1962年のパリだより【745】100年前は日本から2ヶ月半かけて欧州にやって来た:ソフィさんの旅行ブログ
1962年1月15日(月)
慎重を期して、もう少しの間休養を続けることにする。
何しろ命が助かってから、まだ3年しか経っていないのだ。
覚悟が決まったので、今日約束があったアステフ(フランス政府の窓口)と、ステュップ(プレストレス・コンクリートの特許を持っている会社)に早速電話で断わりを入れる。
もう電話は、臆することなく、スラスラとかけることができるようになっている。
文久2年に日本からやって来た使節団は、1862年1月22日(旧暦文久元年12月23日)品川を船で出発し、スエズ-アレキサンドリア間は鉄道を使ったが、再度船に乗って、1862年4月3日(旧暦文久2年3月5日)マルセイユに着いた。
ほぼ2ヶ月半の行程である。
日本からスエズまでの船は、「オーディン号」なるイギリスの軍艦で、長さ191フィート(58m)、幅42フィート(12.8m)、トン数2000トン。
30ポンド砲8門と12ポンド砲24門を備え、乗務員は、310人。
この船に、日本使節団38人が乗った。
スエズ運河は、1859年着工、1869年完成だから、使節団が通った時は工事着工直後だったろう。
この工事にはエジプト人150万人が従事し、そのうち2.5万人がコレラなどによって死んだと伝えられる難工事だった。
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