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Colombo, Kandy, Dambulla, Sigiriya, Anuradapura<br /><br />スリランカ入国<br />シンガポール経由でColomboに着いたのは夜中の1時。拍子抜けするほど小さな国際空港。到着口で案の定客を待ちかまえているタクシードライバーはどうせぼったくりなので無視して構内に戻る。タクシー料金の相場を探るためガードマンと立ち話。[are you a policeman or a service man?] [ i am a security guard] スリランカ人はインド人パキスタン人と同じように黒い肌をしているが、体格はそれほど大きくなくて総じて人が良さそうにみえる。[are you singhalese?] [yes, you japanese?][yes] [ Is not it dangerous outside? No Tamil EELAM?] [no problem] [is not there a bus for colombo?] [not until morning] 「can i stay here until morning?] [i do not think so. you wanna come to visit my place?] そうくるか。面白そうだけど今回の旅は急ぎ足、タクシー代払ってcmb市内まで行くことにした。<br />ふと気づくと、空港構内にタクシーチケット売り場窓口と料金表があるではないか。CMBまで約800Rps(9$)。でも窓口のおばさんは、外国人には売らない、という。どうしようか迷っていると、自称ツーリストインフォメーションのにーちゃんがNIGOMBOの自宅(妻1子3)に帰るついでだから、1000だせば遠回りしてcmbまで乗せて行ってくれるという。大柄で朗らか、信用できそうだ。大きな傘を持たされてここで待て、といわれる。治安維持のためか、空港出入り口までタクシーは入ってこれないのだ。空港の外にも大勢いるガードマンたち、ほんとに危険じゃないのだろうか。みんな暇そうにして、話しかけてくる。やってきたのはTOYOTAのVAN。後でわかったが、この国のタクシーはだいたいこの大きさだ。途中で喫茶店、といっても屋台に毛が生えたようなもの、初めて飲む本物のセイロンティー、ミルクたっぷり、インドパキスタンのCHAYとそっくり。シナモンが利いている。HOPPER(しっとり下薄皮クレープ状のもの)に、辛い香辛料をつけて食べる。人気のあるスナックなのだろう。 <br />cmbに着いたのは、am2頃。行こうと思っていたHOSTELは、しまっていた。運転手があそこがあいているといって連れて行ってくれたのが、アジャンタ.INN。入り口に座って番してる人に通してもらって、2Fにいくと、receptionの前に従業員3人がマットをひいて上半身裸で寝ていてぎょっとする。How much という英語すら全く通じないので、運転手の通訳してもらう。電気をつけるといきなりでかいゴキブリ発見。天井には大きなファン一つ、汚い部屋。ベッドバグがいそうなので、虫除けをベッドに押しつけ噴射して、裸になって寝た。650rp(7$)の価値はないが、こんな時間にホテル捜し歩く気もないので我慢。代金は朝両替してから支払うことにする。<br /><br />Colombo<br />起きて散歩。まず駅に行く。全部シンハラ語・タミル語併記(タミル語は小さく)。通勤ラッシュとまでは行かなくても、結構ぞろぞろ人が降りてくる。国でもっとも利用者の多い駅の周りだというのに、横断歩道などない。歩道橋はあるけど、みんな、当然JーWALK。駅前のcafeに入る。ベーカリーとでているだけに、結構パンの種類ある。イスラム教徒の店なので、入り口に緑色の星と月、中にもレジのところ(店主が座っている)にコーランのタペストリー。stringsにカレーかけて食べてる人もいる。もちろん右手でじかに。隣の人のテーブルに、10個くらいパンが乗った大きな銀色の(給食で使っていた器の素材)お盆が運ばれてきた。「このスリランカ人は大食漢なのだろうか。」実は、そうではなく、この中から好きなだけとって食べた分払うシステム。インドネシアのパダン料理みたいなもんだ。清潔好きの日本人には少し抵抗があるかもしれない。また、客の良心に従った自己申告会計のため、信用できない奴が多い欧米や中南米でも難しいシステムだ。僕が食べたのは、デーニッシュをもう少ししっとりさせたような生地のベジタブルサンド(辛い)と、チキンサンド。まあまあの味。食べ残しを持ち帰りたいというと、使い古した伝票を折ってのり付けして作られた自家製の紙袋に入れてくれた。<br />インドやパキスタンとは違って、そんなに人が声かけてくるわけではないけど、南アジア独特の人なつこさはある。さすが海のシルクロードの要衝として栄えてきただけあって、寺(日本と違って、墓地ではなく、仏陀像の祠って感じ)ばかりでなく、教会・ヒンズー寺院・モスクもあり、宗教・文化の多様性が感じ取れる。タミル人とシンハラ人の区別は見た目ではわからなかった。イスラム教徒だけは帽子でわかる。 雑貨屋などは看板の文字や店内に飾ってあるもので明確に宗教とかがわかる。特にヒンズー教徒の店は、華やか。<br />下町PETHA地区の散策楽しい。牛も活躍。どこにでもいる中国人(湖北系3世)、歯の治療用器具を作っていた。人や車、3wheelerが行き交う道ばたでは、野菜やビンロウ売ってる。雑貨市場クリスマスの音楽とツリー用の電球が売られてたりする。箒・食器・インセンス・火打ち石・電気製品など雑多で楽しい。みんな俺のデジカメに興味津々。KOVIL・MOSKでも写真OKだった。魚市場、ツナ・エビカニ・などいっぱい。氷屋はトラックから貯蔵庫に大きな氷を降ろし、切って売っている。<br />昼飯は、流行のbanana leaf resutaurantで(チキン 、バナナの葉の上で手づかみで食べる)CBM4地区(一応高級地、スリランカ唯一のMACやCLUB TOKYOがある。)に3Wheelerで行く。すごい渋滞だ。運転手はいい奴そうだったが、買春の斡旋やチップせがみで煩わしかった(運賃150R)。<br /><br />KANDY<br />キャンディは、最後の王朝があった都市。シンハラ族の王朝は、アヌラーダプラで栄えた後、タミル王朝の侵略によって南下、分散していた。15cには、KANDY・COTTE(ともにシンハラ系)・JAFFNA(タミル系)の3つが存在(3王朝時代)。ポルトガル・オランダ侵略時に後2者は滅ぼされてしまったが、KANDYは、イギリスに19cはじめに滅ぼされるまで存続した王朝であり、スリランカの人はそれを今でも誇りに思っている。<br />CMBからは電車で3h位かかった。車窓にはジャングル(と言うと大げさか)と田畑が交互に現れる。<br />駅のホームでホテルの客引き(実は宿の従業員ではなく、単なるマージン取り)に捕まる。一泊350Rp(4$)だと言う。急な坂、裏道を述べぼって3分、HOTEL SAVENA。実際には450Rpの部屋しかなくだまされた気がしたが、今から動きたくないこと、快適な宿だったことから、OKした。宿を出て散歩する。スリランカ第3の都市(第2はJAFFNA)にしては何もない。セントラルマーケットに行く。たてもの2Fだて。日用品(椰子の実の毛でできた箒とか)から野菜果物(パッションフルーツなどは季節はずれだったがおいしかった)スパイス(湿気って売り物にならないスパイス詰め合わせを、観光客目当ての土産物屋でシバ神のミニチュアを450Rで買ったが釣り銭ごまかそうとしたので猛烈に抗議してキャンセル。翌週はWESAK(仏教の行事、5月の満月の週)なのでその飾りや、仏教旗(国旗でなく、オレンジ・青・黄・白などの線が入っている)も売っている。夕食は200Rで、オクラカレーなど。おいしいけど感動するほどではない(同じ南アジアのインド・パキスタンの方が、自分は好き)。<br />翌日、例の客引きと交渉して、郊外の寺など10$で半日観光につれていってもらう。車がないと無理なようだ。客引きはキリスト教徒(歩き方」によると、欧米との混血や、仏教などの殺生戒との抵触を免れない漁師等が多い。インテリも多い)なので、仏僧が女性と関係したらどうなるか等俺の質問に必ずしも答えられず、ドライバー(仏教徒)に聞いた上で通訳して答えを返す。証人が2人いたら追放されるそうだ。寺は、修復された場所も多いがオリジナル部分も残っていて興味深い。日本の神仏混合のように、スリランカの昔の寺は、ヒンズーの神もまつっているところが多い。特にシバの息子のスカンダ(クジャクPEACOKに乗っている)はとても人気がある。柱のレリーフは一つ一つ違っていたりして細かい。<br /> 象parkにはがっかり。昔は、山奥からつれてきた象を荷役用に使っていたと言うが、今では観光客(内戦のため激減)を待つばかり。客は俺1人。象使いと5頭の象も暇そう。鳩のえさのように、象用のバナナなどが売られている。ちょっと写真とったり、象の体をココナツの皮で洗ったり、して400R高い。<br /> ガイドは、俺を仏歯寺(Maha nuwala、世界遺産)でおろす。数年前Tamil Eelamの爆破事件があったので、警備・荷物検査も厳重。みんな信心深く、至る所で手を合わせている。遠足?の子供達もいっぱい。象牙の裏の建物の中に、インドから髪の毛の中に入れて盗み出したと言う仏の歯が収納されていると言われる。おそらくみな本気で信じている。<br /> ここであった、男(名前忘れちゃった22歳)が、妹の家に一緒に行こうというので行くことにした。<br />バスで少し行ったところから、山を登る。近いから、と言うから来たのに、いかにも蛇が出そうな道を結局30分くらい山道上らされた。妊娠中の妹は本人よりは英語がしゃべれる。夫は仕事で留守(観光業)。おじいちゃんがいた。山奥でも電気が通っていたが、TVの映りは非常に悪い。カステラのようなパンと紅茶を出してもらう。男は家の裏にある椰子の木から実をとってきてくれた。細長いタオルを一回ひねって足の先にからめ、鮮やかに椰子の木に登り片手でくるくると実をひねって下に落とす。鉈で切り口入れて飲んだ後、二つに割って中の白い官天井のもの(少し甘い)をスプーンで食べる)。結婚式の写真とか見る。先ほどたまたま出くわした結婚式と同じく、新郎新婦はking of kandyの服装。とても誇らしげに見せる。2時間くらい滞在して、山の反対側まで降りてそこから出ているバスで町に戻った。本人はポロンナルワ(100kmくらい北東)のそばに住んでいて何度も一緒に行こうと言われたが、時間がないと断った。次の目的地シギリヤ行き直行バスはなかった。男が代わりにダンブッラ行きのバスを探してくれ、チップなど要求することもなくまた山奥に帰っていった。いい奴だった。<br /><br />Sigiria<br />ここも観光名所(世界遺産)だが当初は、行く予定なかった。壁画なら写真見れば十分だと思ったから。でも歴史を知ったらどうしても行きたくなった。カッサラは、カーストの低い母から生まれた王子だったため、長子であったが王位を承継できそうになかった。反対勢力分子と組んで父である王を暗殺し、高いカーストの母から生まれた弟王子をインドに追放して王位につく。カッサラ王は、弟らの反乱に怯え、ジャングルの中の巨大な岩の上に城を築く。バランスロック(ドミノのようなものの上に巨大な石を仕掛け、敵が上ってくる際に滑り落とす)、ミラーウォール(岩を蜂蜜などで磨き鏡条になっている)など、防御に力を尽くす一方で父の霊を慰めるために天女の壁画など(諸説あり)装飾もこらしている。階段の麓は、ライオンの足になっており、王宮はライオンののどの奥にあった(sinライオンgiria喉)。今は王宮は残っていないが、少年ガイド(100Rでを雇う)は、俺を王座跡に上らせ、拍手してくれた。頂上から見渡せば360度森林が茂っているだけ。今な所でカッサラは何を考えたのか。結局カッサラの弟が15年後に帰ってきて反乱を起こし、カッサラは象に乗って逃げ出すが、ぬかるみに象がはまり、動けなくなったカッサラは自害する。<br />村の雰囲気はほのぼの。しかも旅行者には慣れているようなので快適。夕方散歩。宿の隣に住んでる奴にいろいろつれてってもらう。お堀の周りの道は広々してる。カワセミ、蛍!!、見えないけどワニもいるそう。地元の人が風呂代わりにお堀の水を浴びにくる。ヒッチして少し遠くの寺まで行く。ダンブッラの寺を小さくしたような寺、独り占め。月がきれい。帰りは月明かりだけでお堀の道戻ってきた。すこし怖かったけど、こんなことできるのもガイドしてくれたからだと思い100Rあげた。一番いいホテルいってインターネット探すもだめだった。<br />ガイド君のうち遊びに行く。オウム飼ってる。動物好きに悪い人はいないので、ひとまず安心。お父さんと娘いい感じ。ガイド君の部屋は小さくて汚い。彼女の写真飾ってある。片言の外国語いっぱいしゃべれて、各国に女がいるようなこといってたけど、やっぱり外人女性は金目当てに過ぎないのか。<br /><br />DAMBULLA<br />土産物屋(気に入って買った250Rの象柄Tシャツは一回の洗濯で色落ち)と物乞いと猿でいっぱいの階段をずいぶんと上っていく。こんな所に洞窟仏像。写真禁止。ヒンズー寺院も同じ敷地にある。<br /><br />Anuradapura<br />アヌラーダプラは、スリランカの京都。と言っても歴史は京都よりずっと古い。かつては世界の仏教の中心地の一つであって、世界中から僧が勉強に来た。3Weelerを650Rでチャーターして主な見所を回る。本とならば入場料払わなければいけないところ、こいつの顔で入らせてもらった。スリランカで最古の寺を始め、いろいろつれてってくれた。かつての僧の修行場は興味深い。岩の所に住んでたらしい。何も残っていないようだが、岩などの細工(雨がたれ込まないよう、岩を切っている)してあったり。ラージャヨガを実践しているベジタリアンの運転手はすごいインテリで、町のことだけではなく仏教や生活風習に詳しい。3時間くらいの間に、何冊の本を読んでもわからないような興味深い話をたくさんしてくれた。本来仏教の僧は、町はずれの墓の周りに住んでいたそうだ。死人には白い服を着せて、墓に放置した。埋めたり焼いたりしないで、肉を動物に食べさせた。残った服はサフランで染めて(消毒作用あり)、僧侶が着た。今でもタイやスリランカでみれられるあのオレンジの袈裟がそれだ。仏教は哲学であり、宗教ではない。僧侶は医者でもあった。この岩(くりぬいてある)が手術台だ。釈迦が入滅した菩提樹には実は3種類ある。1つ1つ木を紹介してくれて、葉をとってくれた。ドライバーは私の見学待ち時間に、とても大きな湖で水浴びをして涼んでいた。興味深い話は尽きない。いろいろ教えてもらった。もっとチップ弾んでやればよかったと今になって後悔している。<br /><br />その他<br />このほかにも乗り換えでちょっと立ち寄った町クヌネーガラの市場、親切な人だらけだった。クヌネーガラ発NEGAMBO行きバスのドライバーは大きなバスを私だけのためにさらに20分とばして無料で空港までつれていってくれた。スリランカはほんとにいいところだった。内戦で東部や北部に行けないのがほんとに残念。<br /><br />

Sri Lanka

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2002/05 - 2002/05

2974位(同エリア3477件中)

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20

km777

km777さん

Colombo, Kandy, Dambulla, Sigiriya, Anuradapura

スリランカ入国
シンガポール経由でColomboに着いたのは夜中の1時。拍子抜けするほど小さな国際空港。到着口で案の定客を待ちかまえているタクシードライバーはどうせぼったくりなので無視して構内に戻る。タクシー料金の相場を探るためガードマンと立ち話。[are you a policeman or a service man?] [ i am a security guard] スリランカ人はインド人パキスタン人と同じように黒い肌をしているが、体格はそれほど大きくなくて総じて人が良さそうにみえる。[are you singhalese?] [yes, you japanese?][yes] [ Is not it dangerous outside? No Tamil EELAM?] [no problem] [is not there a bus for colombo?] [not until morning] 「can i stay here until morning?] [i do not think so. you wanna come to visit my place?] そうくるか。面白そうだけど今回の旅は急ぎ足、タクシー代払ってcmb市内まで行くことにした。
ふと気づくと、空港構内にタクシーチケット売り場窓口と料金表があるではないか。CMBまで約800Rps(9$)。でも窓口のおばさんは、外国人には売らない、という。どうしようか迷っていると、自称ツーリストインフォメーションのにーちゃんがNIGOMBOの自宅(妻1子3)に帰るついでだから、1000だせば遠回りしてcmbまで乗せて行ってくれるという。大柄で朗らか、信用できそうだ。大きな傘を持たされてここで待て、といわれる。治安維持のためか、空港出入り口までタクシーは入ってこれないのだ。空港の外にも大勢いるガードマンたち、ほんとに危険じゃないのだろうか。みんな暇そうにして、話しかけてくる。やってきたのはTOYOTAのVAN。後でわかったが、この国のタクシーはだいたいこの大きさだ。途中で喫茶店、といっても屋台に毛が生えたようなもの、初めて飲む本物のセイロンティー、ミルクたっぷり、インドパキスタンのCHAYとそっくり。シナモンが利いている。HOPPER(しっとり下薄皮クレープ状のもの)に、辛い香辛料をつけて食べる。人気のあるスナックなのだろう。 
cmbに着いたのは、am2頃。行こうと思っていたHOSTELは、しまっていた。運転手があそこがあいているといって連れて行ってくれたのが、アジャンタ.INN。入り口に座って番してる人に通してもらって、2Fにいくと、receptionの前に従業員3人がマットをひいて上半身裸で寝ていてぎょっとする。How much という英語すら全く通じないので、運転手の通訳してもらう。電気をつけるといきなりでかいゴキブリ発見。天井には大きなファン一つ、汚い部屋。ベッドバグがいそうなので、虫除けをベッドに押しつけ噴射して、裸になって寝た。650rp(7$)の価値はないが、こんな時間にホテル捜し歩く気もないので我慢。代金は朝両替してから支払うことにする。

Colombo
起きて散歩。まず駅に行く。全部シンハラ語・タミル語併記(タミル語は小さく)。通勤ラッシュとまでは行かなくても、結構ぞろぞろ人が降りてくる。国でもっとも利用者の多い駅の周りだというのに、横断歩道などない。歩道橋はあるけど、みんな、当然JーWALK。駅前のcafeに入る。ベーカリーとでているだけに、結構パンの種類ある。イスラム教徒の店なので、入り口に緑色の星と月、中にもレジのところ(店主が座っている)にコーランのタペストリー。stringsにカレーかけて食べてる人もいる。もちろん右手でじかに。隣の人のテーブルに、10個くらいパンが乗った大きな銀色の(給食で使っていた器の素材)お盆が運ばれてきた。「このスリランカ人は大食漢なのだろうか。」実は、そうではなく、この中から好きなだけとって食べた分払うシステム。インドネシアのパダン料理みたいなもんだ。清潔好きの日本人には少し抵抗があるかもしれない。また、客の良心に従った自己申告会計のため、信用できない奴が多い欧米や中南米でも難しいシステムだ。僕が食べたのは、デーニッシュをもう少ししっとりさせたような生地のベジタブルサンド(辛い)と、チキンサンド。まあまあの味。食べ残しを持ち帰りたいというと、使い古した伝票を折ってのり付けして作られた自家製の紙袋に入れてくれた。
インドやパキスタンとは違って、そんなに人が声かけてくるわけではないけど、南アジア独特の人なつこさはある。さすが海のシルクロードの要衝として栄えてきただけあって、寺(日本と違って、墓地ではなく、仏陀像の祠って感じ)ばかりでなく、教会・ヒンズー寺院・モスクもあり、宗教・文化の多様性が感じ取れる。タミル人とシンハラ人の区別は見た目ではわからなかった。イスラム教徒だけは帽子でわかる。 雑貨屋などは看板の文字や店内に飾ってあるもので明確に宗教とかがわかる。特にヒンズー教徒の店は、華やか。
下町PETHA地区の散策楽しい。牛も活躍。どこにでもいる中国人(湖北系3世)、歯の治療用器具を作っていた。人や車、3wheelerが行き交う道ばたでは、野菜やビンロウ売ってる。雑貨市場クリスマスの音楽とツリー用の電球が売られてたりする。箒・食器・インセンス・火打ち石・電気製品など雑多で楽しい。みんな俺のデジカメに興味津々。KOVIL・MOSKでも写真OKだった。魚市場、ツナ・エビカニ・などいっぱい。氷屋はトラックから貯蔵庫に大きな氷を降ろし、切って売っている。
昼飯は、流行のbanana leaf resutaurantで(チキン 、バナナの葉の上で手づかみで食べる)CBM4地区(一応高級地、スリランカ唯一のMACやCLUB TOKYOがある。)に3Wheelerで行く。すごい渋滞だ。運転手はいい奴そうだったが、買春の斡旋やチップせがみで煩わしかった(運賃150R)。

KANDY
キャンディは、最後の王朝があった都市。シンハラ族の王朝は、アヌラーダプラで栄えた後、タミル王朝の侵略によって南下、分散していた。15cには、KANDY・COTTE(ともにシンハラ系)・JAFFNA(タミル系)の3つが存在(3王朝時代)。ポルトガル・オランダ侵略時に後2者は滅ぼされてしまったが、KANDYは、イギリスに19cはじめに滅ぼされるまで存続した王朝であり、スリランカの人はそれを今でも誇りに思っている。
CMBからは電車で3h位かかった。車窓にはジャングル(と言うと大げさか)と田畑が交互に現れる。
駅のホームでホテルの客引き(実は宿の従業員ではなく、単なるマージン取り)に捕まる。一泊350Rp(4$)だと言う。急な坂、裏道を述べぼって3分、HOTEL SAVENA。実際には450Rpの部屋しかなくだまされた気がしたが、今から動きたくないこと、快適な宿だったことから、OKした。宿を出て散歩する。スリランカ第3の都市(第2はJAFFNA)にしては何もない。セントラルマーケットに行く。たてもの2Fだて。日用品(椰子の実の毛でできた箒とか)から野菜果物(パッションフルーツなどは季節はずれだったがおいしかった)スパイス(湿気って売り物にならないスパイス詰め合わせを、観光客目当ての土産物屋でシバ神のミニチュアを450Rで買ったが釣り銭ごまかそうとしたので猛烈に抗議してキャンセル。翌週はWESAK(仏教の行事、5月の満月の週)なのでその飾りや、仏教旗(国旗でなく、オレンジ・青・黄・白などの線が入っている)も売っている。夕食は200Rで、オクラカレーなど。おいしいけど感動するほどではない(同じ南アジアのインド・パキスタンの方が、自分は好き)。
翌日、例の客引きと交渉して、郊外の寺など10$で半日観光につれていってもらう。車がないと無理なようだ。客引きはキリスト教徒(歩き方」によると、欧米との混血や、仏教などの殺生戒との抵触を免れない漁師等が多い。インテリも多い)なので、仏僧が女性と関係したらどうなるか等俺の質問に必ずしも答えられず、ドライバー(仏教徒)に聞いた上で通訳して答えを返す。証人が2人いたら追放されるそうだ。寺は、修復された場所も多いがオリジナル部分も残っていて興味深い。日本の神仏混合のように、スリランカの昔の寺は、ヒンズーの神もまつっているところが多い。特にシバの息子のスカンダ(クジャクPEACOKに乗っている)はとても人気がある。柱のレリーフは一つ一つ違っていたりして細かい。
 象parkにはがっかり。昔は、山奥からつれてきた象を荷役用に使っていたと言うが、今では観光客(内戦のため激減)を待つばかり。客は俺1人。象使いと5頭の象も暇そう。鳩のえさのように、象用のバナナなどが売られている。ちょっと写真とったり、象の体をココナツの皮で洗ったり、して400R高い。
 ガイドは、俺を仏歯寺(Maha nuwala、世界遺産)でおろす。数年前Tamil Eelamの爆破事件があったので、警備・荷物検査も厳重。みんな信心深く、至る所で手を合わせている。遠足?の子供達もいっぱい。象牙の裏の建物の中に、インドから髪の毛の中に入れて盗み出したと言う仏の歯が収納されていると言われる。おそらくみな本気で信じている。
 ここであった、男(名前忘れちゃった22歳)が、妹の家に一緒に行こうというので行くことにした。
バスで少し行ったところから、山を登る。近いから、と言うから来たのに、いかにも蛇が出そうな道を結局30分くらい山道上らされた。妊娠中の妹は本人よりは英語がしゃべれる。夫は仕事で留守(観光業)。おじいちゃんがいた。山奥でも電気が通っていたが、TVの映りは非常に悪い。カステラのようなパンと紅茶を出してもらう。男は家の裏にある椰子の木から実をとってきてくれた。細長いタオルを一回ひねって足の先にからめ、鮮やかに椰子の木に登り片手でくるくると実をひねって下に落とす。鉈で切り口入れて飲んだ後、二つに割って中の白い官天井のもの(少し甘い)をスプーンで食べる)。結婚式の写真とか見る。先ほどたまたま出くわした結婚式と同じく、新郎新婦はking of kandyの服装。とても誇らしげに見せる。2時間くらい滞在して、山の反対側まで降りてそこから出ているバスで町に戻った。本人はポロンナルワ(100kmくらい北東)のそばに住んでいて何度も一緒に行こうと言われたが、時間がないと断った。次の目的地シギリヤ行き直行バスはなかった。男が代わりにダンブッラ行きのバスを探してくれ、チップなど要求することもなくまた山奥に帰っていった。いい奴だった。

Sigiria
ここも観光名所(世界遺産)だが当初は、行く予定なかった。壁画なら写真見れば十分だと思ったから。でも歴史を知ったらどうしても行きたくなった。カッサラは、カーストの低い母から生まれた王子だったため、長子であったが王位を承継できそうになかった。反対勢力分子と組んで父である王を暗殺し、高いカーストの母から生まれた弟王子をインドに追放して王位につく。カッサラ王は、弟らの反乱に怯え、ジャングルの中の巨大な岩の上に城を築く。バランスロック(ドミノのようなものの上に巨大な石を仕掛け、敵が上ってくる際に滑り落とす)、ミラーウォール(岩を蜂蜜などで磨き鏡条になっている)など、防御に力を尽くす一方で父の霊を慰めるために天女の壁画など(諸説あり)装飾もこらしている。階段の麓は、ライオンの足になっており、王宮はライオンののどの奥にあった(sinライオンgiria喉)。今は王宮は残っていないが、少年ガイド(100Rでを雇う)は、俺を王座跡に上らせ、拍手してくれた。頂上から見渡せば360度森林が茂っているだけ。今な所でカッサラは何を考えたのか。結局カッサラの弟が15年後に帰ってきて反乱を起こし、カッサラは象に乗って逃げ出すが、ぬかるみに象がはまり、動けなくなったカッサラは自害する。
村の雰囲気はほのぼの。しかも旅行者には慣れているようなので快適。夕方散歩。宿の隣に住んでる奴にいろいろつれてってもらう。お堀の周りの道は広々してる。カワセミ、蛍!!、見えないけどワニもいるそう。地元の人が風呂代わりにお堀の水を浴びにくる。ヒッチして少し遠くの寺まで行く。ダンブッラの寺を小さくしたような寺、独り占め。月がきれい。帰りは月明かりだけでお堀の道戻ってきた。すこし怖かったけど、こんなことできるのもガイドしてくれたからだと思い100Rあげた。一番いいホテルいってインターネット探すもだめだった。
ガイド君のうち遊びに行く。オウム飼ってる。動物好きに悪い人はいないので、ひとまず安心。お父さんと娘いい感じ。ガイド君の部屋は小さくて汚い。彼女の写真飾ってある。片言の外国語いっぱいしゃべれて、各国に女がいるようなこといってたけど、やっぱり外人女性は金目当てに過ぎないのか。

DAMBULLA
土産物屋(気に入って買った250Rの象柄Tシャツは一回の洗濯で色落ち)と物乞いと猿でいっぱいの階段をずいぶんと上っていく。こんな所に洞窟仏像。写真禁止。ヒンズー寺院も同じ敷地にある。

Anuradapura
アヌラーダプラは、スリランカの京都。と言っても歴史は京都よりずっと古い。かつては世界の仏教の中心地の一つであって、世界中から僧が勉強に来た。3Weelerを650Rでチャーターして主な見所を回る。本とならば入場料払わなければいけないところ、こいつの顔で入らせてもらった。スリランカで最古の寺を始め、いろいろつれてってくれた。かつての僧の修行場は興味深い。岩の所に住んでたらしい。何も残っていないようだが、岩などの細工(雨がたれ込まないよう、岩を切っている)してあったり。ラージャヨガを実践しているベジタリアンの運転手はすごいインテリで、町のことだけではなく仏教や生活風習に詳しい。3時間くらいの間に、何冊の本を読んでもわからないような興味深い話をたくさんしてくれた。本来仏教の僧は、町はずれの墓の周りに住んでいたそうだ。死人には白い服を着せて、墓に放置した。埋めたり焼いたりしないで、肉を動物に食べさせた。残った服はサフランで染めて(消毒作用あり)、僧侶が着た。今でもタイやスリランカでみれられるあのオレンジの袈裟がそれだ。仏教は哲学であり、宗教ではない。僧侶は医者でもあった。この岩(くりぬいてある)が手術台だ。釈迦が入滅した菩提樹には実は3種類ある。1つ1つ木を紹介してくれて、葉をとってくれた。ドライバーは私の見学待ち時間に、とても大きな湖で水浴びをして涼んでいた。興味深い話は尽きない。いろいろ教えてもらった。もっとチップ弾んでやればよかったと今になって後悔している。

その他
このほかにも乗り換えでちょっと立ち寄った町クヌネーガラの市場、親切な人だらけだった。クヌネーガラ発NEGAMBO行きバスのドライバーは大きなバスを私だけのためにさらに20分とばして無料で空港までつれていってくれた。スリランカはほんとにいいところだった。内戦で東部や北部に行けないのがほんとに残念。

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    Anuradapura

  • お茶屋さん:ミルクティーではなく、薬草ハーブティー専門。

    お茶屋さん:ミルクティーではなく、薬草ハーブティー専門。

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