1994/10 - 1994/10
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km777さん
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Phunompen (sp?) (boat) Shemreup(sp?)
94年当時のカンボジアは、かなり勢力が衰えたとはいえポルポト派が健在で、まだまだ緊張感があった。そこで会う旅行者は兵役上がりのイスラエル人や裸足で(!)町を歩いているヒッピー風の西洋人旅行者など、一風変った人も多く、日本人旅行者と話しても刺激的で面白かった。今はタイから陸路で行けるが、当時はタイとの国境も閉鎖されたまま。BKKから飛行機で入国。アンコールワットへのゲートとなるシェムリアプへの鉄道は完全に止まったままで、船を利用。ラオス国境周辺の川ではピンクのイルカが見られると言うが、その一体はポルポト派の巣窟になっていたため、陸路は断念。代わりにプノンペンービエンチャン(ラオス)のエアチケットを購入したカンプチア航空の代理店で、クレジットカードで買えるか尋ねたところ、「これはお金なのか」と聞かれたことも懐かしい思い出。チケットは入手したものの、乗客が集まらないため常にフライトはキャンセル。チケットは結局払い戻した。
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いつ崩れてもおかしくない・・・今でもあるのだろうか。
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プノンペン 「Killing Field]
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施設の英語学校が大流行だった。外国人とのコミュニケーションに飢えているようで、私もスピーカーとして話してくれと言われる。
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アイスクリーム屋。コーンでなく、バゲットの切れ端にアイスを乗せていた。
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鉄道駅。ポルポトに攻撃され、運行を無期限に停止していた。
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伝統的薬
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紫色の花のように見えるのは、実はポルポトに殺された人の服の一部。
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子供の兵士なので、子供を洗脳して知識人らの殺害を繰り返したポルポトなのかと危惧したが、幸い政府軍であった。パスポートを見せろ、写真を取れ、など、一度つかまるとなかなか開放されない。武器を持っているので従うしかない。賄賂は要求されなかった。外人が珍しかっただけなのだろう。
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