した旅だったなぁと、自己満足してます。笑
ポルトガルに入国する場合、リスボンかポルトから入る人が多いかと思いますが、どちらかしかいけないなら個人的にはポルトの方がお勧めです。リスボンの方がいろんな意味で大都市ですね。ポルトの方がちょっと情緒があるように思いましたよ。
kum

kumさん、こんにちは。
闘牛。1度は観てみたいと思うのですがどんな経緯であれ「殺す」という状況を観るのは耐えられるかな。。。kumさんが感じたように場内の雰囲気に違和感を感じるかもしれません。
牛の習性を利用した退場、とはいえ刺されて傷ついて痛いだろうに他の牛の後ろをトボトボとついていく姿を想像するとなんだかかわいそうに思ってしまいます。。。(闘牛文化を否定する気は全くありませんが、動物に感情移入をしてしまうとかわいそうと思ってしまいます)
最後の写真はファドに行かれたのですか?私もファドに行った事があるのですが、旅行中に風邪をひいて1番体調が悪い時で、でもツアーだったので団体行動を乱せず、行っても食欲はないし、寒いし…歌声も全く耳に入らず辛い思い出しか残っていません(涙)
fujickey...☆

fujickeyさん、こんばんは!
コメント有難うございます〜
闘牛に対しては、母がとても嫌悪感を示していたのを見て育ったので、逆に「誰かが殺した牛を食べるくせに、それを殺すのがいやだというのは如何なものか。」と思って、実は見るまではそんなに抵抗はありませんでした。
でも、(スペイン闘牛は分かりませんが)ポルトガル闘牛は、闘牛士は自分は危なくなったらすぐに逃げるし、牛の角には刺さらないようにカバーをつけるなど闘牛士の安全は確保した上で、牛を一方的にいたぶることと、観客がそれを見て喜んでいることに、違和感を感じまくりでした。。闘牛士も命を張って、いたぶることを目的とするのではなく、どちらかが倒されるまで勝負が続く、っていうならまだ納得感はあるのですが・・・
> 最後の写真はファドに行かれたのですか?私もファドに行った事があるのですが、旅行中に風邪をひいて1番体調が悪い時で、でもツアーだったので団体行動を乱せず、行っても食欲はないし、寒いし…歌声も全く耳に入らず辛い思い出しか残っていません(涙)
そうなのです♪
ファドは3人の歌い手がでてきて、この写真の女性がトリだったのですが超よかったです!最初の人はふーんって感じだったので、あたりはずれはあるみたいですが。ファドのちょっと暗い感じが私好みだったなぁ。
くむ