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グルジア国境で車に乗せてくれた「親切な二人」は、恐喝グループだった。渡された名刺は他人の物だろう。確かに彼らの人相は非常に悪く、体格と声はやくざ風、振る舞いは粗野だったが、アルメニアは見かけが悪くてもいい人が多い。前回訪問時、実際には良い人を疑って申し訳なかったと自省することが多かったので、今回は信じてだまされてしまったのだ。<br /><br />2人組はセバン湖などいろいろ連れて行ってくれた挙句、人気のないところに移動し最後は「300ドル払え」。1度目のアルメニア訪問時親切にしてもらったA氏の連絡先やアルメニア語会話帳も取り上げられたまま。妙に日本のことに詳しいこの男、相当多くの日本人を食い物にしてきたのだろう。運よく家から出てきた農家の人に車の窓から助けを求め、家の中に入れてもらう。言葉は通じなかったので事情はうまく伝えられなかったが、食事やお土産のりんごまでいただき、タクシーを呼んでもらう。<br /><br />翌日は、アゼルバイジャン内の飛び地「ナゴルノカラバフ」へ。YerevanからGorisの町まで乗り合いバス、そこから英人旅行者とタクシーをシェア。国際的には未だアゼルバイジャン領の土地だが、ソ連崩壊後のカラバフ戦争によりアルメニアが占領、アゼルバイジャン系住民は難民となりアゼルバイジャンの各地に離散。カラバフは独立宣言するものの、アルメニア以外で承認している国なく(ただしアルメニア財界の影響力が強い米仏に連絡オフィスあり)、アルメニアの傀儡というのが世界的な認識。<br /><br />アルメニアは、アゼルバイジャンに囲まれた飛び地となってしまうカラバフとアルメニア本土をつなげるために「ラチン回廊」という通行路を確保しているのでアゼルバイジャンへの入国手続きをすることなくアルメニア本土と行き来できる。・・・きっとアゼルバイジャン領に囲まれたラチン回廊は緊迫していてアルメニア兵士だらけ、検問連続のばず・・・というのが私の予想だった。<br /><br />実際に行ってみると、ラチン回廊どころかカラバフとアルメニア本土の間にあるはずのアゼルバイジャン領はすべてアルメニアの支配下、アルメニア本土とカラバフは隣り合わせになっておりカラバフはもはや飛び地ではなった。これにはたまげました。TNT(オランダの運送会社)作成の地図をコダックのアルバムに載せたので見てください。<br /><br />入国審査も検問もなく、兵士もほとんど見ないまま、カラバフ共和国に入国。廃墟となった家々やモスクが悲しい元アゼルバイジャン系の町シューシに寄った後、首都ステパナケートへ向かう。<br /><br />「あそこの戦車はアルメニア軍のものだよ。アゼルバイジャンは狙撃兵が抵抗してただけで戦車なんか来れなかったんだ。」聞けば聞くほどアルメニアの圧勝だったようだ。「あそこがアルミャンスキー(アルメニア人)の墓場だよ。」アゼルバイジャン系の墓場は別にあった。難民となったアゼルバイジャン系の人々は一生墓参りできないかもしれない。<br /><br />ステパナケート中心部は普通のアルメニアの町となんら変わることなかった。教会、学校、スーパーもあり、路線バスなんかも走っていて結構大きい町だ。アルメニア人観光客が結構来ていて土産物屋も出ていた。戦争が再開しそうな緊張感は全くない。<br /><br />帰り道、カラバフ共和国ビザのない私は警察に拘束。手記・デジカメ画像などすべてチェックされた。ロシア語もアルメニア語も分からない私に、英語の分からない警察はドイツ語で質問してくる。きっと東ドイツが共産圏だった頃留学した人なのだろう。ほとんどコミュニケーションが取れないまま、2時間半後解放。<br /><br />ガソリンスタンドでは、ガソリンの代わりに天然ガスを使用、車もそれに対応して改造されていて驚いた。アルメニアは天然ガスの豊富なロシアとは親密なのだが、反ロシアのグルジア・敵国アゼルバイジャンに阻まれロシアとの陸路は遮断されている。<br /><br />24hオープンのイラン国境。足を机に上げて寝ていたカーキ色の制服を着た係員を起こしスタンプを押してもらう。これで出国手続きは完了のはず。ところがこのあと別棟に案内されなぜか白い制服のロシア人係員による検査!ロシア国旗、ロシア兵、スタンプこそ押されないものの綿密なパスポートチェック。もちろんロシア語。ここがソ連国境でなくなってから15年経過しているのに未だに国境警備をロシアに頼っているのだ。(そういえば2003年時点のタジキスタンのアフガン国境もロシアが管理していた)。<br /><br />ウズベク人だというロシア兵士には、敵国アゼルバイジャンのアリエフ大統領についての意見まできかれた。国境での思想チェックはイスラエルですらなかった。生まれて初めての経験。イランとアルメニアの関係は良好なので国境越えは簡単だと思っていた私は面食らった。イランイミグレへ続く長い緩衝地帯を歩きながら安堵で力が抜ける思いがした。<br /><br /><br />(以上2006訪問時)<br />http://4travel.jp/traveler/km/profile/<br /><br />Alaverdi, Erevan, Garni, Geghard, Echimiadin..<br /><br />世界に広がるアルメニア人の組織。[・・・ヤン]は典型的アルメニア人の名前。例:カラヤン<br /><br />世界各地でアルメニア人には出会ってきた。カイロの時計屋でおじいさんが読んでいたアルメニア文字新聞、イスファハン(イラン)のアルメニア人地区、ベイルートの宿で見せてもらったアルメニア人の信仰の刺青、トルコで見たアクダマルの教会、ソロモンで出会った記者、そして映画[Ararat]・・・僕はアルメニアには特別な意識と思いを抱いてきたし、新聞やニュースがいつも気になる。<br /><br />強いアイデンティティーとプライドを持つ海外のアルメニア人に比べ、アルメニア本国のアルメニア人は、長いソ連の支配下のもとアルメニアらしさを相当失ってしまっているように見え、それが少し残念だった。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

Armenia

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2006/08 - 2006/08

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km777

km777さん

グルジア国境で車に乗せてくれた「親切な二人」は、恐喝グループだった。渡された名刺は他人の物だろう。確かに彼らの人相は非常に悪く、体格と声はやくざ風、振る舞いは粗野だったが、アルメニアは見かけが悪くてもいい人が多い。前回訪問時、実際には良い人を疑って申し訳なかったと自省することが多かったので、今回は信じてだまされてしまったのだ。

2人組はセバン湖などいろいろ連れて行ってくれた挙句、人気のないところに移動し最後は「300ドル払え」。1度目のアルメニア訪問時親切にしてもらったA氏の連絡先やアルメニア語会話帳も取り上げられたまま。妙に日本のことに詳しいこの男、相当多くの日本人を食い物にしてきたのだろう。運よく家から出てきた農家の人に車の窓から助けを求め、家の中に入れてもらう。言葉は通じなかったので事情はうまく伝えられなかったが、食事やお土産のりんごまでいただき、タクシーを呼んでもらう。

翌日は、アゼルバイジャン内の飛び地「ナゴルノカラバフ」へ。YerevanからGorisの町まで乗り合いバス、そこから英人旅行者とタクシーをシェア。国際的には未だアゼルバイジャン領の土地だが、ソ連崩壊後のカラバフ戦争によりアルメニアが占領、アゼルバイジャン系住民は難民となりアゼルバイジャンの各地に離散。カラバフは独立宣言するものの、アルメニア以外で承認している国なく(ただしアルメニア財界の影響力が強い米仏に連絡オフィスあり)、アルメニアの傀儡というのが世界的な認識。

アルメニアは、アゼルバイジャンに囲まれた飛び地となってしまうカラバフとアルメニア本土をつなげるために「ラチン回廊」という通行路を確保しているのでアゼルバイジャンへの入国手続きをすることなくアルメニア本土と行き来できる。・・・きっとアゼルバイジャン領に囲まれたラチン回廊は緊迫していてアルメニア兵士だらけ、検問連続のばず・・・というのが私の予想だった。

実際に行ってみると、ラチン回廊どころかカラバフとアルメニア本土の間にあるはずのアゼルバイジャン領はすべてアルメニアの支配下、アルメニア本土とカラバフは隣り合わせになっておりカラバフはもはや飛び地ではなった。これにはたまげました。TNT(オランダの運送会社)作成の地図をコダックのアルバムに載せたので見てください。

入国審査も検問もなく、兵士もほとんど見ないまま、カラバフ共和国に入国。廃墟となった家々やモスクが悲しい元アゼルバイジャン系の町シューシに寄った後、首都ステパナケートへ向かう。

「あそこの戦車はアルメニア軍のものだよ。アゼルバイジャンは狙撃兵が抵抗してただけで戦車なんか来れなかったんだ。」聞けば聞くほどアルメニアの圧勝だったようだ。「あそこがアルミャンスキー(アルメニア人)の墓場だよ。」アゼルバイジャン系の墓場は別にあった。難民となったアゼルバイジャン系の人々は一生墓参りできないかもしれない。

ステパナケート中心部は普通のアルメニアの町となんら変わることなかった。教会、学校、スーパーもあり、路線バスなんかも走っていて結構大きい町だ。アルメニア人観光客が結構来ていて土産物屋も出ていた。戦争が再開しそうな緊張感は全くない。

帰り道、カラバフ共和国ビザのない私は警察に拘束。手記・デジカメ画像などすべてチェックされた。ロシア語もアルメニア語も分からない私に、英語の分からない警察はドイツ語で質問してくる。きっと東ドイツが共産圏だった頃留学した人なのだろう。ほとんどコミュニケーションが取れないまま、2時間半後解放。

ガソリンスタンドでは、ガソリンの代わりに天然ガスを使用、車もそれに対応して改造されていて驚いた。アルメニアは天然ガスの豊富なロシアとは親密なのだが、反ロシアのグルジア・敵国アゼルバイジャンに阻まれロシアとの陸路は遮断されている。

24hオープンのイラン国境。足を机に上げて寝ていたカーキ色の制服を着た係員を起こしスタンプを押してもらう。これで出国手続きは完了のはず。ところがこのあと別棟に案内されなぜか白い制服のロシア人係員による検査!ロシア国旗、ロシア兵、スタンプこそ押されないものの綿密なパスポートチェック。もちろんロシア語。ここがソ連国境でなくなってから15年経過しているのに未だに国境警備をロシアに頼っているのだ。(そういえば2003年時点のタジキスタンのアフガン国境もロシアが管理していた)。

ウズベク人だというロシア兵士には、敵国アゼルバイジャンのアリエフ大統領についての意見まできかれた。国境での思想チェックはイスラエルですらなかった。生まれて初めての経験。イランとアルメニアの関係は良好なので国境越えは簡単だと思っていた私は面食らった。イランイミグレへ続く長い緩衝地帯を歩きながら安堵で力が抜ける思いがした。


(以上2006訪問時)
http://4travel.jp/traveler/km/profile/

Alaverdi, Erevan, Garni, Geghard, Echimiadin..

世界に広がるアルメニア人の組織。[・・・ヤン]は典型的アルメニア人の名前。例:カラヤン

世界各地でアルメニア人には出会ってきた。カイロの時計屋でおじいさんが読んでいたアルメニア文字新聞、イスファハン(イラン)のアルメニア人地区、ベイルートの宿で見せてもらったアルメニア人の信仰の刺青、トルコで見たアクダマルの教会、ソロモンで出会った記者、そして映画[Ararat]・・・僕はアルメニアには特別な意識と思いを抱いてきたし、新聞やニュースがいつも気になる。

強いアイデンティティーとプライドを持つ海外のアルメニア人に比べ、アルメニア本国のアルメニア人は、長いソ連の支配下のもとアルメニアらしさを相当失ってしまっているように見え、それが少し残念だった。






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  • 見ていると必ず招かれる。西ヨーロッパや日本だったら変な外人だと気持ち悪がられるだろうに。

    見ていると必ず招かれる。西ヨーロッパや日本だったら変な外人だと気持ち悪がられるだろうに。

  • エレベータがすぐにでも落ちそうな超旧式で恐ろしい。

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  • erebuni遺跡。エレバンの由来

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  • ガルニ

    ガルニ

  • ゲガルド

    ゲガルド

  • Arthurの家。バスの中であった一見強面のアーサー。言葉はほとんど通じなかったけれど、その家族・友人には、本当に心温まるもてなしを受けた。元気でいるだろうか。いつか再訪してれ礼をいいたい。

    Arthurの家。バスの中であった一見強面のアーサー。言葉はほとんど通じなかったけれど、その家族・友人には、本当に心温まるもてなしを受けた。元気でいるだろうか。いつか再訪してれ礼をいいたい。

  • オペラ

    オペラ

  • Paul &amp; Nana

    Paul & Nana

  • ゴム膜にこすりつけて桃の産毛を取っていた。そのまま食べられるように。

    ゴム膜にこすりつけて桃の産毛を取っていた。そのまま食べられるように。

  • デカプリオその他の柄のスナック(ひまわりの種!)。この国には著作権というものがないのか。やはりアルメニア、ヨーロッパのようでヨーロッパではない。<br />(追記2007年6月)<br />アルメニア、世界の違法コピー率ランキング堂々一位(違法コピー率95%!!)http://www.bsa.or.jp/press/release/2007/0515.html

    デカプリオその他の柄のスナック(ひまわりの種!)。この国には著作権というものがないのか。やはりアルメニア、ヨーロッパのようでヨーロッパではない。
    (追記2007年6月)
    アルメニア、世界の違法コピー率ランキング堂々一位(違法コピー率95%!!)http://www.bsa.or.jp/press/release/2007/0515.html

  • ナゴルノカラバフ紛争での殉死者はヒーロー

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  • アラベルディ:グルジア国境を越えてすぐ。気持ちの良い町だった。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • kokoroさん 2006/10/30 22:17:18
    あるめにあ
    こんにちは
    プログ拝見しました。
    11月に一人でアルメニアに行く予定で、いろいろとインターネットで情報収集しているところです。しかし、、少ないですねアルメニアの情報は、、、
    kmさんのような書き込みは非常に貴重ですm(_ _)m
    kmさんは国境付近でちょっと怖い体験をされたようですが、エレバンに限れば女性一人で歩いていても気をつけていれば問題はないでしょうか?(治安はいいようですが)もし気をつけるべき事があれば教えて頂ければ幸いです。。。(^^)

    km777

    km777さん からの返信 2006/10/30 23:58:07
    RE: あるめにあ
    こんにちわ。
    エレバンの治安は、コーカサス3カ国の他の2つの首都と比べたらとてもよいと思います。女性一人ということなので、アルメニアに限らず最低限度の注意(夜は出歩かない、金目の物を身につけないなど)は常に必要でしょうね。
    ブログではちょっと怖い体験も書いてしまいましたが、美しくて人が親切な国なのでよいところもたくさん見てきてほしいです。あとはタクシーにぼったくられないよう、ホテルで相場、ないし目的地までの大体の距離を確認しとくとよいかと。
    では km

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