京都、小さな旅――三十三間堂、伏見稲荷、東寺:おっちゃんさんの旅行ブログ
自転車で三十三間堂へ。
相方と僕は、京都での移動手段にレンタサイクルを活用している。
この季節はさすがに寒いが、町を丸ごと体感できる。
「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数。
久寿2年(1155)、第77代天皇として即位した後白河天皇は、わずか3年で二条天皇に位を譲り、上皇として「院政」を敷いた。三十三間堂は、その御所として造営。80年後に焼失し、まもなく後嵯峨上皇により再建。
その始まりは不明だが、桃山時代には、すでに行なわれたと伝えられる。
「通し矢」は、お堂西縁の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その矢数を競ったもの。
「矢数帳」には、通し矢法を伝承した「日置六流(へきろくりゅう)」の江戸期の試技者氏名、月日、矢数などが編年で書き留められ、最高記録は、貞享3年(1686)4月、紀州・和佐大八郎(試技年齢は18歳)の総矢13,053本、通し矢8,133本、という驚異的なもの。
堂内には、以下が安置される。
国宝 千手観音坐像(せんじゅかんのんざぞう)
84才で亡くなる湛慶が、死の2年前に完成させた鎌倉後期を飾る代表的作品。
国宝 風神・雷神と二十八部衆(ふうじんらいじんぞうとにじゅうはちぶしゅうぞう)
観音二十八部衆に風神・雷神を加えた30体の等身大の尊像が千体観音像の前に安置され、その信者を守るとされる。天衣の女神や甲冑をつけた神将、動物や楽器を執るものなど変化に富み、他では見られないもの。これらは、檜材の寄木造り、玉眼を用いた彩色像で、迫真の表情や姿を見せる鎌倉彫刻の傑作。
ミケランジェロがピエタ、ダビデ像をつくる遥か前に、
鎌倉の仏師たちがこれだけの精緻な描写力を持った彫刻を
つくっていたことに驚きを覚える。
東寺
正しくは教王護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじょう)とし、今に至る。1996年、世界遺産に登録。
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