1962年のパリだより【743】驚くべき1613年の訪欧団:ソフィさんの旅行ブログ
1962年1月13日(土)
実は文久二年(1862年)のヨーロッパ派遣団は、日本初ではないのだ。
その250年も前の慶長18年(1613年)に、伊達政宗が通商交渉のために、支倉常長(はせくらつねなが)をスペインとローマに送っている。
彼はスペイン人ルイス・ソテロ正使とともに、副使として180人を引き連れ、ヨーロッパに向かった。
石巻で建造した船に乗り、太平洋を東に向かって、アカプルコからメキシコ半島を横断し陸路ベラクルスへ、そして大西洋を横断、スペイン経由でローマに入る。
出発は月の浦を1613年10月28日。
1615年1月30日スペイン国王フェリペ三世に、同年11月3日ローマ教皇パウルス五世と、それぞれ謁見。
1620年(元和6年)9月20日帰国。
スペインとの交渉は成功しなかったが、この8年がかりの訪欧は、雄大ですごい。
しかし、日本を不在にする間、キリスト教に対する見方が急速に悪化し、支倉常長は帰国後失意のうちに死ぬ。
さらに息子の常頼はキリシタンゆえに処刑され、1640年支倉家は断絶した。
この辺り、私の歴史勉強がまだまだ足りない。
昨日買っておいたパン、バター、ジャムを食べながら、一日部屋を出ずにじっとする。
洗濯や身辺整理など仕事が貯まっていて、気が重い。

大丈夫ですか?
3月の下旬、何とかして「大阪」に行きます。
いつの世も、進んだ「事がら」には「反発」がありますね。
400年も昔の偉業に驚いてます。

> 大丈夫ですか?
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とらいもんさん
そろそろ花の便りが聞こえてきました。
春に来られるならば、日取りを教えてください。
またご希望があれば、教えてください。
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