日記【07.01.21】建設局の卒業論文:ソフィさんの旅行ブログ
1968年ウィーン鉄道会議の、基調講演用の報告書作成は、新幹線が生まれ育ったそれまでの経緯をまとめるためにも、たいへん良い機会だった。
東海道新幹線が開業してから、国鉄は明治以来の投資不足を補うため、直ちに第三次長期投資計画の時代に入っていて、新幹線をゆっくり見つめながら、履歴書を作成する余裕はなかった。
営業開始後の実績が、そろそろ目に見えてきたころでもある。
将来に向けての「全国新幹線網計画」や、「首都圏通勤新幹線構想」なども、新たに提案されつつある。
これらの問題を総合的にまとめて、子孫に残したい。
報告書作成に当たり、私は自分の課から5人の精鋭を選りすぐって、ワーキンググループを編成した。
報告書は、メインの部分と、Q&Aの二つのパートに分け、作り始める。
これまでに出ているたくさんのレポートを、読む作業から始まった。
多くの専門家たちに会って、出来るだけ真実を伺った。
完成後は、ウィーン会議に先立ち、英語、フランス語、ドイツ語に翻訳され、世界に配布される予定だった。
ほぼ半年をかけたこのレポート作成は、私にとっては建設局線増課の、卒業論文のようなものだった。
内容のエッセンスは、「新幹線の計画と設計」(町田富士夫 堀内義朗 片瀬貴文 西村昭三共著 山海堂 1968年)にもまとめた。
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