八十歳の軌跡【1932年2歳-01】阪急箕面線の電車は個性豊かだった:ソフィさんの旅行ブログ
1932年、桜井五丁目の家から同じ桜井二丁目に引越しする。
引越しの動機は、姉の女学校進学だった。
姉の通学を少しでも楽にしようと、駅の近くに転居したのだ。
姉は、兵庫県立伊丹高等女学校に入学した。
父は「牛後となるより鶏口たれ」と言っていた。
だから俊才が集まる大都会の有名校より、静かで素朴な学校を選んだのだろう。
伊丹に通うには、近くの桜井駅から阪急電車に乗って石橋で宝塚線に乗換え、能勢口で国鉄福知山線にもう一度乗り換える必要があった。
福知山線は単線で、蒸気機関車だった。
複線化電化は、おおよそ50年後、1980年前後である。
父は、借家主義を自称していた。
人生の展開にしたがって、その時々の必要条件に応じた家を借りることが、一番便利という考え方なのだ。
この家の上空には、その時代まだ珍しかった飛行機がやって来て、グルグル旋回した。
斜め向かいに報知新聞の社長さんの家があって、新聞社の飛行機が上空通過の挨拶をするとのことだった。
駅が近いので、毎日のように電車を見に行った。
駅員さんもやさしくて、私の訪問を待ってくれているようだった。
当時の阪急箕面線は一両編成だったが、それぞれの電車に個性があって、見飽きなかった。
のどかな時代だ。
1931年に、満洲事変が始まる。
満洲事変が始まって、世の中がいくらか元気づいたように感じる。
(片瀬貴文)
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