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(air) PortAuPrince, CapHaitien, Milo (road to DominicaR)<br />西半球の最貧国・カリブ海のアフリカ、ハイチ。1804年、黒人国家としては初めて独立(CIAの表現)。Aristide大統領は2004年2月に(米軍により?)国外追放、現在は無政府状態。A大統領は元貧民街の神父で左のため、軍部(右翼)との折り合いも悪く、私が訪問した当時から政情は不安定だった。<br /><br />(以下2010.1追記)<br />ハイチで大地震が発生し多くの犠牲者が出ています。出会った人々が無事なのかとても心配です。2001年訪問時を振り返りながらコメントを追加したいと思います。

Haiti

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2001/12 - 2002/01

36位(同エリア70件中)

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km777

km777さん

(air) PortAuPrince, CapHaitien, Milo (road to DominicaR)
西半球の最貧国・カリブ海のアフリカ、ハイチ。1804年、黒人国家としては初めて独立(CIAの表現)。Aristide大統領は2004年2月に(米軍により?)国外追放、現在は無政府状態。A大統領は元貧民街の神父で左のため、軍部(右翼)との折り合いも悪く、私が訪問した当時から政情は不安定だった。

(以下2010.1追記)
ハイチで大地震が発生し多くの犠牲者が出ています。出会った人々が無事なのかとても心配です。2001年訪問時を振り返りながらコメントを追加したいと思います。

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  • ポルトープランス(PP)の空港には両替所がなかった。空港タクシーなら米ドルも受け取るだろうと思い、タクシードライバーに料金を聞くと、「20ドル」という。<br /><br />空港から町まではそれほど遠くないので、ハイチの物価にしては高すぎる。空港施設内にもどり、タクシードライバーが近くにいないことを確認してから、女性の空港職員に確認すると、やはり「20ドルが相場」だという。<br />当時持っていったガイドブック・ロンリープラネットのドミニカ・ハイチ編にも20米ドルと表記されているので、間違ってはいないのだろうが、節約したかったので、どこかで両替してミニバスで行くことにした。<br /><br />両替は、空港を出てすぐ左手にあるガソリンスタンドでできるということだった。本物の銃を構えたガードマンが立っている。ハイチの治安を如実に物語るもので緊張する。<br /><br />空港で通じた英語はもうここでは通じない。ハイチではクレオール(仏語系)が話されていて、私たち旅行者が話す程度の基本的な仏語単語は問題なく理解してもらえる。<br /><br />ガソリンスタンドの事務所で、コーラを一本買って、20米ドルを現地通貨グールドに両替してもらう。1米ドルは25グールド(当時のレート)であることがここで分かった。<br /><br />(中略)<br />タクシードライバーがいう「20ドル」というのが必ずしも間違っていないということは、街中のファーストフードで初めて分かった。ファーストフードでは、レジやレシートに50グールドと表記されるのに、口頭では10ドル、と言っていたのだ。からくりはこうだ。<br />ハイチでは、慣習上、5グールドを1ドル(1ハイチドル)と呼ぶのだ。<br /><br />1米ドル=25グールド=5ハイチドル<br />なわけだ。<br /><br />ドルと言えば米ドルと考えるのは慣れていない外国人だけ。ファーストフードであった英語を話すイラン人がそう教えてくれた。<br /><br />空港タクシーの相場は、20米ドルではなく20ハイチドル、つまり、4米ドル(400円)だったわけだ。ロンプラの著者ですらだまされているのだから、外人客が20米ドル(相場の5倍)払ってしまうことは無理もないと思った。<br /><br />*ファーストフードであったイラン人<br /><br />街中ではイランのトレードショーが行われていた。どこかで見たことのある国旗が吊られているな、と思ってたがイランだったのだ。トレードショーと言っても、家具や日常雑貨の展示販売が主だったが。当時ハイチは経済制裁中、反米左派政権。イランやキューバとは仲が良かったのだろう。

    ポルトープランス(PP)の空港には両替所がなかった。空港タクシーなら米ドルも受け取るだろうと思い、タクシードライバーに料金を聞くと、「20ドル」という。

    空港から町まではそれほど遠くないので、ハイチの物価にしては高すぎる。空港施設内にもどり、タクシードライバーが近くにいないことを確認してから、女性の空港職員に確認すると、やはり「20ドルが相場」だという。
    当時持っていったガイドブック・ロンリープラネットのドミニカ・ハイチ編にも20米ドルと表記されているので、間違ってはいないのだろうが、節約したかったので、どこかで両替してミニバスで行くことにした。

    両替は、空港を出てすぐ左手にあるガソリンスタンドでできるということだった。本物の銃を構えたガードマンが立っている。ハイチの治安を如実に物語るもので緊張する。

    空港で通じた英語はもうここでは通じない。ハイチではクレオール(仏語系)が話されていて、私たち旅行者が話す程度の基本的な仏語単語は問題なく理解してもらえる。

    ガソリンスタンドの事務所で、コーラを一本買って、20米ドルを現地通貨グールドに両替してもらう。1米ドルは25グールド(当時のレート)であることがここで分かった。

    (中略)
    タクシードライバーがいう「20ドル」というのが必ずしも間違っていないということは、街中のファーストフードで初めて分かった。ファーストフードでは、レジやレシートに50グールドと表記されるのに、口頭では10ドル、と言っていたのだ。からくりはこうだ。
    ハイチでは、慣習上、5グールドを1ドル(1ハイチドル)と呼ぶのだ。

    1米ドル=25グールド=5ハイチドル
    なわけだ。

    ドルと言えば米ドルと考えるのは慣れていない外国人だけ。ファーストフードであった英語を話すイラン人がそう教えてくれた。

    空港タクシーの相場は、20米ドルではなく20ハイチドル、つまり、4米ドル(400円)だったわけだ。ロンプラの著者ですらだまされているのだから、外人客が20米ドル(相場の5倍)払ってしまうことは無理もないと思った。

    *ファーストフードであったイラン人

    街中ではイランのトレードショーが行われていた。どこかで見たことのある国旗が吊られているな、と思ってたがイランだったのだ。トレードショーと言っても、家具や日常雑貨の展示販売が主だったが。当時ハイチは経済制裁中、反米左派政権。イランやキューバとは仲が良かったのだろう。

  • トラックやミニバンを改造した乗合バス。通称は、「タプタプ」だったような気がする(要確認)。<br /><br />町の散策は、ガイドについてもらった。宿泊した宿で、タクシー付きガイドをあっせんされたが、タクシー移動だと市場の中などを見学できないし、料金も高くなる。そこで移動にはタプタプを利用し、ガイドだけつけてもらったのだ。ガイド料金は、日記を見ないと思いだせないが、3−4hで10−15米ドル程度だろう。<br /><br />未舗装の道をタプタプに揺られながら行く。タプタプでの移動は地元の人々と触れ合う良い機会になった。

    トラックやミニバンを改造した乗合バス。通称は、「タプタプ」だったような気がする(要確認)。

    町の散策は、ガイドについてもらった。宿泊した宿で、タクシー付きガイドをあっせんされたが、タクシー移動だと市場の中などを見学できないし、料金も高くなる。そこで移動にはタプタプを利用し、ガイドだけつけてもらったのだ。ガイド料金は、日記を見ないと思いだせないが、3−4hで10−15米ドル程度だろう。

    未舗装の道をタプタプに揺られながら行く。タプタプでの移動は地元の人々と触れ合う良い機会になった。

  • 街角スナックは豊富だった。当時の私は、体の中に取り込まないものの不衛生には耐えられたが(ホテルなど)、体内に取り込むものの衛生には気を使っていたので、買って食べてはいないかもしれない。

    街角スナックは豊富だった。当時の私は、体の中に取り込まないものの不衛生には耐えられたが(ホテルなど)、体内に取り込むものの衛生には気を使っていたので、買って食べてはいないかもしれない。

  • 店舗のレジや酒屋の裏ぐちは鉄格子で覆われていた。強盗対策だろう。1年前に旅行したアフリカ南部(ザンビアなど)も同様だったのを思い出した。

    店舗のレジや酒屋の裏ぐちは鉄格子で覆われていた。強盗対策だろう。1年前に旅行したアフリカ南部(ザンビアなど)も同様だったのを思い出した。

  • ハイチの住民はほとんどがキリスト教。フランス統治時代の影響か、カトリックが多い。<br /><br />ユニークなのは、キリスト教徒でもブードゥー教の習慣に従って生活していること。ハイチでカレンダーを見せてもらった時、ブードゥー教固有の暦になっていてびっくりした。<br /><br />ブードゥー教は、アフリカ起源で一種のアニミズム信仰。西アフリカのトーゴやベナンでは今でも根強い。ブラジルやアメリカ南部でも一部で広まっている。映画エンゼルハート等参照。<br /><br />この時もガイドにブードゥー教の儀式見るなら100ドルで見られるよ、と言われたのだが、「高すぎる」と即座に断った。後から考えれば、100ドルとは100ハイチドルであり、20米ドル(約2000円)だから、さほどぼったくってはいなかったのだが。

    ハイチの住民はほとんどがキリスト教。フランス統治時代の影響か、カトリックが多い。

    ユニークなのは、キリスト教徒でもブードゥー教の習慣に従って生活していること。ハイチでカレンダーを見せてもらった時、ブードゥー教固有の暦になっていてびっくりした。

    ブードゥー教は、アフリカ起源で一種のアニミズム信仰。西アフリカのトーゴやベナンでは今でも根強い。ブラジルやアメリカ南部でも一部で広まっている。映画エンゼルハート等参照。

    この時もガイドにブードゥー教の儀式見るなら100ドルで見られるよ、と言われたのだが、「高すぎる」と即座に断った。後から考えれば、100ドルとは100ハイチドルであり、20米ドル(約2000円)だから、さほどぼったくってはいなかったのだが。

  • 高級ホテルで聞いた近所の安宿の名前は、Palaceホテル(要確認)。アフリカ同様、安宿は売春宿を兼ねていた。<br /><br />昔は名前同様高級ホテルだったと思われる荘厳なつくりなのに、廃墟のようにボロボロになっていた。24h停電。白黒タイルの上に白黒の猫がいて踏んづけそうになった。<br />見たこともないような大きなゴキブリ(大きさだけでなく、形がカブトムシの蛹みたいだった)がバスルームに這っていた。<br /><br />宿にたむろしていた気が良い連中。男たちは、「タクシードライバー」と自称してたけど、車なんか持っていなかった。私が、タクシーを拾いたいとかガイドがほしい、と言う時にドライバーやガイドをあっせんしてくれるだけ。あっせん料は、私が彼らに払ったことはないから、ドライバーやガイドからいくらか受け取るのだろう。男たちは、売春婦の用心棒か、麻薬の売人だったのかもしれない。<br /><br />写真は彼らとのすごした楽しい時間の一こま。言葉は分からなかったけど以下のような感じか。<br /><br />女、「あら、おいしそうじゃない。ちょっと頂戴」<br />男、「いいけど、ちょっと触らせろよ」<br /><br />卑猥な感じは全然なくてほのぼのしてたを覚えている。<br /><br />パレスホテルは今回の地震で全壊してしまったのではないだろうか。

    高級ホテルで聞いた近所の安宿の名前は、Palaceホテル(要確認)。アフリカ同様、安宿は売春宿を兼ねていた。

    昔は名前同様高級ホテルだったと思われる荘厳なつくりなのに、廃墟のようにボロボロになっていた。24h停電。白黒タイルの上に白黒の猫がいて踏んづけそうになった。
    見たこともないような大きなゴキブリ(大きさだけでなく、形がカブトムシの蛹みたいだった)がバスルームに這っていた。

    宿にたむろしていた気が良い連中。男たちは、「タクシードライバー」と自称してたけど、車なんか持っていなかった。私が、タクシーを拾いたいとかガイドがほしい、と言う時にドライバーやガイドをあっせんしてくれるだけ。あっせん料は、私が彼らに払ったことはないから、ドライバーやガイドからいくらか受け取るのだろう。男たちは、売春婦の用心棒か、麻薬の売人だったのかもしれない。

    写真は彼らとのすごした楽しい時間の一こま。言葉は分からなかったけど以下のような感じか。

    女、「あら、おいしそうじゃない。ちょっと頂戴」
    男、「いいけど、ちょっと触らせろよ」

    卑猥な感じは全然なくてほのぼのしてたを覚えている。

    パレスホテルは今回の地震で全壊してしまったのではないだろうか。

  • 国内線飛行機でPPから、北部に位置するハイチ第二の都市、カップハイチアン(CP)に飛んだ。国内線とはいえ、セキュリティチェックなど全くなく、当時はとても驚いたのを覚えている。プロペラ機で、窓から見えた景色が素晴らしかった。

    国内線飛行機でPPから、北部に位置するハイチ第二の都市、カップハイチアン(CP)に飛んだ。国内線とはいえ、セキュリティチェックなど全くなく、当時はとても驚いたのを覚えている。プロペラ機で、窓から見えた景色が素晴らしかった。

  • 感じのよいバーのようなところを見つけて入ってみた。中年の客がカウンターで飲んでいるのは白い酒。何だろう。ガイドに聞いたら、酒ではなく、トウモロコシか何かで作ったミルクだという。記憶不正確。

    感じのよいバーのようなところを見つけて入ってみた。中年の客がカウンターで飲んでいるのは白い酒。何だろう。ガイドに聞いたら、酒ではなく、トウモロコシか何かで作ったミルクだという。記憶不正確。

  • ハイチは、経済制裁の影響もあって、舗装道路がほとんどなかった。こんなところで活躍するのはトラック。貨物のみならず人を運ぶ。アフリカ中部でよく見る光景だが、中南米カリブではハイチ以外で見たことないかも。

    ハイチは、経済制裁の影響もあって、舗装道路がほとんどなかった。こんなところで活躍するのはトラック。貨物のみならず人を運ぶ。アフリカ中部でよく見る光景だが、中南米カリブではハイチ以外で見たことないかも。

  • CPは丘に囲まれていてフォトジェニックな町だった。写真右下に写っている自転車、映画「ニューシネマパラダイス」風。

    CPは丘に囲まれていてフォトジェニックな町だった。写真右下に写っている自転車、映画「ニューシネマパラダイス」風。

  • CPの年越しコンサート。コンサートホールのようなところではなくて、路上でいきなり始まった。大音響。入場料などは払っていない。<br /><br />ハイチの音楽もノリが最高で、ジャマイカ・TTの音楽同様カリブ海諸国中で人気がある。アフリカのコンゴみたいだ。<br /><br />コンサートは明け方までやっていそうな雰囲気だったので、夜中1時過ぎに退散する。タクシーが拾えず一人ビビりながら歩いてホテルに戻った。

    CPの年越しコンサート。コンサートホールのようなところではなくて、路上でいきなり始まった。大音響。入場料などは払っていない。

    ハイチの音楽もノリが最高で、ジャマイカ・TTの音楽同様カリブ海諸国中で人気がある。アフリカのコンゴみたいだ。

    コンサートは明け方までやっていそうな雰囲気だったので、夜中1時過ぎに退散する。タクシーが拾えず一人ビビりながら歩いてホテルに戻った。

  • 路上で見つけた熟年カップルの甘い時間。ここで生活しているのだろうか。温暖なこともあり悲壮感はなかったが、雨の時は移動しなければならず、ちょっとかわいそうだ。夫婦とは何を話したか忘れたが、正面から撮らせてもらった写真もある(掲載予定なし)。

    路上で見つけた熟年カップルの甘い時間。ここで生活しているのだろうか。温暖なこともあり悲壮感はなかったが、雨の時は移動しなければならず、ちょっとかわいそうだ。夫婦とは何を話したか忘れたが、正面から撮らせてもらった写真もある(掲載予定なし)。

  • 年末年始で銀行は開いていなかった。両替は公園でできると町の人が言う。<br /><br />私は両替商にはできるだけ写真を撮らせてもらうことにしている。両替詐欺を働くような奴は写真撮影を嫌うから、写真をOKしてくれる奴は、よい奴という推定が働く。<br /><br />このおにいちゃんもとてもいい奴で、アメリカのマイアミに住んでいたことがあると、英語で話してくれた。マイアミにはキューバ人とならんでハイチ人がとても多い。

    年末年始で銀行は開いていなかった。両替は公園でできると町の人が言う。

    私は両替商にはできるだけ写真を撮らせてもらうことにしている。両替詐欺を働くような奴は写真撮影を嫌うから、写真をOKしてくれる奴は、よい奴という推定が働く。

    このおにいちゃんもとてもいい奴で、アメリカのマイアミに住んでいたことがあると、英語で話してくれた。マイアミにはキューバ人とならんでハイチ人がとても多い。

  • CPから世界遺産登録されているサンスーシまでタクシーをハイヤーした。サンスーシーのあとはそのままドミニカ共和国国境へ向かう予定なので、タクシーは片道だけ。<br /><br />未舗装の道は乾燥していて砂埃がひどかった。でも窓を開けないと蒸し暑いので、ドライバーはタオルで口元を覆いながら運転していた。<br /><br />未舗装と言ってもずいぶん昔には舗装されていたようで、平坦で走りやすかった。

    CPから世界遺産登録されているサンスーシまでタクシーをハイヤーした。サンスーシーのあとはそのままドミニカ共和国国境へ向かう予定なので、タクシーは片道だけ。

    未舗装の道は乾燥していて砂埃がひどかった。でも窓を開けないと蒸し暑いので、ドライバーはタオルで口元を覆いながら運転していた。

    未舗装と言ってもずいぶん昔には舗装されていたようで、平坦で走りやすかった。

  • 遺跡の入口で、名前などを記入させられる。ノートをみると、その日来ていたのは私のほか西洋人4人だけ。彼らは朝一番で訪れたらしく、この遺跡で私が出会った観光客はいなかった。<br /><br />たった一人の観光客を、馬主たちが争奪しにかかる。山の上の城までは歩いても行けるのだが、その日中に国境を越えた買った私は、馬を利用した。馬を引く少年も自分の馬に乗るのかと思ったら、彼は歩きだった。料金は思い出せないが往復10-20米ドル程度か。<br /><br />馬に揺られながら山道を行く。高さと揺れの中眺める景色は格別だった。道沿いには人が住んでいて、村の中をとおる。太鼓のようなものを叩いて歌を歌っていた。(ビデオクリップを取ってある)。アフリカに戻ってきたような気分になった。<br /><br />頂上は霧に包まれていた。と、頂上から一人の老人が降りてくる。馬の少年が老人と話をすると、老人は頂上へ戻って行った。老人は城の管理人だったようで、今日はもう観光客が来ないと思って施錠して帰宅するところだったのだ。<br /><br />城は私の好きな廃墟系の遺跡。霧で「下界」は見下ろせなかったが、貸し切り状態の城のあちこちを歩き回ることは自分の中の冒険心を刺激した。客観的に見ればもっとすごい遺跡は世界中にあるだろうが、世界遺産を独り占めできた体験はこのときがはじめてだったので、満足感で心がいっぱいになった。エジプトのピラミッドがどんなに素晴らしくったって、独り占めはできやしない。敷地内に積まれていた大砲の弾は本物だという。<br /><br />こんなところになぜ城があるのか、という由来は非常に面白いのだが、調べなおしてから別の機会に書きたいと思う。<br /><br />経済制裁中とはいえ、こんな素晴らしい遺跡を訪れる外国人が少ないのは本当にもったいない話だ。<br /><br />馬引き少年には、先に約束した料金は馬に対するもので、馬引き少年に対する対価は含まれていないので、別途支払ってくれと言われた。通常であればそんな屁理屈は無視するのだが、遺跡があまりに素晴らしかったので、2米ドル手渡した。

    遺跡の入口で、名前などを記入させられる。ノートをみると、その日来ていたのは私のほか西洋人4人だけ。彼らは朝一番で訪れたらしく、この遺跡で私が出会った観光客はいなかった。

    たった一人の観光客を、馬主たちが争奪しにかかる。山の上の城までは歩いても行けるのだが、その日中に国境を越えた買った私は、馬を利用した。馬を引く少年も自分の馬に乗るのかと思ったら、彼は歩きだった。料金は思い出せないが往復10-20米ドル程度か。

    馬に揺られながら山道を行く。高さと揺れの中眺める景色は格別だった。道沿いには人が住んでいて、村の中をとおる。太鼓のようなものを叩いて歌を歌っていた。(ビデオクリップを取ってある)。アフリカに戻ってきたような気分になった。

    頂上は霧に包まれていた。と、頂上から一人の老人が降りてくる。馬の少年が老人と話をすると、老人は頂上へ戻って行った。老人は城の管理人だったようで、今日はもう観光客が来ないと思って施錠して帰宅するところだったのだ。

    城は私の好きな廃墟系の遺跡。霧で「下界」は見下ろせなかったが、貸し切り状態の城のあちこちを歩き回ることは自分の中の冒険心を刺激した。客観的に見ればもっとすごい遺跡は世界中にあるだろうが、世界遺産を独り占めできた体験はこのときがはじめてだったので、満足感で心がいっぱいになった。エジプトのピラミッドがどんなに素晴らしくったって、独り占めはできやしない。敷地内に積まれていた大砲の弾は本物だという。

    こんなところになぜ城があるのか、という由来は非常に面白いのだが、調べなおしてから別の機会に書きたいと思う。

    経済制裁中とはいえ、こんな素晴らしい遺跡を訪れる外国人が少ないのは本当にもったいない話だ。

    馬引き少年には、先に約束した料金は馬に対するもので、馬引き少年に対する対価は含まれていないので、別途支払ってくれと言われた。通常であればそんな屁理屈は無視するのだが、遺跡があまりに素晴らしかったので、2米ドル手渡した。

  • ドミニカ国境。服をぬらさずに川を渡れるように、おんぶする運び屋がいた。写真上部の砂州がハイチードミニカの国境ライン。

    ドミニカ国境。服をぬらさずに川を渡れるように、おんぶする運び屋がいた。写真上部の砂州がハイチードミニカの国境ライン。

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  • msfish123さん 2004/10/30 22:30:30
    写真みました。
    ニュースでのハイチの現状に非常に興味があり、拝見させていただきました。
    なんでハイチにいかれたのですか?

    km777

    km777さん からの返信 2004/10/31 00:32:36
    RE: 写真みました。
    ハイチに行った理由は、アメリカ人のリゾート地のようなカリブ海諸国の中で、この国が異彩を放っており、興味深く思ったからです。西半球最貧国・カリブ海のアフリカ・黒人国家としては世界一早い独立(エチオピアを除く)・ブードゥー教・・・周辺諸国に比べ、独自性が際立っています。国境マニアの私にとって、徒歩でドミニカ共和国まで行けるのも二次的な理由です。ポルトープランス・カップハイチアン・サンスーシ(世界遺産)、すっかり気に入ってしまいました。なお、私の渡航当時とちがって、2004年10月現在、ハイチの治安は非常に不安定ですので、近い将来の渡航は困難だと思われます。

    msfish123さん からの返信 2004/11/01 09:57:59
    RE: RE: 写真みました。
    kmさん
    お返事ありがとうございます。
    私は実はジャマイカに三回行ったことがあります。
    始めのうちは南国の陽気で楽しい部分しか見れませんでしたが、
    現地人の生活を見ていくうちに
    観光地で見られる良い面からは予想もつかない180度逆の悪い面(貧困、ほとんど政治が汚職と不安定、その為教育のレベルもかなり低く、裕福層以外の国民は未来に対する希望がほとんど持てない)
    を見て、そのギャップが強すぎ、又、やはり先進国には無い文化や雰囲気もとても好きで
    忘れられない旅になっています。ハイチに比べれば環境はかなり恵まれているといえるのでしょうが、似たような地理条件、歴史の国のニュースはとても気になってしまうのです。

    kmさんはかなりたくさんの旅をされて、経験豊富のようですね。
    よければ、いままでで良くも悪くも印象が強かった国を教えて下さい。

    km777

    km777さん からの返信 2004/11/01 22:35:29
    RE: RE: RE: 写真みました。
    msfish123さん こんばんわ

    >私は実はジャマイカに三回行ったことがあります。

    ジャマイカは是非行ってみたいのですがまだ機会がなく、行っていません。なので、ハイチとの雰囲気の比較はできません。3度もいかれているということは相当お気に入りなんですね。

    >現地人の生活を見ていくうちに観光地で見られる良い面からは予想もつかない180度逆の悪い面(貧困、ほとんど政治が汚職と不安定、その為教育のレベルもかなり低く、裕福層以外の国民は未来に対する希望がほとんど持てない)
    を見て、そのギャップが強すぎ、又、やはり先進国には無い文化や雰囲気もとても好きで
    忘れられない旅になっています。

    単なる観光よりも一歩踏み込んだ旅ができてよかったですね。リゾート地の裏側って、面白いですよね。でも、「貧しい国」では、貧富の差が非常に大きく、富裕層の豊かさは日本以上、英米で教育をうけていたりするのも事実。ハイチの首都には、富裕層(ほぼ皆、白人との混血)だけが固まって住んでいる待ちがありました。ジャマイカもそんな感じじゃないかな。

    >kmさんはかなりたくさんの旅をされて、経験豊富のようですね。
    よければ、いままでで良くも悪くも印象が強かった国を教えて下さい。

    数だけはこなしてますが、いつもトラブルにあってばかりなので、経験豊富と言うのには抵抗があります。好きな国・印象に残ったについては、プロフィールに書いておきました。掲示板に書くと、あとで削除できないので、恥ずかしいです。

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