浦潮斯徳さんの掲示板

浦潮斯徳様
初めまして。
この旅は「スーパー駅長たま 平日編」に投票して頂き
誠にありがとうございます。
また、お礼が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。
たま駅長もお歳を召してきたので
今後の駅長室がどうなるのか、ちょっと不安でもあります。
チビ助役も行方不明になっちゃったし・・・
休み休みですが、ボツボツ更新していますので
今後とも宜しくお願いします。

redbird様
はじめまして
チビがいなくなったのですか。ショックです。
前にもあったとうですが。
たまちゃんも、お歳です。
にたまちゃんに、頑張ってもらわないとですね。
今後もよろしく、お願いいたします

浦潮斯徳様
初めましてこんにちは、ムロろ〜んと申します。
この度はウズベキスタンとタジキスタンの旅行記に投票をして下さいましてありがとうございます。
シルクロードにある仏教遺跡を見ることができただけでなく、異教徒にもかかわらず自分たちの先祖を大切にするために残さなければならないとの精神に本当に感銘を受けた旅でした。そこに住む方の歴史遺産を大切にする考えを学びました。
浦潮斯徳さんのカザフの旅行記を拝見しました。湖のきれいさに本当に驚きましたが、どうしてあのように青いのでしょうか?驚きました。
ソ連時代のレジャー施設の栄光のある姿も驚きました。全く未知でしたので、ただただ驚きばかりです。
今後も旅行記を書いて参りますので、何卒宜しくお願い致します。
ムロろ〜ん

お便り有り難うございます。
イシク湖の水の色は、恐らく静岡の寸又峡と同じく、チンダル現象ではと思います。とても不思議な色です。
バルハシ湖は、東が塩水で色がブルー、西が淡水で色がグリーンです。グーグル・アースで見ると、色の違いがよくわかります。
タジキスタンですが、旅行記を読むと、安全みたいですね。ペンジケントは、大丈夫だと聞きましたが。
タジキスタンの西部には、イスカンデル湖という、とても神秘的な湖があるようです。
あとタジキスタンの東部には、カラクリ湖という山岳湖がありますが、いつか行きたいのです。ただ東部タジキスタンは、アクセスがキルギスのオシュから向かうようで、少し大変そうです。、
今後もムロろ〜ん様の旅行記を、読ませていただきます。今後もよろしくお願いいたします。

浦潮斯徳さま こんばんは。
ケーニヒスベルク(私の中ではこの名前の方が覚えやすい)編見せていただきました。
丁度1年前、拝見しているのですね。
その時は、へぇー、ロシアにドイツの名前のついた地があるんだー、と思ったものでした。
でも、今回は違います。カリーニングラード編にコメントを追加なさったのを読んで、少し勉強しました。
ちょっとここのところ忙しかったもので、ネットから取り出したwikiを出力して電車の中で読みました。
浦潮斯徳さまの旅行記と合わせて読むと、面白い面白い!
ドイツ騎士団によって建設されたケーニヒスベルクは東プロイセンの中心都市だったのですね。
もともとはドイツの地だったものが、いろんな歴史を経て、最終的には第二次大戦後はロシアに渡った。しかも現在は、リトアニアの独立により全くの飛び地帯。
地図で見ても、リトアニアとポーランドにはさまれて窮屈な姿で頑張っている昔のケーニヒスベルク。
そこには物凄い歴史があったのですね。
wikiを見る限り、第二次世界大戦はケーニヒスベルクが火種となって起った、と言っても言い過ぎではないと私は解釈しました。
でも、ドイツによってきれいに復興された現在のケーニヒスベルク、とても魅力的です。
ドイツ旅行者が押しかけるのも無理はないでしょう。私も行ってみたいです。
ポーランドのポツナンやクダンスクには前から行きたいと思っていました。
そこから日帰りでもいけそうな感じですね。
カントの「エス イスト グート!」
私もそんな生涯を終えることが出来たらいいなと思います。
それから、ヒトラーが自殺した後、後継者となって彼の尻拭いをさせられたデーニッツ、
彼がケーニヒスベルクに住んでいた多くのドイツ人を救出した話は胸が熱くなりました。
あの悪評高き「ニュルンベルク裁判」では、彼は死刑判決を受けなかった。
ヒトラーの後継者であるにも関わらず、ですね。
連合軍にも良心的な裁判官がいたのですね。
とても興味深い面白い旅行記ありがとうございました。
himmel

frau.himmel様
お便り有り難うございます。
このカリーニングラードは、ソ連崩壊時には、廃墟のような町でした。外国人は立ち入り禁止。ソ連国民も、自由には入れませんでした。
麻薬や犯罪、人身売買が、はびこり、すさんだ町でした。
この町にドイツは医薬品、食料、衣類を送りました。ドイツの援助で町は復興し始めました。
またプーチンさんの奥さんが、カリーニングラード州出身です。この町は、経済特区に指定され、今はピカピカの町です。急成長を遂げています。
このケーニヒスベルク一を含む、東プロイセン一帯は、ドイツ人とスラブ人の混血によって出来た町です。さらにここへ、カトリックに迫害されたユグノーのフランス人が、やってきます。プロイセン人の勤勉、倹約、規律正しい精神は、このユグノーによってもたらされたものです。
あとデーニッツは、あのヒトラー暗殺未遂事件を、きっぱりと否定しています。そしてこれに連座した人たちを軽蔑しています。

浦潮斯徳さん こんばんは。
早くコメント読みたいです。
いつごろ工事は終了しますか?
himmel

> 浦潮斯徳さん こんばんは。
>
> こんばんわ
戸中川紀行は、写真の向きを変えないと、です。
ここは、林道を車で行くのでスリル満点です。
ヴォルゴグラードは、ドイツ軍を包囲したカラチ近辺のコメントが、まだです。
カリーニングラードは、バルチースクの写真がまだです。
現在、ホテルになっている建物の2階から、ヒトラーは立ちました。
ドイツ国民は、「アイン・フォルク、アイン・ライヒ、アイン・フューラー
(一つの民族、一つの国家、一つの総統)」とウィーン市民のように、言ったのでしょうか。
東プロイセン地域は、ドイツ人とは言っても、ポーランドやカシューブ人の血が混じっていたので、ナチスの人種理論には、冷淡だったようです。
「ブリキの太鼓」の著者、ギュンター・グラスも母親は、カシューブ人でした。
お正月の間に出来る限りのことを。

浦潮斯徳さま おはようございます。
いつもながらのイントロダクションの一人語り、いいですねー。
いつも引き込まれてしまいます。
若き日の辛かったこと、楽しかったこと。
一人語りを読みながら、自分の若かった頃の日々を重ね合わせて読んでいます。
浦潮斯徳さまよりはちょっとばかり(かなり)年代は上ですから青春時代の背景も違うでしょうが、浦潮斯徳さまの文章力の「なせる技」でしょうか、同世代に青春時代を送ったような親近感を覚えます。
深ーい葛藤があったと思われる高校時代、でも、それを思い起こすことが出来るようになった浦潮斯徳さまの心境の変化、良かったね!って言ってあげたくなりました。
himmel

frau.himmel様
お便り有り難うございます。
私は寅さんのDVDを見るのが、好きです。
今まで色々なことがありましたが、寅さんと自分に共通するものがあるからです。
また寅さんの一言、一言が、自分の心に染み渡るのです。
私が二回目に生きているのは、素晴らしいと感じたのは、大学を辞めたあと、沖縄の海を見たときでした。
これまでに沖縄の海は、3回見ていましたが。
沖縄北部の東村の民宿に、夜遅く到着でした。
翌朝、東村の浜辺を見たときに、黄色い砂浜とエメラルドグリーンの海の美しさに、呆然となりました。
前日までの気分が吹っ飛び、気分がハイになりました。
日本で一番美しい景色は、大学2年と、それから5年後に見た、奄美大島南部と加計呂麻島だと、今のところは確信しています。
次が新潟と山形の県境にある、笹川流れと呼ばれる海岸です。
あと旅行前にネットで検索して、バルハシ湖、カラボガズゴル湾、アラコリ湖などを検索して、片っ端から印刷して、それを読んだりグーグルアースなどを眺めたりしますが、やはり自分の目で確めないと、何もわかっていないに等しいと悟りました。
何か、この3つを見たら、人生目標が達成できたという気持ちに。
少し力が抜けたのです。
タジキスタンのカラクリ湖にいきたかったのですが、キルギス南部のオシュを通るのですが、この町では、ウズベク人とキルギス人の反目があります。
また、タジキスタンの国境超え、これが大変なので中止しました。
来夏行ければと思うのが、カザフスタンのマルカコリ湖です。
途中、第一次世界大戦で、帝政ロシア軍の捕虜になったオーストリア兵が造ったという、通称「古いオーストリアの道路」を通って行くのです。

浦潮斯徳さん、こんばんは。
旅行からもどり、ちょうど一週間になり、やっと体調も戻ってきました。
浦潮斯徳さんは、かなりハードな旅行をされているように思えるのですが、
旅行先の情報を知らないからそう思うのかな?
カザフスタンの旅行記でも、かなり問題意識を持って臨んでいらっしゃるので、
尊敬の限り・・
読ませて頂かないとわからない事ばかりで、のほほんと旅行しまわっているのが
恥ずかしく思えます。年を経てくると、だんだん楽な方にながれますね。
こちらの旅行記は、癒され魅せられました〜
あの、イシク湖のトルコブルーに・・
こんな光景に出会うことを求め旅するのでしょうね〜
ロマンそのものの浦潮斯徳さんですね!
いつも、投票ありがとうございます。 パルファン

バルファン様
お便り有り難うございます。
ご無事に帰国されて、何よりです。
イシク湖の水の色には、驚きました。
どうして、こんな色に見えるのか不思議です。
静岡の寸又峡のダム湖の水の色が、青く見えるのはチンダル現象によるものと、観光掲示板に書かれていましたが、イシク湖もそうかも知れません。
中学の理科で習った記憶が。
カザフスタンの面白いところは、色々な民族が共生していることでしょうか。
120もの民族がいます。
少し前には、ドイツ系ソ連人と結婚していた、サハリンから強制連行された日本人男性もいました。
興味深いのは、どんな地方都市のバザールに行っても、キムチを売る朝鮮人がいます。
彼らは、もともとはロシア極東にいたのですが、スターリンによって、カザフの地に強制移住させられた人たちの子孫です。
アラリスクの町では、朝鮮人の方が、食堂を経営していました。
クズィルオルダの町には、この朝鮮人の方が沢山住んでいます。
クズィルオルダ空港の職員たちを見回すと、まるで日本にいるような感じさえしました。
もっとも朝鮮人と日本人も良く似ていますが、カザフ人と日本人も良く似ていますが。
私なんかは日焼けするとアゼルバイジャン人に、よく間違えられます。
カザフの人たちは、大陸的なで、細かいことにこだわらず、人懐っこく、あけっぴろげな性格です。
顔は似ているのに、性格は全く違います。
そんなところに惹かれてカザフスタン旅行を、続けています。

浦潮斯徳さん、こんにちは。
私はゾロチフ城を含むリヴィブ近郊の城めぐりは現地の英語ガイドさんに説明してもらったのですが、全く初めて聞く話ばかりで、ガイドさんの話についていくのにやっとでした。覚えきれなかったし、ぴんとこなかった話もたくさんあります。
ゾロチフ城の写真の解説はとても勉強になりました。ガイドさんからここまで詳しく話を聞きませんでしたから。いや、聞き取れませんでしたから。。

まみ様
お便り有り難うございます。
私のガイドさんが、反露感情の強い人でした。
露語の先生で、オデッサ出身の方がいました。西と東のウクライナは、違うと聞いていました。
また、キエフのガイドさんも、東と西のウクライナは、違うと聞いていたので、私は興味を持って、ガイドさんに質問していたので、色々教えてくれました。
リヴィウと日本では紹介されていますが、リヴィフが正しい読み方のようです。
私の友人(日本人)の奥様が、ウクライナ国籍のロシア人ですが、リヴィウの町で、露語を使ったら、物を売ってくれなかったのです。日本人が露語を使う分には、ノン・プロブレムですが。
あちこちに警察がいるロシアと違い、ウクライナへ来ると、気分がハイになります。もう一度ウクライナに行きたいです。
お城の詳しいご説明、有り難うございました。

浦潮斯徳 さま こんにちは。
旅行記読ませていただきました。
いつも早くから浦潮斯徳さまの旅行記投稿を楽しみにしているのに、この旅行記はどうしてかまだ読んでいませんでした。
息もつかずに読ませていただきました。
西ウクライナの歴史、ポーランド人との関わり…、よく判りました。
特に後半の、ソ連の西ウクライナ侵攻では多くの兵士を捕虜とし、ドイツのバルバロッサ作戦の開始によりあわてて、捕虜を虐殺するソ連軍。
そして、西ウクライナがドイツ・ナチスと手を組むしかなかった事実にいたっては、悲しいものがありますね。
ナチスに迎合してユダヤ人を迫害するようになる経緯、アインザッツ・グルッペの西ウクライナでの非道な行為…、など等。
並び立てればキリがありませんが、一連の物語を読んでいるようで、背景を考えながら一気に読ませていただきました。
またお写真がとてもきれいですね。とてもいい旅行記ありがとうございました。
himmel

お便り有り難うございます。
私の友人(日本人)の奥様が、ウクライナのクリミア(クリム)出身です。
クリミアは、アジア系のタタール人とロシア人が居住しており、ウクライナ人は、殆どいません。
このクリミアを、フルシチョフが、ウクライナとロシアの友情の証として、ウクライナ・ソビエト共和国に、プレゼントしました。勿論、ソ連という一つの国でしたし、ソ連が崩壊するとは、考えられなかったからです。
ソ連が崩壊したときに、クリミアはウクライナ領になりました。クリミアに住むロシア人は、クリミアはロシアになるべきだと、運動しました。現在このクリミアでは、露語が主流です。
この奥様と日本人ご主人が、リヴィウの町に旅行したのです。奥様はウクライナ語が喋れず、露語を使いました。すると売店で物を売ってくれなかったようです。「もう西ウクライナには、二度といきたくない」と。日本人が露語を使う分には、問題ないのですが。
ウクライナは、パイプラインの関係上、ロシアと仲良くやっていった方が、うまく行くのですが、西ウクライナの人たちは、スターリンのしたことを忘れず、ロシアそのものに、拒絶感を抱いています。西ウクライナの人のロシア人への怨念は、韓国人の日本人にたいするものと、似ています。
あとドイツ側に立ってソ連軍と戦うために、ラトビア、エストニアでは武装親衛隊が組織されます。ドイツの敗戦が明白になり、ドイツとの同盟を破棄する国が出てくる中で、スターリンの復讐を恐れ、最後までドイツ側に立って戦いました。戦争末期には、リトアニアの青年も、ドイツ側に組み込まれて、ソ連軍と戦わされます。
リトアニアでは、戦争終結後にも、ドイツ側で戦っていた青年たちは、森の中に逃げ込み、ソ連軍にパルチザン攻撃を行なっていました。彼らは「森の兄弟」と呼ばれています。
バルト三国もロシア人に対する怨念が、今でもあります。ラトビア、エストニアは、ソ連時代に移住したロシア人が、沢山居住しています。現在、このロシア人たちは、マイノリティに転落し、地元民から差別や苛めを受けています。少し前でしたが、エストニアに住む、ロシア人の若者が暴動を起こしました。
西ウクライナでもバルト三国でも、スターリン時代の悪事を、次の世代の若者たちの心に刻ませています。日本と韓国もそうですが。


浦潮斯徳さん、おはようございます。
近鉄バッファローズです。
カルムイク人は、モンゴル系のオイラト人が17世紀に西へ
移住してきた人達だそうねすね。Wikipediaで調べました。
だから、小乗仏教系なんですね。人々の顔立ちもモンゴル系ですよね。
カスピ海沿岸、あれだけたくさんの仏教施設があるとは
なかなか想像できないです。周りは、正教やイスラムばかりで。
ロシア連邦の「連邦」たる由縁を見た気がします。
キルサン・イリュムジーノフ大統領は、昨年退任したのですね。
これもWikipediaで見ました。
カルムイクの平和な様子は、仏教徒もあるのかも知れませんが、
やはりその前大統領が金持ちだったこともあるような気がします。
旅行記でもおっしゃっていたように、隣国は殺伐としているのに。
他の旅行記も拝見させて頂きます。

> 近鉄バッファローズ様
お便り有り難うございます。カルムイクもカスピ海沿岸から、石油が出るようです。周りのロシアの地域よりは、貧しい人は少ないです。独裁者ですが、ものごしが柔らかいので、驚きました。治安もよくイルムジノフ大統領の身辺警護も、他のロシアの地方の首長より、ゆるやかです。
チェチェンでは、石油利権を巡って、平野部と山間部のチェチェン人同士の、内ゲバが発端です。ドゥダーエフ大統領は、統治能力なしと、山間部のチェチェン人からも思われていました。このとき、ドゥダーエフ大統領は、ロシアを挑発して、戦争に持ち込むことで、地盤固めを。
現在のラムザン・カディロフ大統領の父親である、アフマド・カディロフは、イスラム教の聖職者で、第一次チェチェン戦争では、ドゥダーエフ将軍とともに、ロシアを敵として戦ったのです。
このあと、チェチェンでは、イスラム原理主義が台頭してきて、手に負えなくなったので、ロシア側に寝返ったのです。アフマド・カディロフは、何者かに暗殺されました。
チェチェン人は、ガリャーチイ(熱い)と言われています。熱くなると、何をしでかすか分からないと。カルムイク共和国にも、チェチェン人は沢山います。カルムイク人のガイドさんが言うには、チェチェン人がときどき危険だと、おっしゃっていました。
少し前ですが、スイスの航空管制官のミスで、飛行機が空中で衝突して、ロシアのウファ発マドリード行きの、子どもたちと母親を乗せた、チャーター機の乗員全てが死亡しました。
この中に、チェチェン人男性と結婚しているロシア人女性と子どももいました。父親のチェチェン人は、スイスに乗り込み、夜中にこのスイス人管制官一家の首をナイフで掻き切って殺害しました。
ロシアでもカザフスタンでも、チェチェン人は、クレイジーという人は、結構います。今はどうか知りませんが、かつてはモスクワのホテルの3分の1は、チェチェン・マフィアの所有でした。
あとカルムイク人男性は、カルムイク女性よりも、ロシア女性の方が美しいといいます。イルムジノフ大統領自身も、ロシア正教会を建てたりして、ロシア人とは、仲良くしていこうとしています。
カルムイク人は、純粋のモンゴル系の人と、コサックの血の混じった人がいるようです。イルムジノフ大統領は、顔が整っています。コサックの血が混じったカルムイク人だそうです。姓で分かるようですが。

浦潮斯徳さん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
なるほど、石油が出るんですね。だから豊かなんですね。
全然その辺りに明るくなく、無知をさらけ出しております。
独裁でも豊かであれば、人民もそれほど不幸ではない、
と言うことなのでしょうか。民族性もあろうと思いますが。
カルムイクの人々は、あまり独裁に文句を言わないんですね。
独裁だから、その点については言えない状態でもあるんでしょうが。
チェチェンの内紛にはそんな発端があったんですね。
私はすっかりロシアからの独立を求める民族紛争かと思っていました。
その前段階に、内輪もめがあったんですね。勉強になります。
内輪がうまくいかないときに、外へ戦いを仕掛けることで
乗り切ろうとするのは、古今東西よくあることですね。
でも、そこでチェチェン人のガリャーチイに火がついたんですね。
モスクワでのテロなど、相当なことをしてますよね。
そういう意味ではアフマド・カディロフ氏は
あまりチェチェ人らしくないから、暗殺されたのでしょうか。
やはり、混住しているとは言え、民族が違うと文化の違いが大きいんですね。
そこには簡単に越えられない壁のようなものがあるように思います。
長い歴史に基づくものだから、なかなか超えられないのも仕方がないですが。
個人的には、カルムイクの人々には独自の文化を守って欲しいので、
あまり混血にはいい印象がないですが、それも彼らの選択ですからね。
カフカスがもっと平和になればいいですね。
そうすれば、浦潮斯徳さんも旅行がしやすくなるでしょうから。