12月14日・赤穂義士の泉岳寺 法要参列篇 :kioさんの旅行ブログ
赤穂義士の討ち入りの12月14日が近くなってきたので
今年もこの時期、赤穂義士の法要に参加したレポートを巻頭に
持ってきました.
いつも画像が一枚も無い私の旅行記ですが今回だけは何枚かの
写真と共に大石内蔵助以下 十数人が自決した旧細川邸の自決現場を
一番最後に載せました。ここは普段は門は閉ざされ公開されないのですが十二月十四日だけは門が開かれ、 霊感の殆ど無い私でさえも、かなり霊気を感じてしまうような場所でした。(ー_ー)!!
更に云えば一番最後の画像<大石内蔵助以下 十数人が自決した旧細川邸の自決現場>に何人もの苦しそうな表情の顔が見えると、何人かに言われたけど、云われてみればそんな感じの顔の陰影が見えるような気がしない訳でも無い。(';')
毎年、12月14日、この日の高輪・泉岳寺は幾多の供養に参る人波が途絶える事の無いほどに賑やかになる。この日は泉岳寺最大、且つ史上最強の人気を誇る檀家でもある赤穂義士の討ち入りの日として知られている。
云わずと知れた元禄15年(1702)12月14日未明の遺臣たちによる吉良邸討入りは300年を経た現在でも歌舞伎や映画、芝居でも広く知られ多くの人々の心に訴え、そのストーリー展開は日本人の感性や国民性にマッチして揺さぶるもの多々あるのだろう。
浅野氏が吉良氏を襲った江戸城・松の廊下刃傷の真相も諸説紛々、イジメに対する逆襲、赤穂の塩に関する賄賂の要求に対する拒絶、浅野氏の癲癇<てんかん>体質説、本当の真相は藪の中というミステリアスな部分もある。
私も齢を重ねるごとに所謂<忠臣蔵>に多大なる関心を持つようになってきた。たまたま仕事で深い付き合いのある人が、毎年、12月14日には泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要に毎年参列していると伝え聞いて、私も是非にその法事に参列してみたいと同行する事に相成った。
歴史モノにまったく頓着の無き配偶者からは「赤の他人の法事に参列してど〜すんのよ〜」と無粋な事を云われようと、法事に参列する四十七士の子孫達の様を通じて、三百年前の江戸の人々の心を奮わした事件に思いを寄せるのもタイムスリップしたような感覚が味わえそうでロマンが有って良いではないかと感じた私は12月14日を愉しみに待った。
中央義士会という組織がある。赤穂義士に関わるの研究団体である。
私は今回、この中央義士会が仕切る泉岳寺での12月14日の集まりに参加した。 参加費用は¥3000なり(*^_^*)
この団体の長はN氏と云う、史実と物証だけに基づいた赤穂義士の研究と勉強を数十年も続けているその道ではかなり著名な方でもある。彼の書物を購入し、プロフィールを読めば、私と出身大学も出身学部も同じではないか!軽くシンパシーを感じる事も無くは無かった。
中央義士会では<赤穂浪士>とは言わない。
あくまでも忠義を尽くした<赤穂義士>が本来の呼称だと考えているように感じた。
<中央義士会>は赤穂義士研究の財団法人として泉岳寺にもきわめて深く食い込んでいるようで、泉岳寺の本堂で執り行われる法要にも参加費用を払った我々は参列出来るのだ。
本堂の外は群集が文字通り押し合いへし合い、線香の煙で霞みがかかるほどの状況の中で凛とした佇まいの中の本堂にいる自分は奇妙な優越感を感じたりする。
かって観た事のないような立派過ぎるほどの巨大な祭壇に向かって左側の席には赤穂義士に連なる子孫の方々が三十数名参列されている。右側の席には中央義士会関係の我々ギャラリーが50〜60名は座っていた。やがておずおずと僧侶が巨大な本堂の四隅を固めるかのようにポジションを取りはじめた。いったい何人いるのだろう、、無粋で無遠慮な私は目で袈裟を着た僧侶の数を追いかけて数えてみた。その数は十数名! 更に祭壇の真正面に添えられた西陣織?のような美しい赤紫の生地で覆われた椅子に紫の袈裟を着たヒトキワ貫禄のある僧侶が腰掛ける。泉岳寺で一番の大僧侶なのだろう。大僧侶が腰かけたところで間もなく、本堂に朗々と響く読経が始まった。
僧侶十数名による経読みの迫力はさすがだった。まるでステレオ実況のようにお経があちこちから響き渡る。泉岳寺が泉岳寺として全国的に認知されている、云わば泉岳寺を支えている赤穂義士の法要である。寺の力の入れ方もハンパではない。この場にいるだけで参加費用¥3000の価値はあるなあ と妙な所で納得してしまう訳の判らない私である。実に良いモノを見せてもらったという感じです。30分以上!に渡るステレオ読経が終わり、法要は滞りなく終了した。皆が次の場所へ流れて行く中で、私はあらためて祭壇に近寄り、80cm!はあろうかと思われる巨大な位牌を眺めては深い思いに耽ってみたりする。
そして泉岳寺内にある立派な畳み部屋の控え室というか集会施設に場所を移す。今度は講演会と懇親会、質疑応答である。この部屋に入場の際、銀座○○の松花堂弁当、大石家の家紋の入ったネクタイピン、ワンカップ酒、蜜柑の入った紙袋を渡される。三千円でこんなにサービスして貰っていいの??というのが正直な実感でした。 さすがに翌年参加した時は松花堂弁当が<赤穂の塩饅頭>に変わっていましたが(*^_^*)
正直な主催者曰く松花堂弁当だと赤字になってしまうそうな(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン 深〜〜く納得・・・しました。
今度はN氏の赤穂義士に関する新しい史実の開陳を含めた講演を聞く。勉強熱心?な私はメモをとったりする。そのメモ書きを何処かに失してしまい(';')、講演の内容を詳しく書けない。記憶に残っているのはN氏曰く、今回新たに何処にも発表されていない新しい史実を皆様に初めて開陳しますと重々しく前説で述べて語った事。いったいどんな新事実が判明したのだろうと、ワクワク軽く期待したのだが、、、、
その新しい史実とは四十七士がいざ、吉良邸に向かう直前に大石内蔵助が同士に分けて噛ませたというものに<なた豆>があったという話。何でも今でも高級な福神漬けに含まれている豆らしい。ある種の強精作用、興奮作用があるという。パワフルに敵を倒して行けという事なんでしょうね。
ふ〜〜〜っむ、、忠臣蔵研究家は実に様々な事でさえ調べに調べてその道の第一人者に成り得るのだなあと感じ入った。映画やTVドラマなどで大河ドラマのような忠臣蔵の製作が始まると時代考証などで必ずのようにN氏のもとへ番組スタッフが時折、訪ねてくるという。そんな時に史実にはない、大石内蔵助の息子、大石主税に許嫁<いいなづけ>が居たかのような荒唐無稽なストーリー展開や蓮っ葉なシナリオを持って来られると史実に徹底的にこだわるN氏は激怒して番組の監修を降りたくこともしばしばという。
昼行燈(ひるあんどん)と揶揄された大石内蔵助は、実は相手を油断させる為に周囲にリベンジの素振りも見せず、わざと韜晦(とうかい)の術を使ったと思われる。更に大石内蔵助は幾度も幾度も赤穂義士の本気度、忠誠心を試すが如く、赤穂義士の振り落しテストを行い、百数十名の浪士はやがて四十七士に絞り込まれた。
切り込みの一番手に16歳の息子の大石主税を使い、三人一組でチームを作り相手を確実に倒して行ったという。寝込みを襲われた吉良側の家臣は二十名が命を落とし、二十数名が怪我を負ったのに対し
赤穂義士側は一人が軽い捻挫を負っただけで、全員無傷だったという。
義士達は吉良邸討ち入り後、吉良邸の向かいの寺、<回向院>での休息を求めたが、関わりを恐れた回向院の門塀は固く閉ざされままだったという。彼等は明け方、両国の吉良邸から高輪の泉岳寺までのおよそ三里(12KM)の深く積もった新雪の道を20キロの武具を着けて3時間で歩き抜いたという。浅野内匠頭の墓前に刈った吉良上野介の首を一刻も早く差し出す為に考えられぬような、とんでもない早足です。バックパッカーだった私は20kのザックを背負い、おそらく膝まで埋もれるような新雪の中をそんな早足でなど絶対に無理です。
当時の積雪はどの位だったのでしょうか?と思わずN氏に尋ねたい衝動に駆られましたが、他の質問者との内容の落差が凄すぎるような気がして堪えました(*^_^*)
二時間に及ぶ講演と質疑応答を終え、この年の12月14日は300年前の江戸の町民を歓喜させたという歴史の深淵に触れる事の出来た、私にとってそれはそれは〜とても充実した一日と相成りえました。
この画像は赤穂義士の法事の行われた本堂の中から撮影したもの
12月14日は義士祭が執り行われ、この画像はその模様。
赤穂義士達は数か所に別れ、この細川邸には大石内蔵助以下16名が畳の上ではなく細川家の屋敷の庭先での切腹であった。
討ち入りの翌年2月4日の事だった。
木漏れ日のこの中庭、とても静寂な雰囲気で
相当に涼しげに感じたのは12月の寒さの所為だけでは
ありますまい(・・;)
あら楽し
思いは晴るる
身は捨る
浮世の外に
かかる雲なし
大石内蔵助の有名な辞世の句です。
忠勤に徹し義を通し思いを遂げた今はもう心残りは
何も無いないという事なんですね

kioさん、おはようございます。
おかしいなあ、ここへのカキコが消えている。
確か、どうしてそんなに速く歩けたのか、とか書いたと思いますが。
13票も獲得してるんだし、もう少し書き込みがあっても
よさそうなもんですけど残ってるのはさすらいおじさんだけ。
念のためと思って投票してみたらできるじゃありませんか\(◎o◎)/
投票、以前した筈なんですけど・・・。
た・祟りかぁ〜〜??
それにしても当時はやはり気温が低かったんですね。
12月14日に歩くのに難儀するほどの雪とは!
唐辛子婆

唐辛子マダム 書き込み 投票ありがとうございます。
> おかしいなあ、ここへのカキコが消えている。
> 確か、どうしてそんなに速く歩けたのか、とか書いたと思いますが。
その書き込み、覚えてますよ。不思議に思い、
過去ログ探してみましたが、探せませんでした(';')
> それにしても当時はやはり気温が低かったんですね。
> 12月14日に歩くのに難儀するほどの雪とは!
いや〜 旧暦ですからね。新暦(西暦)に直すと12月14日は
実際は1703年1月30日になるらしいですよ。
で、討ち入り当日の未明の三時半くらいの頃は雪はすでにあがって
いたようです。<忠臣蔵>という 元禄赤穂事件を題材にした
ドラマ仕立ての復讐劇の創作作品が歌舞伎や演劇でドラマチックに
演じられることによって、人々の琴線に触れるようなストーリー展開に
なっていったという部分はあると思います。
四十七士が高輪の泉岳寺に到着するころは、すでに江戸の町民による
口コミニケーションにより、数多くの人々が泉岳寺に連なる沿道に集まり
凱旋将軍の如く、彼らの復讐劇を讃えたという話もあります。(*^_^*)

> いや〜 旧暦ですからね。新暦(西暦)に直すと12月14日は
> 実際は1703年1月30日になるらしいですよ。
な〜んだ。それなら今でも降るかも。
> で、討ち入り当日の未明の三時半くらいの頃は雪はすでにあがって
> いたようです。<忠臣蔵>という 元禄赤穂事件を題材にした
> ドラマ仕立ての復讐劇の創作作品が歌舞伎や演劇でドラマチックに
> 演じられることによって、人々の琴線に触れるようなストーリー展開に
> なっていったという部分はあると思います。
そういうことなんですね。
そりゃ、泥べっちゃの忠臣蔵なんてカッコ悪いですもんね。
> 四十七士が高輪の泉岳寺に到着するころは、すでに江戸の町民による
> 口コミニケーションにより、数多くの人々が泉岳寺に連なる沿道に集まり
> 凱旋将軍の如く、彼らの復讐劇を讃えたという話もあります。(*^_^*)
それでも畳の上で切腹させてもらえなかったというのが
やっぱりあわれで涙がでます。
ところでkioさんならご存知でしょうか?
浅草寺の天井に優雅に舞っているのは誰なのか。
天女じゃなくて天使?みたいなんですけど。
唐辛子婆

> そういうことなんですね。
> そりゃ、泥べっちゃの忠臣蔵なんてカッコ悪いですもんね。
そそ、 そういう事ですよん。 敵を取って、新雪の上を黙々と泉岳寺に
向かって歩く。 絵になるじゃありませんか〜〜
> それでも畳の上で切腹させてもらえなかったというのが
> やっぱりあわれで涙がでます。
幾つかの大名屋敷に分散させられた赤穂義士達はかなり厚遇された
ようです。ただ、畳の上で切腹は許されなかったようですね
> 浅草寺の天井に優雅に舞っているのは誰なのか。
> 天女じゃなくて天使?みたいなんですけど。
へっ?? それ 初めて聞きました。なんでしょう?

> > 浅草寺の天井に優雅に舞っているのは誰なのか。
> > 天女じゃなくて天使?みたいなんですけど。
> へっ?? それ 初めて聞きました。なんでしょう?
これです。
オカマかなあ?なんていったら罰があたるかしらん?
http://4travel.jp/traveler/tougarashibaba/album/10549533/

kioさん
6月15日に帰国しました。
盗難の際、温かいメッセージをいただきありがとうございました。kioさんの体験されたハプニングに比べればハプニングは少なかったと思います。
チェ・ゲバラも教えていただいた映画を見ていたのでキューバの博物館など、見学先で見る写真など、思い当たるものも多く、充実したものになりました。
泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要のレポート、興味深く拝見しました。私も東京に行った際、泉岳寺や吉良邸跡を訪問しました。
藩主への忠誠心は日本人の心を捉え続けていますが、浅野はメンタルな病だったのでは?吉良は国では名藩主とのことだが本当に意地悪だった? など疑ってみたりしますが興味は尽きませんね。

さすらいおじさん さん おかえりなさい〜
南米より無事の生還なによりですよん
自分にはとても出来ない真似です。心底 たいしたもんだと思いますよ
ボリビア山中で殺されたチエ・ゲバラのデスマスク画像を観たことが
有りますが、とても凛とした表情で、ただ目を閉じているだけにしか見えませんでした。<20世紀最後の革命家>というイメージが強いですよね
>泉岳寺で執り行われる赤穂義士法要のレポート、興味深く拝見しました。私も東京に行った際、泉岳寺や吉良邸跡を訪問しました。
藩主への忠誠心は日本人の心を捉え続けていますが、浅野はメンタルな病だったのでは?吉良は国では名藩主とのことだが本当に意地悪だった? など疑ってみたりしますが興味は尽きませんね。
赤穂義士の法要に親戚でも関係者でもないのに、ノコノコと出席した
私のレポート、読んでいただき併せて投票も頂戴しありがとうございます。
さすらいおじさん氏の仰るとおり、刃傷・松の廊下での事件は
その原因に関しては諸説紛々、謎解きは永遠のテーマかもしれません。
大石内蔵之助以下、16名が斬首された旧細川邸の庭先、
この討ち入りの日だけは閉ざされた扉が開き、その様を
観る事が出来、画像をアップしましたが、かなり涼やかな気分に
なったもんです〜〜〜〜〜(m--)m

あら楽し
思いは晴るる
身は捨る
浮世の外に
かかる雲なし
大石内蔵助良雄の有名な辞世の句です。
忠勤に徹し義を通し思いを遂げた今は自らの今後は
どうなっても良い。晴れ晴れした気分だという事なんですね
って仇を取る総大将はそうかもしれませんが、
その部下達は46人の思いは・・・どうなんでしょう、、
浅野氏のあだ討ちという気持ちだけでなく、大石内蔵助良雄の男気に惚れ
類稀なるリーダーシップに殉じたという事なのか
この大石内蔵助良雄、同士の決意や強固な気持ちを確認する作業を
何度も何度もテストのように実施しています。
当初は130人くらい居た同士も振り落とされ、或いは異を唱え、
或いは自ら脱落し最後は47人になっていったようです。
いやはや〜4トラ旅行記の書き込みとは程遠い内容になっちまいました(笑)
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