久々の中国−広州再訪【04】いくつもの歴史の舞台に立ってきた広州:ソフィさんの旅行ブログ
2008年2月19日(火)
広州は珠江が運んできた土砂の上に建つ、非常に平らな地形なのだが、越秀公園は小高い丘「越秀山」にある。
その上に建つ5層の「鎮海楼」は、広州のランドマークなのだろう。
アヘン戦争の記録でも、イギリスは1841年に「鎮海楼」を占領したと、書いてある。
1911年孫文は「広州蜂起」で辛亥革命の先頭を切り、1921年広州「越秀山」南麓で中華民国大統領に就任し、広州は中華民国の臨時首都になった。
もう少し広域を見ると、広州湾一帯は日清戦争後1899年フランスの租借地となり、フランスの影響を受ける。
1927年の広州コミューンにも、広州の名が歴史に出てくる。
そして1943年日本占領、フランス租借の終焉。
やや大げさだが、広州は、歴史の舞台に立ちながら中国を牽引する、ある種の宿命を背負っているようだ。
また、広州の歴史を見るとき、何かしら特別の人間くささを感じるのは、一種の偏見だろうか。
「鎮海楼」に上って、広州の市街を見渡す。
眼下に目立つのは、孫中山記念館の立派な建物と、サッカー場の屋根である。
遠くに、珠江の沿岸辺りだろうか、高層ビルが何本も連立している。
このような高層建築による都市開発は、最近のアジアでは見慣れた風景だ。
写真は、
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