冬の洞爺湖畔 雪のごとき白きモニュメントと新雪の風景:kodeyanさんの旅行ブログ
「回生」
― 氷塊を削り込んで造られているかのようだ ―
イサム・ノグチはこの彫刻をこう表現している。
設置面北側下部にわずかな隙間があり、そこに光りが差し込むと石が浮かんで見えるという。
触ると硬い石がなぜか温かく感じ優しい気持ちになった。
北海道でもすごしやすい洞爺湖には道立教員保養所があり肺結核の療養をした教職員が多くいた。
生と死・・
「回生」は病で亡くなった教職員への慰霊碑なのだ。
保養所跡地には、やはり安田侃作の記念碑「ゆかりの碑」があり、この「回生」と二点で一作となっている。
「ゆかりの碑」から「回生」へとつづく道は魂の軌道・・
志をとげられず若くして亡くなった教師たちの無念が湖の向こうの未来と希望に向かって翼を羽ばたかせ今にも飛び立とうとしているようだ。
泥流を流す人工の川の向こうに「意心帰」が見えている。
1977年の有珠山噴火では犠牲者は出なかったが、翌年中腹に積もった灰が大雨により泥流となり犠牲者が三名出た。
そのとき亡くなった子供のための慰霊碑である「意心帰」が川の近くにきちんと設置されていたなんて。
石の詩人といわれる安田侃の優しさを感じる。
「意心帰」
美しい湖を背景に心は形に帰り、形は心に帰る。
という意味で安田侃は「意心帰」と名づけている。
「意心帰」という作品はいくつか創られているが、この作品が最初の作品である。
1978年の泥流被害の犠牲者三名は、一人は当時小学生の男の子、あとの二人は母と幼な子。
息絶えた母親が床下から見つかったとき1歳の乳飲み子を腕にしっかり抱きかかえたままだったという。
そう、母親のような石のお腹のあたりには、小さい子供のような石が半分土中に埋まっているのだ。
犠牲者となった小学生の男の子は行方不明で、「意心帰」が置かれているあたりの土の中で眠っているという。
手前の「意心帰 有珠噴火の碑」と刻まれた碑は、その小学生の男の子のように思えてならない。
あたかもすぐそこにいる母子と三人で会話をしているような気がして涙が流れた。
石に触れると暖炉に暖められた指先のように、じんわりと心の奥底があたたかくなった。
朝食後見学した洞爺湖ビジターセンターの火山科学館には1977年の噴火を映像とボディソニックによる振動で体感する施設や三面マルチビジョンがあり有珠山噴火のすさまじさを紹介している。
「意心帰」を見てきたばかりなので、映像を見て胸がつまりそうになったが見学できて良かったと思う。
慰霊碑とどちらが先でもいいが、一度訪れてみて欲しい。
洞爺湖ビジターセンターの近くには金比羅火口災害遺構散策路がある。
金比羅山斜面に流失した熱泥流が橋や団地を直撃した跡を間近に見られる散策路だが冬場は閉鎖されている。
しかし遊歩道からは遠目ではあるが、町営公衆浴場(左)や団地(右)の建物、その間にある押し流された橋を見ることができる。
「ゆかりの碑」は、町営公衆浴場の近くにある。
一部紙のように薄い部分があり、そこに午前の日が射すと光りが宿ったように透けて明るくなるという。
こちらは2000年に噴火した西山火口で太陽の下あたりに倒壊した菓子工場が見える。
自然の驚異と隣り合わせながら洞爺湖の麗姿は壮大であり見るものに感動を与えてくれるのだ。
今回は天候が悪く湖の全容は見られなかったが冬の洞爺湖に来られて良かったと思う。
洞爺湖に訪れたなら時間が許せば安田侃の彫刻に手で触れて湖を背景にした石が何を語りたいのか心の会話をして欲しいと思う。
「ゆかりの碑」に宿る光は、この白い太陽のように透けてみえるのかもしれない。
またいつか洞爺湖を訪ねてみたい。

おはようでありますなのだ♪
昨日は取り乱したジロで申し訳なかったのだ☆
モニター旅行記の作成おつかれさまでござるのだ☆
洞爺湖畔は白くて寒そうでブルブルなのだ
あまりに寒くて犬も散歩していなかったのだろうか。。。
ジロ地方も寒くなってきて冬眠しちゃわないか心配なのだ
宿も予約しちゃったしなんとかコタツでしのぎたいのだ
犬小屋18℃のジロ地方より

ジロさん おはようでありますなのだ☆
> 昨日は取り乱したジロで申し訳なかったのだ☆
いえいえ、チャットみたいで面白かったのだ。
> あまりに寒くて犬も散歩していなかったのだろうか。。。
そういえば犬さんも猫さんもいなかったのだ。
朝ごはんでも食べていたのだろうか。
毎度旅行記を見てくれてありがとうなのだ。
来年ジロさんが行く島も興味があるので、今から旅行記を
楽しみにしているのだ。
ではでは☆彡なのだ
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